ご縁がつながり佐賀のお山でフレンチを。湖畔を眺めながら、贅沢なひとときを No.038 café &restaurant オーボーデュラック 德山研一さん
- 2021.10.31
- written by 鵜飼 優子

さが21世紀県民の森にあるフランス料理のレストラン「オーボーデュラック」。広い店内とテラス席からは湖畔が見え、心地よい空間が広がります。
今回は、そのオーボーデュラックのオーナーシェフである德山研一さんにお話を伺いました。德さんの愛称で親しまれるシェフは、ここでお店をされるまでどんな道をたどってこられ、そしてどんな思いでレストランをされているのでしょうか。
記事を読んで、さらに德さんのお料理を味わっていただけたらと思います。
ことを任せていたらあれよあれよとお店をオープンすることに

本日はよろしくお願いします。オーボーデュラックはいつオープンされたんですか?
2020年の2月14日だね。前の年の夏に、「旅するクーネル」のよしおさんがここの話を持ってきてくれたんだ。
お店を開く場所を探されてたんですか?
実は、ずっと佐世保で物件を探してたんよ。ここを始める前、佐賀市内で雇われとしてシェフをしていたんだけど、そこを辞めて自分でお店をしようって思ってね。でもなかなかいい物件に出会えなくて。
そんなときによしおさんから声がかかった?
そう。佐賀のお山に来た事はあったけど、さが21世紀県民の森やもともとここにあったレストラン「ほおのき」のことは知らなくて。代表の人と話す機会を設けてくれた、その時に初めてここに来たんだ。
来てみてどうでしたか?
気持ちの良い場所だなって思った。もともと水辺でお店をしたくて、川や海の近くの物件を探していたんだよね。ここへ来てみたら、テラスから湖が見えて。
そうか、湖も水だなって(笑)
確かに山だけど水辺ですね。実際に訪れて、ここでお店をしようってなったんですか?
うん、即決やったね。もともと和食のお店が入っていたからしっかりした調理場もあって、居抜きで使えるとのことだったんだ。条件も聞いてそれならって! 店内は少し広すぎるかなとは感じたけど、イベントもしたいなって考えていたから、よかった。

即決だったんですね。そこからお店の準備ですよね。
そう。ここ、さが21世紀県民の森に遊びに来た人に提供するイメージでメニューを考えて。次に、料理に使う道具を準備して……何より店内よね。話をもらったときは、ザ・和風の店内だったから、さすがにフレンチを提供するにはと思って……全部入れ替えたね。椅子と机は、いろんなアンティークショップを回って集めたよ。

店内の椅子や机は德さん自身のチョイスなのですね! メニューはどうやって考えられたんですか?
そう! 自分であちこち周って調達したから、椅子と机は全部、種類が違うんよね。
メニューは、最初何にしようか迷ったね。「フランス料理」っていうのは決まっていたけど、カレーも好きだし、パスタも好きだし、コースでいくか、単品でいくか。
カレー、パスタ、ガレットをそれぞれ3種類は置きたいって思ったけど、1人じゃさすがに回せんよね。

それぞれ3種類って楽しみだけどおひとりだと難しそうですね。メニュー決めはどんなところが1番悩みますか?
メニュー考えるのって、産みの苦しみよね。やっぱり旬のものや地元のものを使いたいって思うから。あとは、仕込みと仕上げ、提供のしやすさも大事だね。食材が被らんようにも気を使ってるね。
なるほど。食材だけなく、調理の仕方なども大事なんですね。
そうだね。調理は全部1人でやっているから、いかにスムーズに提供できるかだね。
毎週、買い出しへ行っていて、その時々で旬ものを使っているから、週によってメニューも少しずつ変化があるね。

旬を味わえるメニューなんですね。メニューの中で好評なのはなんですか?
好評なのは自分でもびっくりなんだけど、ガトーショコラかな。それとコースの前菜は一目見て「わあ」って驚いてくれるね。個人的に太良の金星ポークを使ったローストポークは旨いって思ってるよ。
德さんの料理はどれもおいしくて、思い出すだけでよだれがでます(笑)
化学の世界から料理の世界へ

