テルミーと笑顔で福を呼び込む『ふくふく福』 No.045 イトオテルミー療術師 福岡しのぶさん
- 2022.03.29
- written by 田中一平

モクモクと煙が出ている金属製の棒を、皮膚に直接当ててすばやく動かす。そんな健康療法をご存じでしょうか?日本発祥で100年近い歴史があり、数万人の会員がいる、『イトオテルミー』です。
富士町古場に暮らす福岡しのぶさんは、そのイトオテルミーの療術師として、古民家を改装した自宅を療術所にして、開業されています。
標高400mの小さな集落の中で、娘3人を育てるパワフルなお母さんでもあるしのぶさんから、テルミーの良さはもちろん、山で働き暮らすことのリアルを伺いました。
誰でもどこでも、おだやかなぬくもりを感じられるイトオテルミー

こんにちは!今日はよろしくお願いします。さっそくですがイトオテルミーってどういうものか教えていただけますか?
テルミーとは、からだにぬくもりと刺激を与えることで、自然治癒力に働きかけココロとカラダを整えるお手伝いをする温熱刺激療法のことです。
「イトオ」は発明した伊藤金逸博士に由来していて、「テルミー」は温熱を意味するギリシャ語系の言葉になります。

具体的にはどういう施術をされるのですか?
テルミー線という数種類の薬草でできたお線香のようなものなのですが、それを冷温器の内管に差し込んで火をつけて、カバーになる外管を被せます。2本を一緒に持って、熱くなりすぎないよう、そして血液やリンパ液の流れが促進されるように、直接肌に当てながら動かします。

これによって疲労回復、筋肉のこりや痛みの緩解(かんかい)、胃腸の働きを活発化させる効果などがあります。
当たり前ですが燃えているので熱いですよね?確かお線香の先って数百度になるとか。
直接体に触れないように隙間がありますが、それでもゆっくり過ぎたり止まったりすると、熱いです。だから適度なスピードで動かし続けます。動かすことで冷温を繰り返すことになり、それも良い刺激になりますね。

だから冷温器という名前なんですね!そうすると熱と刺激と薬草のトリプル効果ですね。体のどこにテルミーをかけるのですか?
どこか不調があるときは特定の部位だけのこともありますが、基本的には全身すみからすみまで、テルミーをします。

こんなに気持ちよさそうなテルミーですが、しのぶさんという療術師さんに会うまでは知りませんでした。
イトオテルミー親友会というテルミーを愛する数万人の会員さんがいる全国組織があって、230の支部に分かれています。その中でも資格を取った人だけがお仕事として施術することができますが、テルミーは家庭でも使ってもらえます。
え?だれでもやっていいんですか?
会に入ると器具一式を購入いただけますし、療術師が教えますので、身近な人にかけてあげたり、かけてもらったりできますよ。自分で自分にかけることもできます。伊藤金逸博士も、家庭で病気にならない健康づくりが大事だと言われていました。それに家庭内でかけ合いをすること自体がコミュニケーションの一つになっていて、私も娘たちや夫との関係で欠かせないものになっています。
日常から健康に気を配るのってなかなか一人だと続かないし、毎回クリニックなどに出かけてお金を払うのも大変なので助かりますね。それにテルミーは一瞬で気持ちよさを感じられるし、赤ちゃんからお年寄りまで副作用の心配なく使えるのがよいですね。
煙を吸っても喘息にならない!最初は受け入れられなかったテルミーだけど

しのぶさんはテルミーとどのように出会ったのですか?
テルミーとは関係なく知り合った方からテルミーを紹介されて。最初は私、絶対無理だと思ったんです。
え?そうなんですか?
あの煙がですね~。私、喘息持ちで線香や花火の煙をいつも避けていたので、これは無理だと。それなのにテルミーの煙は不思議と咳き込まずに平気だったのでまず驚きました。
それでも西洋医学の世界におられる身としては、疑問に感じるところはありませんでしたか?しのぶさんは臨床検査技師ですよね。
当初はそうでしたよ。煙モクモクしている”怪しい”健康器具がそんなに効くわけないでしょって思って。
するとテルミーにのめり込むきっかけがあったのですか?
次女のアトピーの症状がひどい時期があって、テルミーをかけてあげると落ち着いてくれて、これは良いものだと確信しました。それからうちには欠かせないものになりました。

今も病院で放射線技師として働かれるご主人はどうでしたか?
最初はそんなのって感じでしたが、徐々に受け入れてくれて、今では何かあると一番にテルミーを使ってくれますよ。肋骨を折った時に私がいなかったのですが、自分でテルミーをかけて痛みが和らいだそうです。この前、膝を切った時も止血が早かったそうです。テルミーの煙は傷口の再生にも良いですよ。(編注:傷口など直接当てられないところはスコープという煙だけを当てる器具を使います)

いろんな場面で使えますね。病院が遠い山暮らしでは一家に一本テルミーですね(笑)
はい!もちろん病院での医療が必要な状況はありますが、自然治癒力に働きかけるテルミーが有効な場面も多いです。
統廃合寸前の小学校を救うことになった一家族の移住

