創業から変わらない美味しさ。5世代にわたって愛される店、山口お好み屋 No.009 山口勝己さん
- 2020.05.26
- written by 鵜飼 優子

唐津市厳木町(きゅうらぎまち)にある「山口お好み屋」。
昔ながらのたたずまいが残り、がらがらと店に入るとソースのいい香りがふわっと広がり、鉄板でお好みを焼く音と「いらっしゃいませ」と明るく出迎えてくれる店主の山口さんの声が聞こえる。創業60年、変わらない味は、地元の方はもちろん、県外からも多くのお客さんに愛され続けている。
山口お好み屋さんの定番メニューの「おこのみ」は、もちろん、そばとうどんが入った「ミックス」など、どれも関西人の私も太鼓判を押してしまう美味しさ!!
そんなおこのみを作る「山口お好み屋」の店主山口勝己さんにお話をお伺いしました!
創業当時から変わらない味の秘密、ご家族でお店を営む「山口お好み屋」の歴史など、時には、ジョークも入れて振り返りながら、茶目っ気たっぷりにお話をしてくださいました。
創業60年守り続けられた味

本日は、よろしくお願いします! この間、食べた「おこのみ」めちゃくちゃ美味しかったです。創業当時からメニューは同じですか?
それは、よかった。関西人の口に合うか心配しとったんよ。(笑)
メニューは、創業当時から変わらんね。入れるものも変わってない。
お店は、もともと親父とお袋が始めたんよ。昭和34年から始めたから今年で61年目になるね。
お父さんが始められたお店だったんですね。
そう、親父は昔、大阪で料理人をしていてね。お店を自分で持ちたいって始めたのが、この山口お好み屋だった。お好みのベースは、関西の(※)一銭洋食っていう作り方が元になっているみたいだね。
※一銭洋食……水に溶いた小麦粉に材料をのせて焼いた鉄板焼きのこと。

お父様は料理人だったんですね。ソースがスパイシーで箸が進む味ですね。
よくあるお好みソースのあまとろとは違う感じでしょ。ソースは、親父がうちのお好みに合うものを選んで、仕入れて。今も変わらずそのソース。うちのお好みは、肉を使ってないから、そのあたりも考えて選んだソースやね。
肉を使わないっていうのは、こだわりのひとつですか?
そうね。なんで使わんかったのかは、はっきり親父に聞いてないけど、どうせするなら、ほかにないメニューがいい。これだったら、ほかにはないっていう、こだわりなのかな。
値段もとっても安くて、びっくりしました! 「おこのみ」と「文玉」を2人で半分ずつ食べても660円。1人分の値段かなと思いました。
そうね。何回か値上げはさせてもらってるけど、身を切る思いでの決断だったよ。
値段が安い分、お好みと焼うどんとか組み合わせて食べる方も多いね。

お客さんが多いのは、土曜日、日曜日ですか?
そうだね。土曜日、日曜日は県外からもおいでになる、福岡とか長崎とか。結構、バイクのお客さんが連れ添ってきたりもするね。あと、土曜日、日曜日は、持ち帰りのほうが多いね。俺みたいに、酒好きさんがおらすけんが、家でお好み食べながら、ビールを飲むとかね。(笑)
お好みデビューは、小学6年生!

