ご飯が美味しくなる食器を作りたい。山の焼き物屋 No.019 川本太郎さん
- 2020.12.12
- written by 山本 卓

工房があるのは、昔別荘地として栄えた佐賀市富士町の山奥だ。カーナビに工房の住所を設定し、車を進める。どんどん山奥に入っていくので「果たしてここであっているのか?」と不安になる。10分ほど山道を進むと、目印である一本の電柱が現れ、その手前を曲がるとひっそりと工房が現れる。森に囲まれた工房の周りには建物がない。ただセミの声や風の音だけが、耳に届く空間が広がっていた。今回はこの富士町に20年以上前に移住をし、焼き物屋一筋で暮らしている皿屋 川本太郎さん(52)に話を聞く。
太郎さんの焼き物の特徴は「鎬(しのぎ)」でデザインされていること。太郎さんが作られた食器は、シンプルだけど優しく、不思議な手触りがある。食器には、太郎さんのやわらかい物言いと独特だけど心地よい空気感と、共通したものを感じ取れる。
私も佐賀のお山で暮らしていて様々なところに訪れているが、太郎さんの食器は見ない日がないぐらい、山の暮らしに根付いている。なぜここまでみんなに愛される食器を作ることができるのか? その原点や想いなど伺った。
焼き物屋になるきっかけ
「もしかしたら小さい頃のごはん茶碗かな」

本日はよろしくお願いします。太郎さんの食器って、山暮らしを始めてから本当に見ない日がないぐらい、山の暮らしに根付いていますよね!
すみません。それは本当にありがたいお話です。焼き物屋は、畳屋とか鍛冶屋と同じような職業なので、その地域に根付けることが、焼き物屋としての理想なんです。自分自身、焼き物屋として世に出たいとかではなく、暮らしの中で日常的に使ってもらえる食器を作っていきたいと思っています。
「陶芸家」ではなく、「焼き物屋」という肩書にしているのは何か理由があるんですか?
九州は特にそういう言い方はしないですよ。周りの焼き物仲間でも陶芸家とは言わず焼き物屋って言っていますね。陶芸家って彫刻家みたいで、なんかこっ恥ずかしいじゃないですか。(笑)

太郎さんが焼き物屋になるきっかけとは、一体なんだったんですか?
なんとなく。(笑) 本当に特に理由はなかったんです。高校卒業するまで、「将来何になりたいか?」って、特に決めていなかったんですよ。たまたま友人の紹介で、焼き物屋に弟子入りをして、焼き物の勉強をさせてもらったのが始まりですかね。しいていえば、子どもの頃、茶碗が変わっただけでご飯の味まで変わるっていうことに驚いた記憶があります。それがきっかけだったのかもしれませんね。
修業時代は大変でしたか?
うどんの茹で方とかでよく怒られていましたね。(笑) 「お客さんが残しているのは、お前の茹で方が悪かったからだ!」って。それから3か所で、焼き物屋としての修行をさせてもらいました。修行で焼き物屋の在り方みたいなところを教わって、10年後に独立をして、佐賀県にやってきました。
焼き物のことで怒られたわけじゃないんですね。(笑) その焼き物屋の在り方とは一体なんだったんですか?
焼き物屋は食えねーぞっていう。(笑)
深いですねぇ。この富士町に工房を建てようと決められた理由はなんだったんですか?
この辺りは別荘地なんです。昔、近所に知り合いの別荘があって、ちょくちょく遊びに来ていて。私が子どもの頃住んでいたのは街中だったので、こういう静かなところに住みたいなと思っていました。あまりに人が多いと疲れちゃうじゃないですか。例えば家の中から窓を見て、歩いている人を見るとそれだけでも疲れてしまいますから。

