古いモノの声を聴き、「可愛く」の魔法をかける店「oriori(オリオリ)」 No.043 中島洋志さん、咲希さん
- 2022.02.28
- written by 山本 卓

大人の隠れ家的な旅館が立ち並ぶ、温泉街「古湯温泉」。静かな大人の雰囲気が漂うこの場所に2021年12月、喫茶店の併設された古道具・リメイクのお店「oriori」がオープンしました。
「世代を越えて古い物を受け継いでもらいたい」という思いで、オーナーの中島ご夫妻が地元の方々と共に空き店舗をリノベーション。四季折々の風景を楽しんでもらいたいと、店舗内の壁をぶち抜いて大きな窓を作りました。その開放感のある店内には、たくさんの可愛い古道具や、古くなった布や帯などを使ってリメイクされた小物がたくさんあります。
今回は移住して間もないお二人に、オープンまでの道のりの中で感じた富士町の古湯温泉街の方々の優しさや、移住への想いなどを伺いました。
四季折々。富士町の風景が楽しめる魔法のお店「oriori(オリオリ)」

2021年12月16日のオープンおめでとうございます! ほんとオシャレでいい空間ですね! この「oriori」とは、どういったお店なのでしょうか?
洋志:喫茶店の併設された古道具・リメイクのお店、なんですけど……。正直それも最初は悩んでいました。もともと私が古物を扱って、奥さんは洋服のお直しや商品を展開するというのがコンセプトでした。ですけど、富士町という場所と出会い、地域の方々と出会っていくにつれて、自分たちがただやりたいことをやるではなく、「なんでお店をやりたいのか?」を考えるようになりました。富士町の四季折々の風景を楽しんでいただける。いろんな方が来てくれる場所にしていきたい、と思うようになって、このような喫茶スペースのある古道具・リメイクのお店になりました。
お店の名前の「oriori」には、ひょっとしてそういった由来があるんですか?。
洋志:「富士町の四季折々の風景を楽しんでもらいたい」という想いからきました。きっかけは、地元旅館の女将さんの「古湯はね、四季折々が素敵なんですよ」という一言でした。

ご主人の洋志さんは、ご出身が佐賀ということでしたが、富士町でお店をすると初めから決めていたんですか?
咲希:はじめは、東京から近い場所を探していました。その中で、長野県がいいなと思っていました。単純に私たちが好きな地域だったから。(笑) そこでイメージを固めるために長野県に行き、移住のための資料をもらいに行きました。
洋志:でも、長野県の町を歩いていると、「お店をする」というイメージは出来るんですけど、生活しているイメージが湧かなかった。やっぱり移住するにあたって生活するイメージは大切だと思うんです。
それから佐賀が移住の候補に挙がったのは、何がきっかけだったんですか?
洋志:有楽町にある移住相談センターに相談に行った時に、担当の方から佐賀県を勧められました。その担当の方が佐賀県内の移住先エリアを3か所ぐらいピックアップしてくれて、佐賀県を周ることになったんです。その中で自分たちには富士町が、一番しっくり来たんです。「生活の中に放り込まれた」感じを受けたんです。地元に住んでいる人と移住者が混じり合っているというか、両方がフェアな関係にあると感じました。

水が合うといいますが、地域が合うって感じだったんですね。佐賀県内のいろんな地域を周られたのは、いつ頃なんですか?
咲希:2020年10月でしたね。富士町に来て「ここだ!」って速攻で決めましたね。(笑)
洋志:いろいろ相談しつつ、11月末には移住が決定しました。その約2か月間でいろんなご縁をいただいたりして、皆さんには移住前から本当にお世話になりました。でも移住するって決めたのに「来なくてもいいよ」っていう人がいたんです。
その方、めっちゃ正直な方ですね。
洋志:それがこの建物のオーナーである女将さんだったんです。「あんたたち絶対苦労するけん。止めた方がいい」ってはっきり言ってくれて。
咲希:女将さんの優しさを感じました。少しでも関係ができたからこそ、泣く泣く帰る私たちの姿を見たくない。そう思ってくれていたんだと思います。心を決めてから、1か月ぐらい女将さんは電話に出てくれませんでした。
その1カ月間、お二人の覚悟を女将さんは確かめたかったのかもしれませんね。
咲希:そうだと思います!
洋志:新年を迎えて、気分も一新したタイミングでまた連絡しようと思って。女将さんに繋がった時は嬉しかったですね。
咲希:「決めましたのでお願いします!」と伝えるより「こんなことを考えていますので、実際にさせてもらえますか?」という感じで女将さんにお話をしたら、「だったらまた来てみたら」と言ってもらえて。
洋志:僕たちが富士町にいないその間も、佐賀市の職員の方が、僕たちが移住できるように水面下で動いてくれていたことを感じました。それを感じた時に「こんなに親身になってくれるんだ。安心して移住できるかも」と思ったんです。
困ったときに助けてくれる環境があると、移住に関しての不安が減りますもんね。
大変だからと引き返せない。空き店舗の改装。