山口さんは、いつからお店を継がれているのですか?
31歳のときに店を継いで、この前67歳になったから今年で36年目。これだけ山口お好み屋にお客さんがついてるのにやめるのは、もったいないと思ってね。
継ぐ前は何をされてたんですか?
大阪で電力会社に勤めていました。3年くらいいたけど、九州に帰りたくなってしまって。いわゆる、ホームシックにかかっちゃってね。そこから、佐賀に帰ってきました。
帰って来られる時は、もうお店を継がれるつもりだったんですか?
いえいえ、違います。とにかく九州に帰りたいと。自分は電気関係の仕事しかできないから、佐賀に帰ってきて、近くの電気屋さんに勤めていました。そうこうしているうちに親父が死んで。そのあとは、お袋がひとりでしていて。お袋は、82、3歳まで店をしてたね。
お母様は、そんなに長くお店に立たれていたのですね!
31歳で俺が店を継いでからも、20年近くは一緒にやっていたね。
お母様とお店に立たれた20年間で技術を習得されたのですか?
そうだね。けど最初は常連のお客さんに言われたよ。「やっぱりお母さんの味とちょっと違うね」って。そのときは、「そうですか」としか言えなかった。同じ材料を使っても何か違う。性格が出るんだろうね。

逆にお母様よりおいしいって言う方もいらっしゃるんじゃないですか?
結局、常連さんがお袋の味に慣れてるというか。だから俺が作ったら、目の前で焼くから、気持ち的なものもあるんでしょうね、なんでお前が作ってるんだってね。お袋のお好みを食べにきたんだぞってね。お客さんの目の前で焼くから、作る人が見えるし、よけいそう思うんだろうね。中で作ったら、何も感じないかもしれないけど。
目の前で焼くこのスタイルは創業当時からですか?
創業当時からだね。昔は、鉄板が1台しかなかったけど、今は、2台体制で焼いてるね。1台のときは、朝からずっと焼きっぱなしだったね。
山口さんは、ずっとお好みを焼いてるのをみて、育ったのですか?
そうだね。昔はここのスペースが住居だったから、帰ってくるのがここだったからね。
俺のね、1番最初のお好み屋デビューは、小学校6年生のときなんだよ。うちのお袋があんまり身体強くなくてね。ときどき、腹痛起こしたりするのね。お好み焼きながら、「いたた」って言うけん。
お客さんが、お前焼けって言って。そのとき、初めて焼いた。
6年生でデビューはすごいですね! まさに暮らしの中に、お好み屋さんがあったってことですね! ちなみに……、当時のお好みのできはどうでしたか?
もちろんちゃんと焼いたよ!(笑) やっぱり、見てたけんが、当時も作り方がわかっとったね。味はね、お客さんも自分が焼けって言った手前、うまいとか、まずいとか言わんかった。でも、最初のお好みデビューが6年生でピンチヒッターだったっていうのが記憶に残ってるね。
5世代にわたって通うお客さん。山口の味がふるさとの味!

創業60年の味を守っていくって、すごいことだと思います。続けてきて、大変だったことってありますか?
苦しかったのは、さっき言った価格が安いって言うことかな。もうけがないっていうこと。もうけがないって言っても、食べていけるから、ああいいよなって。自分はそう思ってきたけんが。創業当時はこの辺りもお好み屋さんが7、8軒あって。跡継ぎがおらんところは、1代目でやめていかれたね。どこまで頑張れるかやと思うね。
逆に続けてきてよかったなってことはありますか?
そうだね、やっぱりお客さんかな。
お客さんから、「お袋と味が似てきたな」って、「今日美味しかったよ」って言われたらうれしいね。良かったって思う。家族みんなで通ってくれるお客さんは、5世代にわたってきてくれてるね。
5世代!! それは、すごいですね。みんなのふるさとの味なんですね。
厳木を出て、大阪、名古屋、広島とかで仕事をしている子たちが盆とか、正月に帰ってくるんよ。そしたら、まず「山口のお好み食べんば」って家に帰るより先に、うちの店に寄ってくれるんよ。やっぱりそういうの聞いたら嬉しいね。そういうことがお店を長くできた理由かな。

それは、うれしいですね。「大好きな山口のお好みをまず食べないと」って!
そうやね。このあたりの子どもたちは初めて食べるお好みが山口の味で、ここの味で育ってるから、ほかの地方に出て食べるお好みは、お好みじゃないって言う子もいたね。お好みのソースが違うからかな。
ここの味がスタンダードなんですね!
いや、その子たちが間違っているけんね。(笑) けど、ほんとにうれしいね!
親父から自分へ。そして、娘に受け継いでいるお好みの味