德さんはいつから料理人を目指されたんですか?
実はずっと料理人になりたいと思っていたわけじゃないんよ。地元は熊本で、大学で福岡に出たんだけど、その時は教員を目指していたんよ。学科は、理学部の化学科。僕、理系男子なんです(笑)
理系男子(笑) そして先生を目指されていたんですね。
そうなんよ。父方の兄弟やいとこが教員だから、小さい頃から周りに教員が多くて、自分もなるつもりでいたんだ。だから大学でも教員免許の単位を取っていたんだよね。
そこからどうして、料理人に?
もともと大学院まで進んで、教員免許の単位を取るつもりだったんだけど、4年生の時に「あれ?このまま先生になるのってなんか違うな」って思って。
そこから進路変更よね。大学院までいかずに4年で卒業して、もともと好きだった料理を学びたいと思って、大阪・阿倍野にある辻調理師専門学校へ入学した。

すごい、方向転換ですね。料理はずっとされていたんですか?
うん、料理はずっと好きだったし、両親ともに食事に気をつかう人だったんよね。だから、子どもの頃から今でいう「食育」を受けていて。体調を崩した母が一時期通院していた病院が、食事療法を取り入れていて、玄米菜食をしていた時期もあったよ。
食を大事にされるご両親だったのですね。
そうね。大学生になって一人暮らしをするときも、「自分でしっかり自炊しなさいね」って両親から言われて、毎日自炊してた。
男子大学生の一人暮らしで毎日自炊ってすごいですね。
僕自身、料理することが好きだったしね。オーケストラのサークルに入っていて、みんなで飲むときにいつもアテを作ったりしてたよ。初めてフランス料理もどきを作ったのもその時だったな。
おお! フランス料理はどんなのを作ったんですか?
誕生日プレゼントのお返しにフレンチのコースが食べたいって友達に言われたから、家から持ってきていた料理本を見ながら、見よう見まねで作ったのが最初だったな。今思うとあれでよかったのかって思うけど、その時は好評だった。
調理師専門学校はどんな感じなんですか?
学校は、調理師免許が1年で取れるカリキュラムになっているから、和洋中、全部習ったね。座学では、先生が実際に調理するのを見て、勉強する。教室に調理台があって上には鏡がついているから、先生の手元までしっかり見られるんよね。(今どきはビデオで見られようになっているそう)座学で学んだものを、今度は実習で自分たちで作っていく。
フランス料理も学ばれたんですか?
そうね。1年のカリキュラムの中でフランス料理も学んだんだけど、もっと専門的に学びたいって思った。2年目はそれぞれの料理をさらに深く学べるコースがあって、しかもフランス料理のコースは、本場フランスで学べるのね。本場で学びたいって思ったから、フランス語を一生懸命に勉強しよったね。

