「諦めたら負け。道を進み続けたからこそ見えたもの。」 No.022 岡住建 岡宣和さん
- 2021.02.28
- written by 山本 卓

剣道を愛する山の大工 岡宣和さん(43)。岡住建の経営と、一軒家の建築から住宅のリフォームまでの様々な大工仕事を一人でこなす三瀬在住の大工さんである。「剣道をやっている人は普通警察官などになる人が多いんです。大工になる人って、たぶん珍しいですよ。」と語る岡さん。なぜ岡さんは、山の中で大工という道を選んだのでしょうか? 今回は剣道から学ぶ「山の大工の心構え」についてお話を伺いました。
大工になったきっかけは「佐賀に帰ってきたかった。そして、剣道がやりたかった・・・・・・。」

本日は、よろしくお願いします。「山の大工さん」という肩書で、お仕事されていますが、仕事をする上で一番心掛けていることはなんですか?
お客さんからの注文に「できません」とは言わないことですね。「何とかします!」というように心掛けています。 仕事をしていて「これは難しそうだな」と思う時もあります。しかし、出来なかったことはありません。何とかなりますもんね。
「何とかします」というのは、とても覚悟がいることじゃないですか? できなかった時の不安もあるでしょうから。
僕が、おどおどしてしまったら、お客さんに不安を与えてしまいます。だから「難しいけどできます! 何とかします!」と伝えた方が、お客さんも安心し、信頼してくれますから。

岡さんが、大工になったきっかけは何だったんですか?
従兄弟から「大工見習やってみないか」と誘ってもらったのがきっかけですね。それまで大工になるなんて考えてもいなかった。大工とは全く関係ない教員の勉強をしていましたから。(笑)
そうなんですね! もしかしたら先生になっていたのかもしれないんですね。
ただ、教育実習の時に自分には教師は向いていないなって思って諦めました。教育実習の時の話なんですが、高校生の年齢って、僕と4歳ぐらいしか離れていないじゃないですか。そしたら、僕のキャラ的に、高校生から結構舐められるんですよ。僕も、バシッと言えればいいんでしょうけど、当時の僕は「嫌われたくない」って思ってしまって、バシッと言えなかったんです。その時に「僕は、先生に向いていないのかも」って思うようになり、先生という仕事に魅力を感じなくなっていました。
あと、どうしても佐賀に帰りたかったんです!
なぜ、佐賀に帰りたいと思ってたんですか?
中学生の頃に、仲間と過ごした佐賀での時間が、ものすごく楽しくてですね。大学を出たら、佐賀に帰りたいなと思っていました。それに剣道をやりたかった。
剣道ですか??
小学生の頃からずっと剣道をやっていました。「仕事をしながら剣道ができる環境がないかな」と考えていました。警察官や公務員の方って剣道ができる環境があるので、公務員試験を色々と受けたんですが、そもそも勉強をしてこなかったので、受かるわけもなく。(笑) その頃、就職難ってこともあって、従兄弟から声をかけてもらった大工仕事なら「剣道もできるんじゃないか」と思って、大工見習として修行させていただいたんです。よく考えるとそんな甘いことはなかった。剣道ができる環境ではなかったです。(笑)
大工と剣道の共通点は、気迫にあり?!

大工という仕事をこれまで約20年続けてこられた理由と、学生時代から学んだ剣道の心得には何か通じる共通点的なものはありましたか?
「1つの事を始めたら続けること。途中で辞めたら負けだ」そんな共通点があるかもしれませんね。昔、高校進学のため大阪で寮生活をしていたんですけど。寮生活って刑務所みたいなもので、24時間監視状態。買い物もなかなかできませんでしたし、その学校は、剣道の練習が厳しいことで有名でした。寮から脱走する生徒もいましたし、厳しさのあまり辞める人もいました。
脱走って本当に刑務所みたいな表現ですね。(笑)
当時の仲間と話していると今でも笑い話で語っています。当時のことを思い出すと大工修行中の厳しさなんて全然比にならないです。その当時から「辞めたら負けだ」って思っていたので、今の大工仕事にも剣道をやっていた頃と同じ感覚があると思います。
逃げ出すほど厳しい練習を耐えられるって、すごい精神鍛えられたんじゃないですか?
忍耐力は、ものすごく身に付いたと思いますね! でも僕は特別剣道が強かったわけじゃないし、試合で結果を残したことは一切無いんですが。剣道を続けることで、「何とかなる」と思っていました。大工仕事も同じで、途中で辞めるという選択肢はなかったです。
剣道をしていて、今の仕事に生かされていることはなんですか?
昔、剣道の先生が「剣道にはあいまいな部分が必要だ」と言っていました。というのは、相手へ打ち込むスピードが早くても、一本にならないことがあるんです。それは「気迫」に問題があるんだと思います。剣道をさかのぼれば殺し合いの武術です。面を打ちこむ時に気迫があるのと無いのとでは同じ一振りでも意味合いが違ってくる。審判が一本を判断する上で、気迫の部分も大切な要素なんです。「今先に小手が入っていても、お前は確実に死んでいたよ」みたいな。肉を切らせて骨を断つ。
その気迫の部分が、大工仕事にも生かされていると?
例えば、雨漏りしているお客さんから電話があったとします。すぐに現場に行ったからといって修理は出来ません。その時は、雨漏りの確認をするぐらいです。その時に現場へ行くか、電話で済ませるかで、印象が全然違ってきます。僕が現場へ行くことで、お客さんが「岡さん。来てくれたんだね」と安心してくれる。相手の気持ちの部分が変わってきますよね。剣道の一本に対する気迫と、大工仕事でのお客さんに接する気持ちには通ずるものがあると思います。
修行中に感じた疑問。親方の「見て覚えろ」はなぜ重要だったのか?

