指導者であり、修業者。世界へ伝える剣の道 No.033 武道具専門店「天風堂」店主 田代潤一さん
- 2021.07.29
- written by 鵜飼 優子

佐賀県に来てから、剣道をされている方に出会うことが増えました。佐賀県では、小学校で剣道の時間があるくらい盛んです。
どうしてこんなに盛んなのか。「九州人の気性もあるでしょうね」と答えてくれたのは田代潤一さん。小学5年生から剣道を始め、現在は唐津市厳木町で武道具専門店を経営し、剣道に関わる道具の販売、修理をされています。剣道の称号「教士」と合格率1%という超難関の「8段」を持ち、今も日々剣道の稽古を重ねられています。
日本古来の武道でもある剣道は今や世界大会が行われ、約60か国から剣士が集まるそうで、田代さんは、国内だけでなく、海外での剣道の指導や普及活動、道具の販売もされています。
今回はそんな田代さんにお話を伺い、武道具店を始めるきっかけや海外の方との交流、道具に込める思いなどをお聞きしました。
美しさにこだわって、用具ではなく道具の販売をしたい

本日はよろしくお願いします。まずは現在のお仕事について教えてください。
厳木町で武道具専門店「天風堂」を営んでいます。武道具ですが、剣道が専門なので、剣道に関わる道具はすべて取り扱っています。
また、道具の修理やオーダーメイドの「ほたる」というオリジナル道具の販売もしています。
オーダーメイドで道具を作られているんですね。
そうです。創業当時は既製品を取り扱っていたのですが、より斬新な美しさを表現できるような姿態美と機能性を兼ね備えた道具を作りたいと思いまして。洋服でいえばデザイナーみたいなもので、新しいもので新感覚、今の現代の剣道人に受けるようなものを作りたいと思って始めました。
オーダーメイドは顔の輪郭、目の位置、手のサイズなど、すべて採寸をして、選ぶ(細かく選んでもらう)わけです。胸のデザインとか。選択肢があります。

その人にぴったりな美しさも兼ね備えたのがオーダーメイド「ほたる」なんですね。これは修理される籠手(こて)ですか?
この方は、20年使われていますね。道具に愛着を持って使われている。機械で縫った機械刺しじゃなく、手で職人が縫った手刺しの籠手なんです。
この方も道具に対しての思い入れがものすごく強いわけですよ。ですからこの方たちの使い方は用具でなく、道具なんです。使えなくなったら、新しいものを買うのではなくて、価値あるものを買って、愛着をもち、修理をして長く使う。それが武道の精神に整合してるんじゃないかなと思うんです。

なるほど。用具じゃなく、道具なんですね。
そうです。剣道も道具も「道」じゃないですか。深く歴史を見てみたら、剣道は、練習と言いません。稽古と言います。一般的な練習の意味合いは基本の繰り返し。稽古も基本の繰り返しではあるけども、漢字の成り立ちには「古いことを考える(=古を稽える)」が含まれています。
この道具の持ち主には、それがよくわかってらっしゃるというところです。

剣道の道を一緒に歩む道具ということなんですね。手差しなどはメーカーの職人さんが縫っているのですか?
そうです。メーカーには、道具単品にそれぞれの職人がいて作っています。だんだん職人の数も減ってきていますが、剣道の道具を作るのも立派な日本の手仕事ですよね。日本の伝統的製造文化のひとつとして、剣道の道具を作る職人にも光が当たれば、誇りをもって仕事ができ、技術の継承ができますよね。そうしたら、相乗効果で良い道具ができるんじゃないかな。
特技を生かし、人生の選択肢を決める

武道具専門店を始めたきっかけは何だったのですか?
もともと剣道部がある民間の職場で勤めながら、ずっと剣道を続けていました。
そのあと、地元の厳木に戻ってきて、タクシードライバーをしていた時期があって、色んなお客さんを乗せるわけですよ。客商売で人間の裏表や多面性を知りました。当時タクシードライバーの給料は、けっこう良かったんですね。収入はそれなりに欲しいけど、自分の人生の選択肢として、このままで一生終わりたくないなって気持ちがだんだん出てきて。
でも再び会社勤めで組織に入っても、性格的に向かんやろと思って。この地区には武道具専門店が無いし、まだ30歳くらいでしたので、思い切って武道具店を営もうと思ったわけです。
そこからすぐ始められたんですか?
家族もいましたので、いろんな方に相談しました。そうすると99%、やめておけ、商売とは簡単じゃないと言われるわけです。
さらに剣道というものは礼儀や相手を大切にする精神などもあるのでそう簡単に取引先を変えてくれないということもありました。それでもやはり自分の人生をどう生きるかは、自分で選ぼうと思って、最終的には、妻の「したかなすれば(やりたいならばやれば)」の一言でやろうと決めました。
奥さんの一言が大きかったのですね。
あくまで賛成ではなかったですね(笑)。「私が反対して、『お前が言うたからせんやった』って言われるのが嫌だ」って。

