のどかであたたかい里山で作る 干し柿、お米、お野菜。次の世代へ地域をつなぐ人 川浪農園 No.047 川浪伸洋さん
- 2022.03.31
- written by 鵜飼 優子

秋には美しい里山のあちらこちらに、干し柿の橙色のカーテンが架かる、大和町松梅地区。
その松梅地区の井手の口にある川浪農園の川浪さんも、干し柿を作られるお一人です。家族総出で作られる干し柿は、地元の道の駅での販売だけでなく、全国に発送もされています。その他にお米や野菜も作られています。
そんな川浪さんはもともと農業をされていたわけでなく、ある日、お父さんから農園を受け継ぎます。20a(1aは100㎡) しかなかった田んぼは、高齢で離農する周りの方から次々に託されて、現在350aになっているそうです。
次の世代への地域の繋ぎ方を川浪さんは、どんなことを感じながら日々仕事をして暮らされているのでしょうか。ご覧ください。
お米、干し柿、野菜。川浪農園の今

本日はよろしくお願いします。川浪さんは専業農家として営んでいらっしゃるのですか?
そうです。メインはお米で、あとは干し柿。それとネギやそのほか何種類か野菜を作っています。
お米がメインなのですね。販売はどこでされていますか?
お米は飲食店4店舗に卸していて、あとは地元のものを食べようという取り組みのおかげで、学校の給食にも使ってもらっています。
干し柿は贈答用として自社サイトでのネット販売と道の駅大和・そよかぜ館に卸しています。
松梅は山間部なので斜面を活かした柿栽培が昔から盛んで、うちの父親も作っていたんです。冬の農作業の閑散期だから、その期間を干し柿にしていたんです。寒暖の差があるので、干し柿はジューシーで甘さたっぷりになりますね。干し柿を年中出荷できたらと思って、最近冷凍も始めたんですよ。

先日いただいた冷凍干し柿、とても美味しかったです。1年中干し柿を食べられるのいいですね。どんなこだわりで栽培や販売されていますか?
うちでは葉隠というオレンジから赤色に染まる渋柿を使ってます。やや小ぶりですが丸くて綺麗な形なので贈答用に最適です。手間をかけて干し上がった中から、厳選して理想のものだけを販売していますね。

野菜はどんなものを作られているのですか?
今はねぎですね。たまねぎを植えたり、レタスも育てました。これからかぼちゃも植えていこうと思っています。
―野菜もいろいろと作られているのですね。
そうですね。ただしそれぞれ量は多くないので、販売の仕方を考えないとなって思っています。今、時短のために、カット野菜が増えていますよね。前みたいに野菜そのままだと売れんごとなってきた気がするので、あんな形でアレンジして売るのも必要かなと考えています。
確かに時短って良く聞きますもんね。
世の中の流れが変わっていくので、そこに合わせた販売の仕方は必要だなと思っています。野菜は今後も模索し続けます。
作った後の売り先が大事ですもんね。
そうですね。道の駅大和・そよかぜ館ができた当初は、道の駅の中でも先駆けてで周りにはなかったのでお客さんが殺到して、ものを出せば出しただけ売れていたんですが。
直売所も増えた今はそうではないわけですね。
そうですね。おまけに世の中の動きとして自粛があったじゃないですか。やっぱり人が動かないと、腹も減らないし、ものが売れない状況はありましたね。
たしかにそうですよね。動かないとお腹は減らない。そもそもの人の動きが活発じゃなくなった部分もありますよね。
いろんなやっぱりいろんな影響がありましたね。考えるきっかけになりました。
だれにとっても大きな出来事でしたね。
父から受け継ぐことになった土地と農業。そして頼られる存在に。

川浪さんはもともと農業をされていたのですか?
いえいえ。父が亡くなったのをきっかけに農業を始めました。工業高校を出たあとに就職して、長野におりました。5、6年働いたのかな。30歳のときに帰ってきましたね。
お父さんの後を継ぐことや異業種から農業への転向は大変ではなかったですか?
大変な部分もありましたが、父がしていた畑や田んぼがあって、そのままにしておくのはもったいないと思いましたし、いずれ佐賀に戻ってきたいと思っていたので、巡りあわせかなと。
そうだったんですね。今ではお父さんがされていた田んぼや畑以外もされているとお聞きしました。
そうなんです。父から受け継いだ分以外にも「やってくれんね」と地域の方から声をかけられ「やります」と言っていたら、広がっていきました。皆さん高齢でできない部分がありますしね。田んぼで言うと20aだったのが、現在350aになりました。

すごい、増えましたね。どんどん声がかかったわけですね。
勢いで引き受けてましたね。縁やつながりもあるし、声をかけてもらったら「してみよう」と思っていました。
地域に耕作放棄地がどんどん増えていくのはなんとかしたいという思いがあるので、引き受けていますね。
どこの山の地域も高齢化が進んで担い手は不足していますよね。
このあたりもそうです。なので、外部の方ともつながっていける仕組み、農村ビジネスにも興味があります。集落のものだけでは成り立たなくなってきている部分もありますので。
住んでいる地域でモノやお金が循環して、人も循環していったらいいですよね。

