有機農家が営む循環する暮らしと家づくり No.016 田中一平さん
- 2020.10.14
- written by 鵜飼 優子

有機農業とNPO法人運営の2足のわらじで暮らしを営む田中一平さんは、佐賀県に移住して13年目。昨年、新しくお家を建てられ、奥さんと2人のお子さんと快適な山暮らしをされています。環境に配慮した自然エネルギーを使った家のこと、有機農業のことなどを伺いました。
新型コロナウィルスで働き方や行動が制限される今、暮らしや生きることに何が必要なのだろうと、改めて考えさせられる取材でした。持続可能な暮らしを目指し、実践されている一平さんに、より楽しく、より快適に生きられるヒントをもらってみませんか?
よりよく生きるには? たどり着いた有機農業の道。

一平さんが有機農業をするきっかけって何だったんですか?
きっかけは色々あるんだけど、大学を卒業するときには、有機農業をするって決めていて。もともと子どものころから本を読むのが好きで、「よりよく生きるには」みたいなことを違和感なく考えるのが、わりと好きだったのも影響してるかな。
予備校のときの先生の言葉もけっこう印象に残っていて、「人間は、コンビニの敷地くらいの土地があれば生きていけるんよね」と言われて、「なるほどな」とその言葉がヒットして、大学に行って、野菜サークルで野菜を作ったり、田植え体験したりしてた。色々勉強して、有機農業っていう結論に達したんだよね。
有機農業ってよく聞くワードですが、改めてどういう意味ですか?
有機農業っていう定義がない時代があって、俺の師匠たちが第一世代で1971年に「日本有機農業研究会」を作り、定義を作ったんよね。
中国の言葉で「天地有機」ってあって、天地に機有りって読むんだけど、自然界にはタイミングがあるということ。有機農業っていうのは、自然の仕組みを取り入れた農業って意味なんだ。
そのあと平成11年に有機JASの規格ができて、国の制度に基づいて、検査を受けた農家だけが「有機」や「オーガニック」と表示できるってなったんよね。有機JASの資格を取らずに、有機農業をしている農家もいるよ。そういう農家は直接お客さんとやり取りして、販売してるね。
なるほど。一平さんは大学を卒業して、すぐ農業の道に入られたんですか?
そうだね。大学卒業したあと、福岡県筑紫野市にある「むすび庵」で1年間農業研修を受けた。

研修はどんな感じなのですか?
実家が福岡市だから電車で通ってたね。
研修は、朝から晩まで太陽の下で農作業。汗かいて、お腹が減って、ご飯を食べる。夜は自然に眠たくなる。肉体本来の使い方をして、生き物としての在り方みたいな感じの生活だったね。これ以上幸せなことはないなって思った。
すごい……幸せな研修だったんですね。研修のあとはすぐ佐賀に?
研修のあとは、2年間福岡の郊外で米と野菜を作ってたね。そのあと、移住先を色々探してるときに、佐賀の三瀬で頼れる人たちに出会って、佐賀に住むことを決めてね。福岡でも色々候補はあったけど、ぴんと来なかった。もともと三瀬とか富士は、福岡にも野菜を配達に行ける距離だし、条件的にはいいなって思ってた。
有機農業はずっと一人でされてたんですか?
いや、佐賀に移住してからは妻と2人でしてたね。そのあと妻が妊娠したころに、俺が行ってた研修先の後輩が2人移住してきて、男3人でやってた時期もあったね。
男手が3人だったから効率がよくて、1ケ月で80万くらい売り上げてた。組織化せずだったから、上手く続けてはいけなかったんだけど。
3人共同でされていた時期もあったんですね。そのあと一旦、野菜を作るのをやめられたんですよね?
そうそう、ひとりに戻って、妻の久美子も子育てに忙しくて、1年間休もうってなった。米作りだけはしてたけど、野菜作りは休んだ。収入は下がったけど、米だと定期的に田んぼをみて、販売も包んで送るだけだから、野菜より楽だしね。
3人で共同農業やったあと、1人に戻って先が見えなくなってね。余裕がないくらい労働に追われてて、一旦休んで経営改善とかどういう方向で農業をしていくか、考えようと思ったんだ。

野菜作りを休んで、できた時間はどんな風に過ごされたんですか?
今まで行きたかったイベントに行ったりとか家作りの勉強をしたりしたね。自分で※サバティカル休暇って呼んでるんだけど。もともと研修先が有機農家の中でも農業に対してまじめだったから、畑を置いて他のことをすることができなかったし、してはいけないことみたいに思ってた。けど、休んでから農業以外の人とも出会えたし、よかったなって思う。
(※サバティカル休暇:1990年代頃にヨーロッパの企業で生まれた長期勤続者に対しての長期休暇のこと。
「ワークライフバランス」の考え方により仕事だけではない人生における多様な価値観が生まれたことにより、導入された。
長期充電休暇などとも呼ばれ、理由を問わず取得できる。)
佐賀に来て3度の引っ越し。やっと見つけた土地での家づくり