なぜフランス料理を選ばれたんですか?
まず、和食は料理の世界の中でも一番人間関係が厳しいから、その縦社会にはついていけないなって思って。中華はとても好きなんだけど、中華料理人を極めようと思ったら、食材の単価がどれも高すぎて。それに和食、中華ともにけっこう砂糖を使うんよね。実家で玄米菜食をしていたときに砂糖が一切禁止だったから、それがひっかかって。和食が消え、中華が消え…。結局ヨーロッパへの憧れもあって、フランス料理になったね。
素人質問ですけど、フランス料理はイタリア料理とはだいぶ違うんですか?
そうね、雰囲気が違うね。イタリア料理とスペイン料理は似ていても、フランス料理は違うんよね。歴史的にフランス料理は、王様に向けた華やかな料理が多いかな。
あと、イタリアは土地が肥えているから、シンプルな料理が多いよね。日本に近いかもしれない。フランス料理の世界には、 パリ・ホテルリッツの総料理長のオーギュスト・エスコフィエによってまとめられた「料理の手引き」という本があるんだ。王様向けの料理も家庭の料理、地方料理もひっくるめて、全部を体系づけてまとめてある。フランス料理の料理人は、それをもとに料理を作っているんだよ。フランス料理の命といわれる「ソース」についても詳しく書かれている。
なるほど。フランス料理は、ソースが命なんですね。実際にフランスへわたっての勉強はどうでしたか?
楽しかったね。めっちゃ遊んだね、遊んだ覚えしかないくらい(笑)
授業は月曜日から金曜日まであって、土日が休みでいろいろ食べ歩いたね。
本場の味はどうでしたか?
思っていたほどの違和感は無くて、全部おいしいって感じたね。食べ歩きは美味しくて本当に幸せだったな。しかもお金は親が出してくれていたしね。フランスでカードを使って食べ歩きしている間、日本でどれだけちゃりんちゃりん落ちていたか(笑)
すごい、幸せな1年間だったんですね(笑)
もちろん授業ではしっかり学んだよ。半年は学校で学んで、残りの半年は実地研修だからフランス料理店で実際に働きながら学んだね。
フランスでの修行を終えて、地元九州へ。

そんなフランスでの研修を終えて日本に帰ってきてからは?
フランスにいる間に学校から就職先の希望調査があったから、第1候補、第2候補は東京のお店を書いて、第3希望に長崎県のハウステンボスを希望してたんよね。
最初に第3希望のハウステンボスから求人が来て、残りの求人は来るとも限らないから、フランスにいる間にハウステンボスに決めたんだ。
いよいよ料理人の世界へ踏み入れられたのですね。
ハウステンボス内にあるホテルの料理人として仕事が始まって、寮生活がスタート。普通、ホテルの料理は和洋中どれもあるんだけど、ハウステンボスはオランダをイメージしたテーマパークだったから、ヨーロッパを突き詰めるって形で、料理はフランス料理しかおいてなかったんよ。

じゃあ完全にフランス料理専門なんですね。入社してさっそく料理させてくれるのですか?
そうね。僕が所属したのはハウステンボス内のメインのホテルで、400人泊まれるホテルだったんよね。入社した年はハウステンボスができてまだ3年目だったから、稼働率は毎日100%!150人ぐらいが1泊2食付きで食事をされるから、毎日結婚式があってる感じだね。
わあ!すごい。じゃあどんどん作るわけですね。
そうね。だから料理人もけっこう多かったね。所属のホテルだけで、20人くらいいて、シフトが3交代制だから、同時に10人は出ていたね。コース料理を分担してひたすら作ってた。
ハウステンボスはどれくらいの期間、勤められていたんですか?
ハウステンボスは25歳になる年で入って、40歳で辞めたから16年もいたね。
料理をひとやすみしようと思っていたけど……

ハウステンボスを辞められてからはどうされたんですか?
縁があって、佐賀に来ることになって、そこからいろいろあったな(笑)
最初佐賀市内で雇われて、料理人をしていたんだけど、オーナーとうまくいかなかったのもあって、一度料理から離れようと思ったんよね。
そうだったんですね。料理から離れて、別のことをされたんですか?
そう。料理と関わらないことをしようと思って、派遣会社に登録したんよ。どこかの工場でも行くんだろうなって思っていたら、みつせ鶏のヨコオの工場だったのね。
みつせ鶏の工場だったんですね。
そうなんよ。食肉って料理にも関係あるし、しかも、みつせ鶏の親鶏はフランスから輸入される鶏なのね。
フランスにもゆかりが!
そう、だからね、料理にもフランスにも、僕はやっぱり縁があるんだなって思って。そこから1年くらいはヨコオでお世話になりました。
そのあとは、料理界へ復帰されたんですか?
そうだね。ヨコオで働きながら、時間があればお店を探して、食べにいったり、ワインを飲みに行ったりしていたのね。そのときに出会ったワインバーのお店があって、たまたま料理人を探しているという話になって。そこで「ぼくがやりましょうか」って。