人、モノ、お金の地域での循環ですね。
例えば、農繁期の農業のお手伝いや草刈りなどの仕事をしながら、地域に住んで暮らしていけるような仕組みがあればと思います。
となりの集落では、耕作放棄地にコスモスの種をまいて育てる活動を、地域以外の方とも一緒に取り組んでいます。
なるほど。地域の皆さんだけでなく、外の皆さんも一緒に参加してみんなで作業するっていいですね。
以前、旅行会社とコラボして、この地域を回りながらいろいろと体験してもらうツアーをしたんですよ。皆さんに好評で、特に泊りがけだったので夜真っ暗な中、星空を見た参加者さんがすごい感動されていたのが印象的でした。自分たちが当たり前になっているものにこそ価値があるんだなと気づくことができました。
普段、都会で暮らしている方にとってここでの暮らしや体験は新鮮だと思います。
そうですね。皆さんの反応を見て、こういうことが新鮮なんだと分かりました。お客さんが喜んでくれて、地域の皆さんも感謝され元気をもらっていたので、こういう取り組みがもっとできたらと思っています。
お客さんも地域の皆さんも元気になるって大事な取り組みですね。
里山の地域の行事

集落のお宮さん。
現在、井手の口の集落は13世帯いらっしゃるとお聞きしました。
そうですね。だんだん人も減ってきていて、世の中の事情もあり、この2年ほどは行事が少なくなってきましたね。行事は意味があって前の世代から受け継いでいるので、大事なものは繋げていきたいと思っています。
例えばどんな行事があるんですか?
5月の川祭り、7月の祇園などですね。川祭りは、農業と繋がりのある祭りなんです。水路を綺麗にして、水を流して、今年の農業の豊作を祈るという祭りです。
あと草刈りも地域を守る大事な区役(くやく)ではありますね。
どの地域も草刈りは必須ですね。
地域の維持には必要ですね。ただみんな高齢になってきているし、集落に住んでいるけど外に働きに出ている方もいらっしゃるので、外のひとが入ってくれたときに草刈りもひとつの仕事として、成り立てばいいなと思っています。もちろん住む家がないと入ってきてはもらえないのですが。

そうですね、住む場所は必須ですね。
空き家は有るのですが、今すぐ住める家や貸してくれる家はなかなか無くて。まずはお試しで住めるところがあったらいいよなって、地域でもいろいろと話したりしていますね。
ここは里山が残っていて、景色も気持ちいいんですよね。気に入ってくれる方はすでにいらっしゃると思うから、住む場所を整えていきいたいですね。
住む場所、仕事、そして人とのつながりがあれば暮らしていけますもんね。
地域としての循環をずっと考えていますね。地域を守りながら次のステップにいく時期ではないかと思っています。行事ひとつとってもこの状況下で、必要だから継続するのか、継続がむずかしいからはやめるのか、という選択が必要なのかなって。すぐに判断できなくても長い目で見ながら、みんなで考えていきたいですね。
地域にとっても大事な選択ですね。
今の点を繋いでいき、次の世代へバトンを渡せる地域づくり

川浪さんは常に地域のことを当たり前に考えてらっしゃるのが印象的です。川浪さんがこの地域におられるのは大きいと思います。
そうですね。自分が生まれ育った地元なので、やっぱりなんとかしたいという思いはありますね。だけど、自分の子どもを見ていても思うんですが、世代が違うと感覚って違ってくるじゃないですか。うちの子は最近ゲームに夢中だし。
ゲームですか!
クリスマスプレゼントであげてからずっとやってるね。だから、俺が自転車でどこか行こうって誘ってもいかんもんね。あ、だけどスキーは一緒に行くね。長野でスキーにはまって、こっちに帰ってきてからもずっとスキーをしていて、インストラクターもしています。

スキーのインストラクターもされているのですね。
そうなんです。天山スキー場があったときは、こどもたちが学校から帰ってきてからいくぞってよく行ってましたね。スキーで知り合った人がきっかけになって、仕事にもつながっていたりしていて、人生どこでつながるかわかりませんね。
いろんな点がつながってきて今があるのですね。最後にこれからのことをお聞きしたいです。
農業は思考錯誤しながら続けていきたいです。あとはやっぱり地域のことですね。地域の中で仕事があり、それで1年暮らせるような農村ビジネスですかね。それで地域にいる人だけでなく、外からの方ともつながっていきたいですね。そうやって次の世代にバトンをつないでいけたらと思います。
この松梅地区の里山が残るようにわたしもできることでつながっていけたらと思います。本日はありがとうございました!
ー 編集後記 ー
川浪さんは出会ったときから気のいい兄貴という印象でした。笑顔でみんなに干し柿を配ってくださっていた姿が残っています。今回改めて、取材をさせていただき、話せば話すほどおちゃめな部分や生まれ育った地元を自然体でどうにかしたいと思われていて、人柄にほっこりしました。今回はあいにく干し柿の時期からずれてしまったので、今年は干し柿の時期にうかがいたいなと思います。これからの川浪農園さんとのつながりが楽しみです。


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<お世話になった取材先>
川浪農園
川浪伸洋さん
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<お世話になった取材先>
川浪農園川浪伸洋さん
1968年生まれ。大和町松梅地区、井手の口出身。佐賀工業高校卒業後、就職で長野へ。6年後、佐賀に戻り、父がしていた農園を継ぐ。
現在、お米、干し柿、野菜を奥様とふたりで作る。生まれ育った地元をよくしたいと日々奮闘中。頼れる兄貴!




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