2021年4月に富士町に移住されて、8月には工事開始。12月にはオープン。スピード感がものすごいなと感動しました。人生初の空き店舗リノベーションだったと思いますが、いかがでした?
洋志: まったく楽しくなかったですよ。(笑) 大変でした。
咲希:そうだね。正直まったく楽しくなかった。
え!!! 移住者の憧れの一つである「古民家改装」じゃないですか。
洋志:なんで楽しくなかったかというと、完成していく喜びと同時に、協力してくれる人が増えるにつれて不安も増えていったんです。1人でやって失敗する分には、別に問題ないんでしょうけど、協力してくださった人がいる以上、やっぱりね。
咲希:ワクワクすることもありましたよ。壁が抜かれた時なんて「すごい! そうそう! この景色が見える感じいい」ってワクワクしたけど、それと同じぐらい今も不安で、これからも大変だとしか思えないですね。きっと数十年後には「楽しかったね」って言えるんでしょうけど、そこまでいくには、まだまだ。

お店の空間デザインは、自分たちで考えられたんですか?
洋志:実は前々からこの建物を「目の前の川を見せられるようにしたほうがいい」と思っていた人がいたんです。その方は、店舗デザインや設計をされていて、熊本市の、とあるストリートを観光客や若者たちが集まる場所へと劇的に変えた人なんですよ。
咲希:その方の「やっていること」と、私たちの「やりたいこと」がピッタリきたので、全監修をお願いしました。
洋志:店内にある古道具などは、いろんな人に「こんなの持っていないですか?」など、聞いてまわったりして集めました。その古道具を店内にレイアウトしていきました。地元の建具屋さんや設備屋さん、そして仲間に助けてもらいながら、約4か月間で完成させましたね。

ここまで本当に大変だったと思います。「止めようかな」と思うことはなかったんですか?
洋志:止めようかと思うこともあったけど、そんなことは、早い段階で言っていられなくなりましたもんね。(笑)
咲希:そうそう! だって仕事も辞めて富士町に引っ越してきちゃったもん。後戻りできない状態でしたから、完成するまで突き進むぞって。
洋志:資金面でも、やはり自己資金だけでは無理で、お金を工面するのも初めての事なのでかなり大変でしたね。そんなこんなと色々やっていたら、もう12月になって、いつの間にかオープンの前日を迎えていました。
家族以外の方に、こんなに助けられたことはない。ありがたさと不安が入りまじったオープンは、すでにゆっくりと始まっていた?!

怒涛のようにオープンまでの日々が過ぎていったと思いますが、オープン前日の心境はいかがでした?
咲希:やることは無限にありましたね。準備が進んでも進んでも、まだまだ終わりが見えないというか。前日になっても、準備とオープンという境目がなかったです。
洋志:そうだね。「明日オープンだ!」って気持ちがなかったね。というのも、オープン日の前の週にプレオープンした時から、すでにお客さんが来ていましたから。(笑)
プレオープンって普通、関係者の方へお披露目会みたいなイメージですけど。お客さんがすでに入られていたんですか?
咲希: 本当は身内だけのはずだったんです。だけど、普通にお客さんが入っていただいて。「すみません。内覧会なんです」って言えなかったんです。(笑)
洋志:結局ね。プレオープンしてから、その翌日もお客さんがパラパラ来てくださって。
咲希:だからオープンの日を迎えても、「オープンするぞ」って感じではなくて、じわじわ始まっちゃった感じ。気がついたらオープンしていました。(笑)
洋志:でも、僕たちにとって、それがよかったんだと思います。これまで協力してくださった方やお客さんのおかげで、身構えることなく始めることが出来ました。結果的に気がつけば、ゆっくりと始まっていたのがよかったです。(笑)