ワインバーの料理人として、復帰されたんですね。
そうなんよ。で、何年か勤めたけど、ワインバーって夜の時間が不規則だから、そろそろ辞めて佐世保に戻ろうと思って。佐世保で物件を探しながら、知り合いのお店の立ち上げも手伝っていたんだ。
そこからどうなったんですか?
佐世保ではなかなか良い物件が見つからずに、思ったより長くそのお店を手伝っていたんだけど、辞めることになって。いよいよ佐世保に戻るぞって思っていた時に、よしおさんがここの話をもってきてくれたんよ。
冒頭の話に戻るわけですね。ご縁がつながっていきますね。
そうだね。やっぱり料理関係のご縁だね。
料理から離れられて、やっぱり料理が好きだなって思われたんですか?
料理自体が嫌いで離れたわけじゃなかったしね。自分はどんなスタイルが良いか悩んだけど、結局それとは違う方向へ事は運んでいって、おかげで今がある。だから無駄に考えすぎてもしかたがないなぁって思う。「明日のことは明日の私が心配します」だね。
湖畔にて、オーボーデュラックで美味しい料理を

オーボーデュラックってどういう意味があるんですか?
「湖畔にて」って意味なんよ。まさにここは、湖のほとりでしょ。名前考えるときいろいろ悩んだんよ。けんちゃん食堂とかね(笑)
けんちゃん食堂からフランス料理がでてきたら、ギャップありますね(笑)
だよね(笑)あれこれ考えて、僕が好きなお店を考えていたら、「オー」ってついているお店が多くて。
「オー」だけだと、「〇〇にて」って意味なのね。それで「湖畔にて」の意味で「オーボーデュラック」にしたの。フランス人の友達にも聞いてみたらいいねって言ってくれたから、よし決まりだって。
それでオーボーデュラックになったのですね。德さんがこれからやっていきたいことってありますか?
そうね。このお店をちゃんと回したいね。今、経営がどんぶり勘定なところもあるから。
冬場の閑散期には、テイクアウトを考えたり、ジャムとかソースの物販もできるようにしていきたいね。
最後に、もし德さんのところで料理を学びたい人がいたら?
僕が学んできたことでよければ教えますよ。弟子をとるってまでは、大げさだけど、一緒に料理できる人がほしいね。そしたら、料理の幅やテイクアウト、物販にも力入れられるだろうし。
今後の展開がさらに楽しみですね。德さんのおいしいお料理がたくさんのひとに届きますように。本日は貴重なお時間ありがとうございました!
ー 編集後記 ー
德さんのお料理は、ほんとに美味しいんです。記事にも写真がでてきていると思いますが、見た目も美しくて、食べながら心が躍ります。お店のロケーションも抜群で、お料理と景色が楽しめて、最高です。ご縁がつながり、佐賀のお山でお店を出されて德さんに出会えてよかったです!あれこれ考えすぎず今日を生き、軽やかに世を渡っていく德さんの姿が印象的でした。今後の展開もとっても楽しみです。


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<お世話になった取材先>
德山研一さん
café & restaurant オーボーデュラック
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<お世話になった取材先>
德山研一さんcafé & restaurant オーボーデュラック
〒840-0542
佐賀県佐賀市富士町大字藤瀬724-4090-8228-9676
サイト:https://www.auborddulac.net/
インスタグラム:https://www.instagram.com/au.borddu.lac/
熊本県出身。大学で福岡に出て、理学部化学科で教員を目指す。4年生の時に料理の道へ進みたいと進路を変更し、大学卒業後、辻調理師専門学校へ入学。1年で調理師免許を取得し、2年目でフランス校へ。本場でフレンチを学んだ後に帰国し、ハウステンボスへ入社。ホテルの料理人として16年腕を振るう。ご縁がつながり、佐賀へ。2020年2月にオーボーデュラックをオープンする。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