別荘地の中でもかなり山奥ですよね。工房に来る道中は「本当にこの道であっているのかな?」とドキドキしていました。
ですね。この辺りで一番標高の高い住人ですから。
ということは、一番標高の高い焼き物屋ですね。山奥で暮らされていて、不便なことはないんですか?
たくさんありますよ。子供の学校がどこにあっても遠かったり。あとお皿の納品や子供の送り迎えなんかにガソリン代がものすごくかかるところとか。それでもこの場所は静かで好きなので、いいですね。
お皿一つで、ご飯が美味しくなる
食器の魅力

焼き物屋になったきっかけは、子供の頃の「食器でご飯の味が変わった」ことだとおっしゃっていました。太郎さんは焼き物屋として食卓に並ぶ食器をメインに作っているんですか?
お皿も作りますが、たまにふと思いついて、お皿以外の焼き物を作ったりしますね。例えば手裏剣を作ってみたり。だいぶ前コーヒーにまつわる展示会があったときには、ビーカーやフラスコなど化学実験道具のような焼き物を作ったんですよ。これが不評で。 自分では天才だと思いましたけどね。(笑)

でもこの前、太郎さんの個展にあった不思議なお皿は、たくさん売れていたじゃないですか?
なんだか売れましたね!(笑) あれは、饅頭をのせるお皿ですね。普通のお皿って凹んでいるじゃないですか。そうではなくて、鏡餅の上のみかんのように、凸のあるお皿に料理をのせると「もっとおいしく見えるんじゃないかな?」と思い付きで、作ってみました。でもフレンチとかソースをかける料理じゃ使いづらいか。(笑)
個展に来られていたお客さんが「このお皿には何を入れたらいいですか?」と質問されていた時に、太郎さんは「なんでもいいですよ」と言っていたのが印象的でした。作られている時に「こんな使い方してほしいな」と思ったりしないんですか?
ろくろを回すときには、どんな形のものを作るかイメージをしながら作ります。そうでないと全く違うものが出来上がってしまうんですよ。「この食器はこんな使い方かな」と思うことはもちろんありますが、そこは強制しません。お客さんにそれを伝えてしまうと、幅が狭くなってしまう。「これは、ご飯かな? サラダかな?」って考えてもらったり、こうやってヘルメットにしたりしても全然いいので、お客さんの好きに使ってもらえればいいかなと思います。

そんなに自由度のある食器ありますか!?(笑) すごいです。太郎さんのその雰囲気も山の皆さんに愛されている理由なんでしょうか。なにか仕事として心掛けていることはありますか?
あまり相手に近づこうとは思わないことですかね。独立した頃、お皿を買ってもらおうと営業していたんですが、こちらから近づいていくと相手に引かれたり拒絶されたりしたことがありました。それからはだんだんと「待つ」というスタンスを取るようになっていきました。すると不思議なもので、待っていれば、相手から来てくれるんですよ。営業するってそんなものかなって。
やはりそれは太郎さんの魅力なんじゃないですか?
それはない。わざわざ山奥の工房まで来てくれるお客さんがいるんですけど。コーヒーでも飲んで遊びに来てくれるだけでいいのに、食器を買って帰るんですよ。別に買わなくてもいいんじゃないかなって思います。
太郎さんの食器の特徴
「鎬(しのぎ)」その誕生秘話

太郎さんの作品の特徴は、直線的な柄の彫り方だと思うのですが、これを取り入れたのはなぜですか?
よく売れるから。(笑) 自分としてはものすごく卑怯な手なんです。この彫り方は一つ一つ彫る『鎬(しのぎ)』という装飾方法なんですけど。これをしてしまうと、その人が作った手の感じとかが出なくなってしまうから、あまり好きじゃないんです。私は絵でいうとデッサンとか油絵が好きなんです。人が作ったって感じがするじゃないですか。でも売れるので、背に腹は変えられません。
売れるからですか?! 独立した当時は鎬(しのぎ)ではなかったんですね。
お客さんから注文があったんです。こういう風に作ってほしいって。昔は直線だけじゃなくて、曲線だったり模様だったりしていたんですが、直線に敵うものはないなと思ってから、今の食器の柄になりましたね。でも鎬(しのぎ)ってヤクザっぽいでしょ。(笑)