今、働いていらっしゃるのは、山口さんと娘さんですか?
あとは、姪っ子が来てくれて、店を回してるね。ほんとに忙しいときは、知り合いにお願いして手伝いにきてもらったりしてる。
娘さんはいつからお店に立たれているんですか?
(横で聞いていた娘さん)今年で13年になります。ほんとに一緒の材料を使って作っているけど、お父さんと私ではやっぱり味が違うんですよ。お父さんのお好みを食べたひとは、一口入れた瞬間に「うまっ」て言いますね。わたしもときどき食べるけど、やっぱり違う。わたしは、おばあちゃんのより、お父さんのお好みが美味しいって思います!

娘さんからの美味しいって言葉うれしいですね。
そうだね。娘が小さいとき、夏休みとか洗い物手伝ってもらったり、家族の支えがありますね。今後は、この子たちに任せていくからね。あとは、3年前に亡くなったけど、俺の奥さんの助けも大きかったね。
ほんとにご家族皆さんで協力して、山口の味を繋いでいるのですね。奥さまも大きな支えだったんですね。
そう。うちの奥さんはね、俺よかね、15歳も年上だったんよ。洋裁師をしてて、オーダーメイドで服を作ったり、洋裁教室したり。その合間で、店も手伝ってもらって、ほんと最後まで助けてもらったな。
水がうまい! 人が純粋であったかい厳木の町。

山口さんが思う厳木のいいところはどこですか?
厳木のいいところは人間が良いところやろうね。人間が純粋やね、子どもたちもあんまりすれとらんね。このまま素直に育ってほしかねって思う。
もし、厳木にうつり住みたいっていう人がいたら、嬉しいですか?
そら嬉しかね。厳木に移住してもらうってなったらもう!
厳木は、昔、炭鉱で栄えた町だった。昭和36年に炭鉱の山が閉鎖になって、その頃の厳木は人口が19,000人くらい。今は、5,400人くらいで、これからあと何十年でもっと減るだろうから、働く場所を整えたり、市とも協力して、なんとかせんとって思うね。自分も小さいながらでもこの店を続けようって思うし。
これから厳木に移住してくるかたにメッセージをお願いできますか?
とにかく1番いいのは、水が豊富なこと。例えば、福岡あたりで水がないってあったけど、厳木川は枯れることがない。水が美味しい。それが1番。人間的にも、みんなあったかい。
厳木に来てくれる人が増えると嬉しいですね!!
移住に関するお問い合わせ・相談はこちらまで。
ー 編集後記 ー
初めて山口さんのお好みを食べたとき、思わず「うま~い」とうなってしまいました。目の前の鉄板で、手際よくお好みを焼いていく山口さんに惚れ惚れ。鉄板のよく使う真ん中の部分は、へこんでいたり、へらは使っているうちに丸く削れていて、道具にも、山口お好み屋さんの歴史が刻まれていました。
お好みは、「あなたのお好みにあわせます」ってことだよって、にこっと笑いながら、教えてくれました。お茶目な山口さんを垣間見れ、ますます山口お好み屋さんのファンになりました! 山口さんが目の前で焼いてくださる創業60年の味をぜひ食べに行ってみてくださいね。


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<お世話になった取材先>
山口お好み屋
山口 勝己さん
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<お世話になった取材先>
山口お好み屋山口 勝己さん
創業60年続くお好み屋さんの店主。幼少期に武雄から厳木へ移り、自身の父親が始めたお店を受け継ぐ。お客さんの目の前で焼くおこのみは、絶品。スパイシーなソースに食が進む。娘さん姪っ子さんとともに、日々お好みを焼いている。創業当時と変わらないスタイルで提供し続け、みんなに愛されるお好み屋。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