佐賀に移住してから家を建てるまでの流れはどんな感じでしたか?
今の家の土地が見つかるまで同じ町内で2回引っ越していて、全部知り合いづてで家を探してもらった。
最初、住んだ家は、家賃3,000円の茅葺屋根の家。集落のことも何もわからんし、聞ける人もおらんし、行事とかも行くのかどうか悩んで、結局行くしかないみたいな感じで乗り越えていったね。
2件目の家は、間借りみたいな形で住めるよって、荷物とかある状態の家。結局、相続問題で出ないといけなくなって、3軒目の一番長く住んだ家は、実は風呂なしで。その家の風呂は、地域の仲間に手伝ってもらって作ったね。
けっこう訳ありなお家に住んでたんですね!
そう、1件目の茅葺の家が基準になったから、どんな家でも住めるようになったかも。あの家はすき間だらけだったからね。ほんと最近まで、移住者目線で家とか土地とか探してた。
それが今活動しているNPO法人Murarkの移住相談とかに活かされてると思う。
それは貴重な経験ですね。やっと見つけた土地での家づくりでは、工務店にお願いするんじゃなくて、建築士さんと大工さんに直接お願いされたんですよね?
うん、県内の若手の建築士の滿原早苗さん(スムトコ設計)と地元の大工の岡宣和さん(岡住建)にお願いしたんだ。2人は、NPO法人Murarkのリノベーションでも関わってもらっていて、家を作るなら信頼できる2人にお願いしたいと思っていた。

一平さんも家作りにがっつり参加されたんですよね。一平さんが一番こだわった部分はどこですか?
長く持つ家がよくて、でもいずれ壊す時がきたら、ごみにならない家がよかった。ガラスと金属を外せば木と土と紙で、土に還る家……そういう家が理想だね。
多少妥協もして、断熱材やごみになるものもある程度使ってるけど、全部をこだわりすぎて、ひとりよがりになるよりは、関わってくれてるみんなが、楽しく家作りができるように、っていうのを途中からは意識したね。結局、環境に悪いものをゼロにはできんしね。
家の仕組みはほかにどんな特徴があるんですか?
エコロンっていう、家で出た排水を微生物が分解して土に還してくれる仕組みの浄化槽のシステムを取り入れているよ。
(※エコロン:家で出た排水を微生物が分解し、それを土に返す排水循環装置)

他には、石油などを使わず、木や紙などを燃やす木質ボイラーを入れて、家の暖房と給湯に使ってる。家には、一般的なエアコンや石油ファンヒーターはなくて、ボイラーとつながったヒーターで暖をとってるよ。
それから、窓が高性能で2重構造だね。夏は熱い空気を、冬は寒い空気を入れないようにすることで、エネルギーの無駄をさけているよ。家の設計自体も、外から入ってくる太陽の熱で空間が暑くなりにくく、風が流れるような設計にしてもらったから、夏も冬もエアコンがなくても快適に過ごせてるよ。
エコロンやボイラーの部分は作ってくれた2人も初めて取り扱う物だったから、自分でも勉強して何回も何回も話をしたな。実際、工事が始まってからも直接業者さんと連絡をとったり、作業当日も現場に出たり、ひとつひとつみんなで確認して進めていった。

出来上がった家の住み心地はどうですか?
快適だね!! でもまだ途中の部分もあって、電気も自給したいから太陽光パネルを設置したり、外に足洗い場とか野菜洗う所とかも作ったり、色々しようかなって思ってる。まだまだやりたいことはあるね。

―これから更にパワーUPしていくんですね!
弟子も歓迎! うまくマネジメントしていきたい

今後、有機農業は、どんな形を考えられていますか?
今は、少量多品目ではなくて、中量中品目っていうのがいいなって思ってる。
年間10種類くらいの野菜を作って1か月の収入を安定して得られたらと思う。あとは、農業をやりたがってる体力のある人が来てくれたら、うまくマネジメントして、営業もして、コンビとか組織でやれたらって思うね。
なるほど! 弟子も歓迎ってことですね。
うん、大歓迎! 俺もそのほうがいいし、新しく始める人も助かるだろうし、地域にとっても、人が入るきっかけになるしね。仲間とすることでいいインパクトを与えられるかなって思ってる。
今、数軒の有機農家とグループを作って、保育園にまとめて野菜を出すってことをやってるんだ。保育園から1ケ月の野菜の注文リストが来て、グループで連絡を取り合って、野菜を出してる。去年から始めて、ちょうど1年くらい経ったかな。これから野菜を出す保育園が増える予定だね。
すでにグループでも動かれてるんですね。
そうだね。まだ手探りの部分はあるけど。今後は野菜を植え付ける時に、ある程度使う野菜の量がわかるようになるといいかな。
今だと1ケ月くらい前に野菜の注文リストが来るんだけど、そうじゃなくて、「冬の間は、にんじんを毎月10㎏使います」とわかっておけば、その量を種まきできるから、そういうやり方ができたらと思ってる。