そこから、天風堂をオープンしました。もともとここは私の実家で、農家の小屋があって、その一部屋に在庫を置くだけからスタートしました。
ほとんど買いに来る人はいなかったので、商品を車に乗せて、道場や学校へ営業に行きました。必要な機材や商品を揃えて仕入れをしたら、手持ちが20万しか残らず、これで売れんやったら店を閉めないとだめだという時もありましたね。最近、初心を忘れている(笑)
始めはけっこう苦労されたのですか?
そうですね。毎日、精神的に重たかったですね。ある時、言われたんです。君も剣道してるから分かるだろうけど、剣道って人間形成のためにやっているから、付き合いのある信頼している業者からはそう簡単には乗り換えられんよって言われて、その時は納得しました。
そこからは少しずつ少しずつ、販売先を拡大していきました。でもやっぱり同じ竹刀1本でもより安いほうが売れるんです。それは大量生産で、海外製でコストが抑えられるから。だけど、私は良いものを分かってくれる人に届けたいという信念で続けてきました。
今取り組んでいるオーダーメイド「ほたる」もそうです。
日本製の職人さんが作る道具たち。価値あるものを届け、長く使えるって大事ですね。
価値のあるものをと思い、商売をして、今はおかげさまで海外にまで販路が広がりました。海外の方は、とくに喜んでくれます。オーダーメイドでしかもメイドインJapan。防具をつけて、写真を撮ってくれたりして、感謝してくださる。やっていてよかったと思いますね。

このタグも目立ちますね。
これは、仙厓というお坊さんが書かれたものを参考に、自分で書いてデザインしました。

「心は〇でも△でも□でもない」という。言葉にするとあれですが、私なりの解釈は、心の状態が若いときは□で角があり、だんだん角が取れ△、最後には〇になる。私もまだまだ角があるので、最後には丸くなりたいですね。
海外の方には、〇△□の手ぬぐいと意味を書いたメッセージをプレゼントしています。
剣道との出会い

田代さんと剣道の出会いはいつだったのですか?
小学校5年生のとき、隣に住んでいた兄弟が剣道をしていたのがきっかけですね。それまで剣道とか知らんやった。当時は体も小さかったし、兄たちに遊び道具のように打ち込まれて、どこが面白かと思いよったね。
小学生で始めて、中学校もなんか部活に入らないとなら、剣道でもよか、くらいの気持ちで入りました。
高校1年生の2学期までは、部活入らず。体育祭の練習が嫌で、それを機に剣道部へ入ったけどそっちのほうがきつかった(笑)
やめたいって思われたことはないんですか?
何回もありますよ。高校でもそう思ったけど、先輩が怖かったのもあってやめられなかった。あとは、恩師のおかげだね。今までに3人恩師がいるけど、高校の顧問の先生もその1人で、高圧的には言わない先生でした。問題提起はするけど自分で考えさせてくれる先生で、その指導法が私には合っとったでしょうね。
恩師との出会いは大きいですね。それからは就職先でも剣道できる環境を探されていたんですか?
進学も考えたんです。ただ大学の剣道の先輩に「剣道部は髪伸ばせますか?」って聞いたら1年生は坊主って言われたのでやめました。(笑)どうしても坊主から卒業したい時期で(笑)
剣道部のある民間の会社に勤めました。そこからはずっと剣道しています。
8段はいつごろ合格されたのですか?
48歳のときですね。7段を授与されて10年経ったので、受けることにしました。仕事上、必要ってわけでもなかったのですが、自分の修行している位置づけはどのくらいかと思って受けました。
プロの剣士がたくさんいる中で、自分が合格とかまずありえない。受けることも誰にも言わずに行きました。メンツや失うものは何もなかったと思いますね。
だめでもともと、という気持ちだったのですが、いざ相手と対峙してみると、「来るなら来い、来なければいくぞ」と気迫でのぞめました。
その時に8段を合格されたのですね。
8段をいただきましたが、いつも自分がそういう姿勢でできているかは半信半疑です。剣道は道です。これからも続いていく修行ですね。
道であり、人生なのですね。
厳木町から世界へ