オープンされて1カ月ほど経ちましたが、お客さんの反応は実際にいかがですか?
洋志:佐賀市内や福岡からもお客さんが来てくれていますし。地元富士町のおじちゃん、おばちゃん、旅館のお客さんも来てくれたりします。「こんな場所ができて、うれしいです」と言ってもらえたり、富士町に関心を持ってもらうきっかけになったりしていることが嬉しいです。
咲希:私が嬉しかったのは、「東京から帰ってきた友達を連れてきました」って言って来てくださる方がいたことです。いつか、地元に帰ってきたときに「orioriに行こう」って思っていただける存在に、このお店がなれたらいいなと思っていたので。
移住すると決めた時から、ずっと地域の方々やお客さんに助けられて、愛されているお二人だなと思います。
咲希:みなさんに本当に助けてもらって、このお店ができました。これからどうやって恩返しすればいいのか悩みますね。家族以外の人にこんなに助けてもらったのは、初めてです!
古いものに「可愛い」と価値を与える古物商という魔法。

orioriは喫茶店という形で利用される方もいますが、お二人がそれぞれ古物商とリメイクというスキルをお持ちだそうで、一つずつお伺いしていきたいと思います。まずは古物商とは、どんなお仕事なんですか?
洋志:古物を扱うには「古物商」っていう資格が必要なんです。身近なところでいうと中古CD屋さんとか中古車屋さんとか。この資格を持てば、人が1回でも使ったり、買ったりしたものに対して価値を付けて販売することができるんです。
orioriでは、どんな古道具を扱っているんですか?
洋志:主に器とか花瓶などの生活雑貨です。古道具・古物というと、骨董品のように鑑定書がついた高価なものという印象があるでしょうが、私が扱うのは500円~3,000円ぐらいの、ただただ可愛らしい物、実用的な物を取り扱っています。一部、高価なものもありますけどね。
お二人を見ていると「古い」という言葉がテーマにあるように思いましたが、昔から興味があったんですか?
洋志:古道具・古物が好きだというよりも、自分の好きなものを追求し続けたら「古いもの」が多かった。古いものって今とは違って、ひとつひとつにこだわりがある。それが可愛いんです。

そんな自分の好きな「古いもの」を売買しようと思ったきっかけは、何だったんですか?
洋志:前職がアパレル会社で、アクセサリーや衣料品や雑貨の企画販売をしていました。アパレル業界ってどうしても大量に生産して大量に売らなくてはいけない。でも「すでにいいものって、いっぱいあるはずなのに、何故安くいっぱいものを作らなきゃいけないのか」と疑問だったんです。だから、古道具などを、生活の一部に取り込んでもらい、アンティークのある生活をしてもらいたいと思ったんです。
大量生産大量消費に疑問を感じられて、「ものの価値を見つめ直してほしい」という思いがあったんですね。
洋志:「世代を超えた出会いは宝物を増やす」。お店のテーマでもあるんです。例えば、親父世代では、ゴミとされるようなものでも、次世代には、「可愛い」と感じられることがある。古いものに価値が生まれるんです。世代を越えて古いものを受け継いでもらいたい。そんな古道具を集めています。
咲希:女の子同士で「可愛い」、「飾りたい」と手に取ってもらえたら嬉しいですね。
ばあちゃんの帯を使った小物を、孫が持つ。世代を越えていくリメイクという魔法

咲希さんは洋服のお直しもされているかと思いますが、古いものを新しく生まれ変わらせるリメイクにも力を入れておられます。以前から、リメイクには興味があったんですか?
咲希:昔、服飾の専門学校で勉強していたんです。でも主人と同じアパレル会社で働きはじめてから、服飾という道から逸れてしまって。でも「縫う」という仕事がしたいと思っていました。それで、洋服のお直しの世界に入ったんです。
「洋服のお直し」という「リメイク」とは、また違った世界に入ったんですね。
咲希:その当時はまだリメイクという仕事をやるだなんて、正直あんまり考えていませんでした。orioriを開業すると決めた時も、リメイクではなく、洋服のお直しのお店にするはずでした。リメイクをしようと考えたのは、「着物とか帯とかすごくいいものなんだけど、捨てられないし、タンスの奥にしまってある」というお話をよく耳にしていたからです。だったら着物や帯を現代の生地と合わせて、小物やカバン、帽子などの生活に取り込みやすい商品に変えると、「世代を越えて受け継ぐ」ことができるのではないかと思いました。
ばあちゃんの帯を使った小物を孫が持つとかね。現代のものと混ぜて、何か価値をつけて、新しいものにできるのが、リメイクだと思っています。

喫茶店をしながら、リメイクのお仕事をするのは大変ではないですか?
咲:はい、大変です。めっちゃ困っています。(笑) リメイクの仕事は営業中にはできないので、営業終了後とか夜にすることが多いんです。喫茶店が思いのほか繁盛してくれていますので、ありがたいですが、時間の使い方をこれから考えていかなくちゃいけないなと思っています。