この鎬(しのぎ)って昔からある装飾方法なんですか?
ありますね。それこそ縄文土器にも使われていたんじゃないですかね。あんな難しい柄を普通の人ができていたとは思えないですし、縄文土器だけを作る職人さんっていたんじゃないですかね。焼き物屋って職業は売春婦に次ぐ古い職業らしいですし。
そうなんですか! そんな古い時代から仕事としてあったんですか?
縄文時代より先の古い時代からあったって話を聞いたことがありますね。1番初めに職業として成立したのが売春婦で、2番目の職業が焼き物屋らしいです。じゃないと縄文土器みたいな複雑な造形はできないだろうって。
それを聞くとものすごく古い仕事を太郎さんはやっているんですね。素敵です!
焼き物屋という職業は
どこからが仕事か曖昧なもの

独立した当時、苦労したことはなんですか? 弟子の頃、約20年も続けられる仕事だと思っていましたか?
修行中は作り方を一生懸命学んだ。けれど売り方って学んでこなかった。そこが一番大変でしたね。辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。この陶芸の世界に入って、気づいたらバカになっていたというような感覚があります。あまりいろんなことを考えないことが、自分にとって大事な能力というか才能だと思っていますね。
太郎さんにとって「焼き物屋」という仕事ってなんですか?
どこからが仕事で、どこからがプライベートかわからない曖昧なものです。家の周りの竹藪を切る。その竹筒を花瓶にして、個展の時に、山にあった花を添えてお土産に渡す。それは仕事ではないと思えるが、仕事の一つと思えば仕事になる。あやふやな生活です。生活が仕事なのかな。よくわからないです。

焼き物屋って、生活すべてが焼き物につながる職業ということなんですね。
収入を得ることが仕事だというのであれば、普通のサラリーマンの方がよかったかもしれない。でも、とりあえず、子どもは大きく育っているし、自分の好きな焼き物を、仕事として始めてから、家族には付き合ってもらっているようなものなので、家族には感謝しています。
焼き物屋を20年続けられた太郎さんは、何歳までこの仕事を続けていこうと思いますか?
この仕事は退職金もなければ、定年もない。辞めようと思えばいつでも辞められる。自分次第ですかね。
これから移住を考える人にアドバイスはありますか?
よく思うのが、田舎に住みたいから来るって感じだと絶対失敗しますね。まず何をしたいかを、モヤモヤでもいいので決めてから来た方がいいと思います。こちらに来てから仕事を探そうとしても、都会のように高収入で面白い仕事なんて滅多にない。だから、何かしたいことがあるのであればモヤモヤっとでも決めて来た方がいいと思います。
本日はお忙しいところありがとうございました。
★移住相談に関するお問い合わせはこちらまで★
https://www.sagajikan.com/saga100/contact
ー 編集後記 ー
人生初のろくろ体験をさせてもらいました。太郎さんが作陶をしている姿を見ていると簡単そうに思えましたが実際やってみると形にすらなりませんでした。それでも何度も何度も挑戦させてくれる太郎さん。この仕事はものすごく繊細です。同じ形や大きさを作り上げることの難しさを体験できました。体験後、スッとコーヒーを入れてくれて、のんびりと過ごす太郎さんとのひと時は、最高でした。太郎さんの食器が愛されている理由がすこしわかった気がします。僕が思う太郎さんの食器が愛されている理由。それは、「太郎さんのユニークな人柄」。器には作者が出るからではないでしょうか。


-
<お世話になった取材先>
川本太郎さん
皿屋
-
<お世話になった取材先>
川本太郎さん皿屋
昭和43年福岡生まれ。小石原、益子等での修行を経て、富士町古場岳にて開窯。「地域に根付く食器」をモットーに、佐賀の山奥の静かな環境の中焼き物を作っている。
皿屋
住所:〒840-0543 佐賀県佐賀市 富士町大字 古場 2145
電話: 0952-57-2983
*要電話予約




-
<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
-
<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