大工見習として修行されていたと聞きましたが、修業ってどんなことをするんですか?
ざっくりいうと、掃除か、ノミを砥いでいたぐらいだったじゃないですかね。(笑) 大工見習を5年と、その後1年間はお返し奉公という形で修行していました。その見習い期間の5年間は今思えば、ほとんど仕事という仕事をしていなかったかもしれないですね。
見習い当時は、まだ学生感覚で「行ったら誰か教えてくれるだろう」と軽い感覚があったんでしょうね。掃除をしていても「またお前そんなことやって」みたいに怒られていlましたね。職人って見て覚えることがほとんどなんですよ。その当時の親方もひとつひとつ丁寧に教えてくれる人ではなかったですし、兄弟子から「一度は教えてやる。だけど2回目3回目はないぞ」って。1回で覚えられるわけがないけれどね。(笑) だけど、そのぐらいのプレッシャーとやる気で仕事をしなさいよって事なんだと思いました。
プレッシャーの中、修業をするのは大変なんじゃないですか?
人は追い詰められれば何でもできます!(笑) それに僕は、剣道をしていたからだと思うんですけど、忍耐力はあったんだと思います。やっと仕事をさせてもらえるようになっても、大工仕事のすべてができるようになったわけではありません。独立後に修行時代の仕事内容や段取りの仕方など、思い出しながら山の大工として働いてきました。
修行当時、疑問というか、モヤっとした気持ちはなかったんですか?
「なんで教えてくれないんだろう」とは思っていました。今思えば、僕みたいな学生上がりの甘っちょろい考えの奴が「お願いします」って、突然現れたら教えないですよね、絶対に。(笑) それに家作りをしている時に瓦職人さんとかにも「見て覚えなさい」って言われていましたが、そんな時間あるわけなかったんですよ。だってその間ジーっと見ているわけにもいかず、自分の仕事をしなくきゃいけない。見ている暇がないんです!
それに大工仕事ってマニュアルみたいなものがあるわけでもないですもんね。
そうなんです。実際に自分で作業をしてみないと、何をしたら成功するか、何をしたら失敗するか分からない。見て覚えて、自分でやってみることの大切さ。身に付くってそういうことだと思います。親方や兄弟子たちの「見て覚えろ」って言ってくれていたのは、今思うと、僕に自分で考える場を与えてくれていたんだと思います。
「見て覚えろ」には大工としての教育論みたいなものがあったのかも知れないですね。
山の大工の道の先にあるのは、若手に「生きる術」を身に付けてもらいたい。

これから佐賀のお山に移住をしたいと考えている方にメッセージをお願いします。
まずは興味本位で全然かまわないので来てもらいたいと思います。そこで住みながら自給自足をしながら家を建ててもいいでしょうし、自分のやりたいことを自由にやってもらえたらいいかなと思います。あとは都会から佐賀の山に来たいという人には「安い土地はいっぱいあるよ」ってアピールはするけど、よっぽど条件が合わないと来ないだろうけどね。いかんせん都会より不便ですから。なので、不便を楽しむことができるのかを考えてもらえたらと思います。でも、あんまり不便すぎるとやっぱり不便ですよ。(笑)
もし岡さんのところで大工になりたいと思う方がいたら弟子入りOKですか?
やる気のある方でしたらいいですね。自分が弟子の頃って実際に作業させてもらうことが少なかった。なので、独立してから毎日が勉強です。これから弟子として来てくれた人に伝えたいことは……。あ、特別教えないと思います。「見て覚えろ」って言います。技は盗んでもいい! だが、物は盗むなよって。(笑)
大工を志す未来の弟子の方へ心構えとして伝えたいことは?
仕事をしていくと必ず失敗する。その時に、なぜ失敗したのか? 次はどういう風に改善したらよくなるのかを、一緒に仕事をしていく中で考えるきっかけにしてほしい。ただ教えてもらうだけでは、自分の身にならないですから。だから「生きる術」を身に着けてもらいたい。大工として独立した時に困らないように。本気になってもらって常にハングリー精神をもって生きていってもらいたいと思っています。なので、修行の契約期間を設けて、その期間内で僕が伝えられることはすべて伝えていきたいなと思います。
生きる術を身に着けていけるかどうかが山で仕事をするには大切ですもんね。
結局自分で食って行かなきゃいけないですからね。ハングリー精神と危機感はないといけないと思います。大工という仕事には定年がない。僕は60になっても70になっても体力が続く限り現場に出たい。残りの大工人生が20年ぐらいしかないと思うと、ぼちぼちやるじゃ済まなくなる。攻めていかないといけないなと思っています。若手の育成にも力を入れていきたいと思います。……。ただ。
ただ?
ただ大工仕事に付いて来られるかどうかということはありますけども。(笑)
忍耐力ですね!(笑) 本日は貴重なお時間いただきましてありがとうございました。
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ー 編集後記 ー
剣道や柔道、茶道など「道」は極めることは、すなわち人をして鍛錬を積むこと。岡さんは大工として鍛錬を重ねることで佐賀の山の中で大工として生きている。今まで大工として歩んできた道は平たんなものではなかった。20年もの間一現場一現場に気迫と熱意が込められていた。岡さんの大工道は、これからも攻めていく気迫に満ちた一手が見られると楽しみでしょうがない。岡さんの人生に一本!


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<お世話になった取材先>
岡宣和(43)
岡住建
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<お世話になった取材先>
岡宣和(43)岡住建
大工歴20年。佐賀県大和町出身。岡住建代表。小学4年生から大学まで剣道の稽古に明け暮れる。体育大学卒業後、6年間の修行を経て独立。一軒家の建築から住宅のリフォームまで地域に寄り添った仕事を行う。




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