リメイクを通して、みなさんにどういったメッセージを伝えたいですか?
咲希:例えば洋服とか着物とかでも、「古いからゴミにする」とか、「着られないけど、捨てられない」ものって、服や布の価値がその時点で失われています。でもひと手間加えるだけで、新しいものに変わり価値が生まれます。次世代に繋げる喜びを感じてもらいたいなと思っています。
すごいですね。使われなくなったもの、いわゆる不用品と言われる存在に、再び価値を与えることが出来る魔法が古物商であり、リメイクなんですね。
自分の目線で人と付き合える町、古湯温泉街。

お二人は東京で住んでいらっしゃって、移住をする決断をしたと思うんですけど、富士町の古湯温泉街に実際に住んでみて、初めての田舎暮らしはいかがでした?
洋志:移住先を富士町古湯に決めてよかったと思います。区役とか集落行事などで地域の方々と交流するときなんかも「移住者だから」という括りで見られない。それが本当に助かっています。それに僕たちの仕事への理解をしてくださっている感じがしますね。
咲希:この古湯って昔から商売人が多い地域なんです。それもあって私たちの仕事を理解してくださる方々が多くいます。お店の開店日と区役の日が重なってしまう時があるんですけど、みなさんが「無理のないようにね」と優しく声をかけてくださいます。
移住してきた二人から見て、この古湯温泉街は、どんな地域だと思いますか?
咲希:みんなで共存している町って感じがします。
洋志:地元の方々は、自分の考えをちゃんと話してくれますし、僕たちの話もちゃんと聞いてくださいます。何か集落で決め事をする時なんかは、言いたいことを言う感じなので揉めることもあるけど、ちゃんとイエスもノーも言える環境があることがいいなと思います。東京で住んでいた頃は、うやむやにすることって多かったので。この富士町の古湯温泉街は、そういった意味で、地元住民も移住者も同じ目線で人付き合いができる町だと思いますね。

これから移住を考えている方にアドバイスをお願いします。
洋志:僕たちも移住をしてきてまだ間もないので、アドバイスすることもあまりないですけど、まずは「移住先の地域で暮らすイメージ」をしてみてください。移住というのは、移住することが目的ではなく、そこで暮らすことが目的です。だからこそ、自分がその地域に移住してきた時の「こんな暮らしになるのかな」というイメージが大切。そのためにもいろんな地域を見て、いろんな人と交流をすることが大切だと思います。
咲希:移住じゃなくて、「引っ越し」ぐらいの軽い気持ちで来てもらいたいですね。もし富士町が気になる人がいたら、orioriにコーヒーを飲みに来てくださいね。私たちでよければ、いろんな話をしますので。あと古道具やリメイク商品を買ってください! なんてね。(笑)
本日はお忙しい中お時間いただきまして、ありがとうございました。
ー 編集後記 ー
少し壊れたぐらいで「もういらないや」って、ゴミ扱いしていた自分が恥ずかしくなる。私がゴミだと思ってしまう古いものにも長い物語が存在する。取材を通して感じたのは、中島ご夫婦は、古いものの声を聞き、物語を次に繋がるために「可愛い」という魔法をかける魔法使いなんだということ。家族に受け継がれてきたもの、あるいは時間を超えて、存在し続けてきたもの。古くからある道具や布を暮らしに取り込んでみることは、暮らしを豊かにしてくれる方法なのかもしれない。みなさんも、古道具やリメイク作品を取り入れてみませんか?


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<お世話になった取材先>
中島洋志さん、咲希さん
orioriオーナー
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<お世話になった取材先>
中島洋志さん、咲希さんorioriオーナー
中島洋志さん(40)
佐賀県出身。1982年生まれ。20歳の頃上京し、アクセサリーやジュエリーを販売するアパレル会社に就職。同じ会社で奥さんと出会い結婚。好きなものを追い求めていたら「古いもの」だった。コロナ禍で移住を決意し、奥さんと一緒に2021年移住。咲希さん(35)
千葉県出身。1987年生まれ。学生時代は服飾専門学校で洋裁を学ぶ。アパレル会社や、洋服のお直しの仕事をする中で、「いつか夫婦でお店をやろう」となり移住を決意。主人と一緒に2021年移住。oriori(オリオリ)
住/佐賀市富士町古湯633-1
電/090-1360-0952
営/10:00-18:00 ※SNSで確認
休/木曜+不定
P/あり
IG/oriori.furuyu




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

