「佐賀の山で家を買いたい」そんなあなたの相談を受ける三瀬村唯一の不動産屋 No.012 納富隆司さん
- 2020.07.28
- written by 佐賀100編集部

納富隆司さんは三瀬村唯一の不動産屋さんを営んで16年。三瀬だけでなく、山間部、過疎地域、都市部でさえも空き家問題は年々深刻になっています。家や店舗といった不動産は人が営み、暮らしていく上で、欠かせません。納富さんはそんな重要なポジションを担う、お山の貴重な存在です。今のお山の不動産事情から、納富さんが不動産屋さんをはじめるまでの波乱万丈な年月のこと、趣味の音楽のお話まで、たっぷりと語っていただきました。
三瀬村で唯一の不動産屋さん

納富さんは、三瀬周辺のお山で唯一の不動産屋さんという貴重な存在ですよね。
いやいや、そんなことないよ。ただうちしかないっていうだけで。(笑) 何度も辞めようって思ったし、今も思っているよ。去年もちょうど宅地建物取引士の更新のタイミングで、本当に辞めようと思っていました。
辞めずに踏みとどまってくださった理由はなんですか?
やっぱり長年続けてきているから付き合いもあるし、ほっとけない部分もあったからかな。でも、ほんと全然儲からない。まったく仕事が0ってわけではないけれど、こんな田舎の不動産屋さんだと不動産の売買件数なんて、年間で2,3件程度しかないからね。これだけではとても食べていけない。私が不動産屋を続けられるのは年金があるからですよ。(笑)
不動産屋さんのお仕事はやはり不動産売買が中心なんですか?
そうですね。1番大きいのはやはり不動産の売買契約で手数料をもらうことですね。賃貸契約でも手数料をいただきますが、家賃の半月分とかですから、そんなに大きな収入にはなりませんね。
たしかに、お家1棟の手数料の方が大きそうですね。
はい。でも、実はそういった契約よりも、売買したり賃貸したりする前段階の相談の部分の方が仕事量としては断然多いんですよ。売買や賃貸するにも、まずは相続や建物の登記を整えたり、物件自体に雨漏りや水道が壊れていないかなどの調査をしたり……。仲介をする前にたくさんのお金にならない仕事があります。(笑) 場合によっては司法書士さんや土地家屋調査士さんを紹介して、私の手元にはまったく何も残らずに相談だけで終わる、ということもよくあります。よく、「相談料とったら?」なんて言われるんですが、相談料をいただいたことは今までありません。
納富さんの手元に何も残らないのは残念な気がするのですが……。
まあ最終的には、そういったお世話がひょっとすると、うちに物件を頼んでもらえるきっかけになるかもしれない……。なんて言い続けて、一向に売買が増えずに今年で16年ですね。(笑) それでもまあ、ポツポツと人伝えで、納富がなんかしてくれたとなって、ちょこちょこお手伝いすることが多いですね。少しでもお役に立てればという気持ちです。同級生から言わせると、「お前は不動産屋やるならもう少し悪徳にしないと、儲からんぞ」って。確かになぁ、不動産屋さんをやってらっしゃる他の皆さんはよくやってらっしゃるなぁって思います。(笑) ただ、不動産屋って儲かればいいっていう話じゃないんですよね。特に地方は。
田舎の不動産屋は儲かればいいわけじゃない

地方ならではの不動産事情もあるのでしょうか?
そうですね。どこの不動産屋さんでもそうと言えばそうなんですが、地方では、売った人も買った人も、紹介した人も、誰なのかってことを周りみんなが知っているんです。だから、もし、不動産を買った人がお隣さんや地域の方と仲良くできなかったりすると、売った人や紹介した人も「なんであんなやつに売ったんだ」と言われてしまう。もちろん買った人も「こんなことなら買わなきゃよかった」ってなってしまう。たとえば、その地域のお祭りや草刈り区役などに出てくれないとか出たくないとか……。
なるほど。売買して終わらずに、そのあとの地域との関係性がどうなるかを放っておけないわけですね?
そうなんです。田舎の人って、どこでもそうかもしれないけど、自分達の環境にはまってくれないと満足しないんですよ。
でも今の時代、都会に住んでる人が田舎に来て、田舎の条件を全部受け入れるっていうのはちょっと無理だと思うんです。自分も東京や福岡に行ってこっちに帰ってきた時に、多少の違和感は持っていたから。そうすると、5割5割ぐらいで我慢してよっていうのが私の持論です。だから、買う人にも、売る人にも、環境や状況をきちんとお伝えします。そのうえで、買う人には、なんでもかんでも田舎の人の言うことを聞かんでいいですよ、でも半分は理解して受け入れてね、と説明します。不動産は10円、20円じゃないから。あとが大事なんです。
買い手と売り手に、地域まで……、なかなか大変なお仕事ですね。
あっちもこっちも気にしなきゃいけないから、本当は性格的にはあんまり好きな仕事じゃないかもしれんな、と若いころはとくに思っていました。(笑)
そうなんですか? 納富さんにしかできない仕事だと思いましたが……。
今は、歳をとったから「歳で忘れた」といって忘れていいのよね。(笑) そういう逃げ道ができたので、できるだけ気にしないでできるようになりました。とはいえ、やっぱりあとのことは気になりますね。
契約の終わった後、住み始めてからもトラブルがあるたびに相談されそうですね。
それはありますね。特に最近多いのは水の問題かな。昔の家ほど、浅井戸が多くて、大腸菌とか一般細菌とか出てしまう。そもそも水が出なくなったっていう問題もありますね。そういうトラブルが起こると、大家さんと借りた人の間を仲介しないといけない。そういう人間同士のいざこざの時、若い頃は「何をあんた我慢せんね」とかって言えたけど、今はなかなかそういうのが言えなくなりました。
「我慢して」と言えなくなったのはなぜですか?
どっちの気持ちも分かるからかな。どっちにもよくしてあげたい。でも、どっちにもよくってちょっと体裁よすぎるよね。(笑) どっちかにある程度は我慢してもらわないとね。そういうことが起きると、そのあと仕事をしていく上で、勧めるにも勧めにくくなったりする。だから、その分しっかりと準備するようになりました。どちらにも最初からある程度理解してもらうために。ただ、そうなると、契約するのに時間がかかってしまう。それで結果、諦められることもある。なかなかうまくいかないものですね。(笑)
貿易会社、温泉施設の支配人、村議会議員まで……! 不動産屋さんをはじめたきっかけは?