海外で剣道のセミナーもされている田代さん。海外へ行くきっかけ、そして今後はどんな展望があるのでしょうか。
海外でセミナーをされるきっかけは何だったのですか?
それは、私の最後の恩師でもある ⻆(すみ)先生がきっかけです。もともと海外でセミナーをされていて、ものすごく人気がありました。41歳のとき初めてイギリスの弘道館セミナーへ一緒に行きました。それからは毎年行っています。
どのような国へ行かれるのですか?
ヨーロッパやオーストラリアですね。1年に2回は1人で行きます。英国、アイルランド、カタールは、大体2月から3月に40日間滞在します。指導はもちろん、道具の販売もさせてもらいます。そこで国際交流が生まれて、日本に行くなら厳木へと、うちへ来てくれたこともあります。
今後の展望を教えてください。
私自身、剣道には行きつく先はないと思っています。修行は続きます、奥の細道ですね。
修行を伴う日常生活で得たことを今までにプラスして、時代の継承者として、指導者を育成していくのが自分の役目、役割かなと思います。ただ剣道人口を減らさないというのも自分の業種の維持に必要です。
海外へ指導普及のセミナーで行きますが、厳木でも1度しました。それを定期的に開催したいですね。
どんなセミナーなのですか?
海外で知り合った英国剣士が15名くらい来られて、2泊3日で開催しました。廃校になった天川分校を使い、書道教室をしたり、集会所でバーベキューや流しそうめんをしたり。夏場だったので、午前中に稽古をして、厳木温泉で汗を流して、昼食は地元の飲食店でお好みやちゃんぽんを食べるという、有意義なセミナーでした。セミナーの後押しを唐津市に援助していただき、移動のバスや公共の施設の料金は無料にしていただきました。
厳木でセミナーをしたことで唐津市、厳木の宣伝にもなりましたし、新聞やテレビでもとりあげてもらえました。

海外の方も大満足でしょうね。早くまた国際交流ができるようになるといいですね。
私自身も海外へ行ったことで、世界の広さを知り、日本を違う尺度から見ることができました。人との出会いで人生が変わるというのも体得できましたね。だから、少年剣士には将来世界へ出ろと言いたいですね。
世界の方々と交流してみて、改めて厳木町についてどう思われますか?
厳木はなんもないって誰でも言うけど、果たしてそうなのか。だから「Qらぎ」だね。その人が知らないだけでいっぱいある。私も若いときは何もないと思っていたけど、まず自然がある、食べ物がうまい、見るところもある。どこに心を落ち着けられるかじゃないでしょうか。
海外でも緑が少ないところから来られた方は、厳木は緑がいっぱいあって素晴らしいって言ってくださいます。
あるもので新しい発見をして、世界にも厳木を伝えていきたいし、多くの方に来ていただきたいですね。
本日は貴重な時間をありがとうございました。
ー 編集後記 ー
佐賀と言えば剣道。おおげさかもしれないですが、それくらい剣道の話題をよく聞くようになりました。剣道の8段をお持ちで防具店をされている田代さんの話を聞いたとき、どんな方なんだろう?と少し構えていましたが、実際にお会いするとユーモアと美的センスがあふれる素敵な方でした。
剣道の指導へ海外に行かれ、人との出会いを通して、人生が変わっていったとおっしゃるように、海外で感じたことを生かされ、剣道へはもちろん、料理や壁飾りなども手作りされていて、いろんなアイデアを形にされているのが印象的でした。
「剣道は人格形成なんです」と。修業はこれからも続いていき、挑戦し続ける田代さん。私も日々精進していきたいと気持ちが引き締まりました。


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<お世話になった取材先>
天風堂
田代潤一さん
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<お世話になった取材先>
天風堂田代潤一さん
唐津市厳木町出身。小学5年生の時に近所に住む友達がきっかけで剣道を始める。高校卒業後、民間の会社に勤めながら剣道を続ける。地元厳木へ帰って、30歳の時に武道具専門店「天風堂」をオープン。オーダーメイドの防具「ほたる」の販売や国内に限らず、海外で剣道の指導。普及を行う。自身も日々修行に励み、48歳のときに剣道8段に合格。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