あと、今は各農家で行ってる配達を1本化したり、新しい取引先と契約して、朝採れた野菜を集めて配達したり、そういう仕組みを作っていきたいって思う。
野菜って単価が安いし、腐りやすい。立派なにんじんがくると思ったら、小さいにんじんだったとか、トラブルも起こりやすいんよね。それに大量生産でやりたいわけじゃないから、小さくて手間がかかることをいかに効率化するか、その仕組みを作るしかないんよね。
有機農業を通した社会との新しい関わり方

野菜を作るうえで大切にしてることってありますか?
俺は、今農薬を使わずに野菜を育ててるけど、農薬使わないから、いい野菜が育つわけでもなくて、農薬少しくらい使ってるけど、いい土で育って、養分がたっぷりって野菜もある。
だから、俺はただ農薬を使わない野菜じゃなくて、みんなが健康になれるいい野菜を作りたい。
あとは、市場以外の流通も大事だと思っていて、災害が起きたときに何かが足りないってなるのは、やっぱり市場に全部頼ってるからだと思うんだよね。
農家さんから直接買ったりとか、そういう市場以外の選択肢をもって、どちらかだけに頼りすぎないのも大事だと思う。

農家さんから直接買うっていう選択肢は思いつきませんでした。
農家から買うって、ハードル高いよね。俺の中では、当たり前になってるけど、そういうアプローチで、都会の人に野菜を買ってもらうのも、まだまだいけるのか。
開拓の余地あると思います! 農家さんから直接野菜を買えるって、魅力的です。
そうだね! あとは、できた野菜を買ってもらうだけじゃなくて、1年の初めに資金をもらって、作付けして、できたものを送るみたいなスタイルがあるといいかも。それだと、「待ってくれてるあのお客さん」のためにいい野菜作ろうって思えるし。
できたものだけを買ってもらう通常の形だと、農家がリスクを負うんよね。
先にお金をもらうことで、買ってくれたお客さんも、天気とか台風とか気になるだろうし、俺らのモチベーションも上がって、いい野菜が育つし、お互いにいいと思うんだよね。
ーこれからの仕組み作りが楽しみですね!
違うものに出会い、まずはありのままを受け止める姿勢を大切に

暮らしの部分では、他にどんなことをしていきたいですか?
子どもが育っていくステージを一緒に楽しんでいきたいね。色んな経験をしてほしいから、15年くらい家にいたあと、高校から寮に入るのもいいんじゃないかって思ってる。
違う価値観とか環境とか、異質なものに出会うって大事だと思っていて、俺自身も高校2年生のとき、1年間アメリカに留学してすごく良かったから。日本ベースでアメリカのいいところも取り入れたいって思うね。
移住者でもある一平さんから移住を考えている方にアドバイスってありますか?
俺が特殊というか、人それぞれ移住の形が違うから、参考にならないかもしれないけど、まったく違う価値観のところに来るから、一旦は受け止める姿勢っていうのが大事だと思う。
受け止める姿勢ですか。
うん、自分に自信があっても、それは一旦置いておいて、まずは、ありのままを受け止める。その地域のやり方とか習慣とか。
1回受け止めたあとは、自分の積み重ねてきたものを、発揮したらいいと思うんよ。
けど、都会とか別の場所から来て、自分の頭でだけ解釈して、自分は何も変わらないってなると、何しにこっちに来たの?って思うしね。お互い混ざりあったほうが楽しいと思うんだよね。
なるほど! 移住の大事な心得ですね。今後の一平農園の発展も楽しみにしています。
本日はありがとうございました!
ー 編集後記 ー
取材前に田んぼや畑のお手伝いをさせてもらい、野菜やお米が成長していくのを見ることができました。元気に育つ野菜を見て、「ただ農薬を使わない野菜じゃなく、いい野菜を作りたい」とおっしゃっていた想いに納得。一平さんが作った美味しい野菜を奥さんの久美子さんがさらにおいしく調理され、野菜も喜んで、家族も健康だなと思いました!
「農村の美しさは、人がずっと手を入れてきたからで、昔と同じように手を入れればまだまだ残っていく風景ってことに気づいて時間軸が見えて、むちゃくちゃ感動して、田んぼを見るたびに泣いてたね。景色の中にずっと続いている時間軸が見えるんよね」というエピソードも印象的でした。何かを知って繋がった瞬間は、喜び以上の感動が待っている。いつか私もそんな経験をしたいなと思いました。


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<お世話になった取材先>
一平農園
田中 一平さん
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<お世話になった取材先>
一平農園田中 一平さん
福岡県福岡市生まれ。2008年に佐賀に移住。昨年、完成した自然エネルギーを使った家に奥さんと2人のお子さんと暮らしている。大学を卒業したのち、1年間有機農法の研修を受け、有機農家として野菜とお米を作りながら、NPO法人Murarkで「持続可能な地域作り」をモットーにコミュニティカフェの運営、空き家の利用、移住相談などをしている。今後は、組織として有機農業の経営や情報発信をし、新たな展開をしていく予定。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