納富さんは不動産屋さんの前はどんなお仕事をされていたんですか?
実は結構その時々いろいろ渡ってきています。(笑) 少しかいつまんで自分の経歴をお話すると、18歳で高校を卒業して神奈川に上京するところからはじまります。
関東でもお仕事をされていたんですね!
紆余曲折あったのですが、友人のお兄さんがやっていらっしゃった貿易の会社で6年ほど働きました。部長以上がみんな外国人で、今考えるとすごい経験でしたね。でも、その会社が急につぶれてしまって。どうしようか迷ったのですが九州に帰ってこようと思い福岡の大手放送会社の不動産部に中途採用で入りました。
そこから不動産のお仕事とのつながりが生まれたんですね!
そうですね。それが26歳の時でした。1年目に宅地建物取引主任者(現在は「宅地建物取引士」)の試験を受けて。当時は高度成長期の第1歩目ぐらいで、とにかく土地がすごく売れる時代でした。でも、そのあと数年で、親父から帰ってこいと言われ、30歳の時に三瀬に帰ってきました。
三瀬ではどんなお仕事をされていたんですか?
実は叔父が電気部品の会社をやっていた縁で、無線関係、つまりは電話機を作る会社を三瀬で立ち上げることになったんです。それで、30歳の時に九州エレクトロニクス三瀬工場っていう工場を立ち上げました。電話機を1日3,000台くらい作っていましたよ。
すごい! そんなこともされていたんですね!
いやいや。実はこの会社を結局わずか16年でつぶしちゃったんですよ。というのも、中国に生産関係の仕事を持っていかれる時代に入ったからなんです。コストダウンということでうちの仕事は2割、3割、5割……と、どんどん中国に持っていかれてしまった。それで、46歳の時にその会社をつぶして、当時出来上がったばかりの「三瀬温泉やまびこの湯」の支配人になったんです。(以下やまびこの湯)
※「三瀬温泉やまびこの湯」は、三瀬村にある日帰り入浴施設で、福岡方面を中心とした観光客や地元の方の憩いの場となっている。
ええ! やまびこの湯の初代支配人だったんですか?
そうです。(笑) その頃、三瀬で1200m掘ったらお湯が出てきたということで、温泉施設ができたんです。私自身、工場をつぶした身だったので、従業員の方たちの仕事を探したりしていて、自分に支配人として声がかかったときには悩みました。でも、自分自身もご飯を食べていかないといけないので。迷った末にお世話になり、7年間やまびこの湯の支配人を務めさせていただきました。
今も土日は観光客で賑わいますが、当時はすごい人気だったんじゃないですか?
当時は、ちょうど温泉ブームで日帰り温泉がすごく流行っていた。オープンして最初の3か月はとにかく忙しくて。朝6時から夜の2時、3時まで、休む間もなかった。毎日1,000人を越えるお客さんが来ていました。やまびこの湯で三瀬は一躍有名になりました。成功例として、あちこちから視察にも来られていましたね。立ち上げから7年間、忙しかったですが、本当にありがたい環境で仕事をさせてもらいましたね。
思わぬ流れですが、支配人のあとに不動産屋さんになられたんですか?
実は、支配人を辞めた後、2年半だけですが、村議会議員をしていました。
なんと議員までされていたのですか……!
佐賀市との合併前の短い間だけですよ。(笑) 当時、現職の議員さんの中に次の選挙に立候補されないっていう方が何名かいらっしゃって。合併前でこれから大変だっていうときだったので、それなら立候補しようって思ってやまびこの湯を辞めたんです。地方議員は兼業のことが多いですし、私も議員をずっと続けるつもりではなかった。それで、議員の他にもう1つ仕事を持っていないと、と思い。宅建の資格を持っていたことを思い出したんです。
不動産屋さんにたどり着くまで、波乱万丈にいろいろなことがあったんですね。
そんなに大志を抱いていた訳じゃないんですよ。本音はその時々現実をどう乗り切ろうかっていうのが大きかったんだと思います。(笑) 不動産に関しては、温泉に来たお客さんから「三瀬っていいね、住みたいな。土地とかないの?」っていう声がよく耳に入ってきていたので、不動産業を立ち上げるのもタイミングとしてはいいのかな?っていう気持ちもありましたね。とにかくいろんな方に巡り合い、恵まれてきたんだと思っています。
半農半不動産!? 三瀬で最後に残るのは田んぼ?

ところで、納富不動産さんには立派な音響機器やギターがたくさん置いてありますね!
いろんなものが置いてあるから、もう何屋さんなのかわからないよね。(笑) 音楽が昔から好きで、この事務所でも毎週練習しています。ありがたいことに、毎年僕の子どもと同い年くらいの若い人たちと一緒にコンサートをさせていただいています。もう僕は戦力外だと思いながらも好きでやっていることなので嬉しいですね。うちの子もそうでしたが、三瀬の子どもたちは剣道をする子が多くて。練習試合とか、しょっちゅうマイクロバスを運転して連れて行っていたので、いまだにみんな呼び捨てで呼べる関係ですね。
素敵な関係性ですね。ご自身の世代はもちろん、若手世代とも、打ち解けた関係なんですね。
そうですね。とはいえ、まだまだ昔の田舎気質が三瀬には残っているので、なかなか僕の世代と若い世代では打ち解けられないところもあるかも。僕らは身体が動かなくなってきた分、ついつい横着に若い人にいろいろ言うばっかりだから。若い人もそう言われると、一緒にやっても面白くなくなってしまう。
自分たちにも若い時があって、親父さん世代になんだかんだ言われたりして。それを思い出せば、文句ばっかり言わんで、「そうか、やるだけやってみろ」ぐらいのことは言えるようじゃないとね、と思っています。
そんな納富さんだからこそ人が集まってくるんですね! 不動産屋さんには後継ぎの方はいらっしゃるんですか?
うーん。ちょっと他の方には引き継げないかなぁ。やっぱり、この仕事だけでは食べていけないからね。実務自体はやりはじめればそんなに難しいこともないです。だから、資格をとって自分でやってみようという方がいれば、何らかのおつなぎはできると思います。不動産屋1本じゃなく、何か別の仕事と掛け合わせるんだったらいいかな。いろいろ衰退していく中で三瀬で何が残るかっていうと、田んぼで米づくりしかないかなって思いがあるから農業をしながらとかならいいかもしれないね。
半農半不動産、いいですね!
ただ、不動産の事務所って専任の取引士が常駐していないといけないんですよね! すぐ隣に田んぼがあればやれないことはないかな~?(笑)
なるほど! 田んぼと併設された不動産屋さんって夢がありますね。(笑)
本日は貴重なお時間をいただきありがとうございました。
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ー 編集後記 ー
納富さんの波乱万丈な人生、お聞きしていてすごく楽しかったです。そんな経験があるからこそ、不動産を買う人売る人、若い世代、自分の世代、どちらの気持ちもわかる。現在進行形で悩まれながら、でも進んでいく姿がとても印象的でした。
また、三瀬についても「不便だけれど、四季がはっきりしていて野菜などの食材が新鮮で、住んでよかったと言ってもらえる場所だと思う」というお話もしてくださったので、様々な問題がありつつ、やっぱり三瀬はいいところなんだな、と再確認できました。


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<お世話になった取材先>
納富不動産
納富 隆司さん
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<お世話になった取材先>
納富不動産納富 隆司さん
佐賀県三瀬村唯一の不動産屋である、納富隆司さん。
不動産屋を営む前は、貿易会社、温泉施設の支配人、村議会議員など、多様な職歴を持つ。
不動産の相談はもちろん、その前段階に関する様々な相談にのってくださります。趣味は音楽で、現在も毎週バンドで事務所で練習しているそう!
納富不動産
〒842-0301 佐賀県佐賀市三瀬村三瀬2784−3
TEL:0952-56-2038/FAX:0952-56-2038




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<取材記者>
佐賀100編集部
「佐賀のお山の100のしごと」編集部
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<取材記者>
佐賀100編集部「佐賀のお山の100のしごと」編集部
「暮らすようにはたらこう」 山には暮らしの中に仕事があり、人と人とがつながり、お互いに助け合い、人間臭く生きている社会があります 佐賀のお山にある100のしごとでは、100人の暮らすようにはたらく人たちの地域ならではの暮らし方、働き方、古くて新しい価値観を、丁寧に取材していきます このローカルメディアを通して、佐賀のお山の暮らしのことをもっと知ってもらい、佐賀のお山の暮らしを一緒につないでいく新しい仲間に出会いたい そんな想いで「佐賀のお山の100のしごと」を綴っています