福岡家一家は13年前にこの部落に移住してきたと伺いました。それ以前はどんな暮らしをされていたのですか?
唐津の病院で出会った佐賀出身の夫と結婚し、神崎市に持ち家があったので、夫の両親と娘2人と普通に町暮らしをしていました。
なにがきっかけで山に移住されたのですか?
もともと私は広島の山手で生まれ育ったので、いつか木々や自然に囲まれたところで暮らしたくて、3、4年ぐらいずっと移住先を探していたんです。少しずつ田舎暮らしの知り合いが増えていき、その伝手で部落の方に空き家として紹介してもらったのが、この家なんです。
最初の印象はいかがでしたか?
静かな部落だし、家も小ぶりだけどこだわった造りもあって気に入りました。それが確か12月頃で、下の子が翌4月から1年生だったので改めて小学校の見学にも行きました。

しのぶさんは田舎暮らししたくてうずうずしていたけど、ご家族にも学校や職場などいろいろと事情がありますしね。
小学校の見学は確か2月頃でしたが、新4年生と新1年の子供がいますって伝えたら、もう大歓迎で。事情を聞いたらちょうどその学年の児童がいなかったらしくて。
え?ということは移住してきて、娘さんは一人入学式だったんですか?
そうなんです!このままだと今年は入学式も無かったのよってみなさんに感謝されて、とてもあたたかく受け入れてくださいました。
その子はともかく、4年生の子は環境の違いに戸惑いませんでしたか?
全然!卒業する時には私も1年生からいたかった、妹がうらやましいって言ってたぐらいです。
それでは子どもたちも学校や環境を気に入って、良いスタートだったんですね。
そうなんですが、、、5月にいきなり話し合いがありますって言われて、それがなんと小学校の統廃合に関するもので。私たちからしたらせっかく移住してきたのに無くなるなんて一切聞いてない話なので、ただ驚きました。なんとか経過を見ましょうってことで存続になってくれました。今はその頃より児童数が増えていますよ。
福岡家一家の移住が小学校の歴史を繋いだんですね。 小規模校の良さはどこにあると感じられましたか?
先生方も地域の方も保護者も子供たちも、同じ目線に立ってみんなが自分の学校、という感覚で関わっているところですね。

それに、もともとうちの小学校は全国から山村留学生を受け入れていて。我が家も5回、7名を預かりました。いろいろなタイプの子どもさんが来られますので、うちの子どもたちも刺激を受けてたくましく育ってくれました。
しのぶさんは留学生たちにもテルミーしてあげましたか?
はい、最初はびっくりされましたが、気に入ってもらえましたよ。
子育てかあちゃんの田舎暮らし奮闘記

縁もゆかりもない田舎に引っ越してこられた当初の暮らしはいかがでしたか?
実はその時お腹が大きくて。
え?妊娠中に移住されたんですか?
はい、しかも体調がとっても悪くて。どうせだめなら山で死にたいってぐらい思い詰めて移住を進めたぐらいでした。
そんな壮絶な思いを抱えて移住してきて、まもなく無事に三女さんを出産されたんですね。
はい、しかもこの家で。もともとあこがれていた自宅出産をできる環境が整ったので、助産師さんに来ていただくように準備して。ここで家族みんなに見守られながら産まれてきました。
家族全員にとって一生の思い出ですね。家の状態はどうだったんですか?
直前までおばあさんがお一人で住まわれていたのですが、古い家で傷んでいました。モノもいっぱいあって片付けも大変でしたし、大雨の時にいきなり雨が部屋の中に流れ込んできたときは慌てました。夫は夜勤で不在だったので、私と子どもたちで必死に対応しましたよ。あとは汲み取りタンクにヒビが入っていてあっという間に溜まってしまったり、井戸ポンプが壊れて水が出なくなったりといろいろとありましたね。
苦労されたのですね。いまは手入れがされていて落ち着いているように見えますが。
最初は賃貸だったので大きく手を入れるわけにもいかず。気持ちも固まったし思い切って3年目に購入することにしました。それから少しずつ改装して、テルミーの施術部屋も作りました。
集落との関係はどうでしたか?
移住者の面倒を見てくださる地元の方や、他にも移住してきた方がいたので安心でした。周りの皆さんも親切で、なんとかやってこられました。

庭では、お野菜を育てられ、キノコのほだ木やミツバチの巣箱もありますね。薪も山積みですね。
はい、日本ミツバチのハチミツもとれますし、原木ナメコもできています。自分でパンを焼いていますが、パン用の天然酵母も周りがこういう環境なので、いろいろなもので醸しています。
お風呂も薪で沸かしていますよ。薪が欠かせないので近所で木が切られると私もすぐに取りに行きます。
田舎暮らしを楽しまれていますね!!子どもたちも気に入っていますか?
はい!家の前の小川では蛍が飛び交いますし、山で秘密基地をつくって遊んだり、カブトムシを取りにいったりもします。女の子だけどわんぱくに育っていますね。

話を伺うと、大変なこともあったけれど乗り切ってこられて充実されていますね。暮らしを楽しむ秘訣はありますか?
そうですね、私自身が心から楽しんでいますし、何かあっても夢中でやってこられました。
Instagramでも積極的に田舎暮らしを発信されているしのぶさんは、見かけによらずタフで、そして何より自分を見失わない芯があるように感じられます。
濃厚接触が避けられるこの時代に、テルミー療術師という仕事。

しのぶさんはテルミー療術師『ふくふく福』という屋号を掲げて昨年から本格始動されましたが、どういうきっかけだったのですか?
テルミーは全国に230の支部に分かれて活動していて、私は佐賀さくら支部にお世話になっていたのですが、そこの支部長を引き受けることになって。これは良いきっかけだと思って、他にもアルバイトをしていたのですが、テルミー療術師の仕事1本でやることにしました。
それで屋号やロゴなどを作って活動し始めたのですね。デザインはどうされましたか?
知り合いのデザイナーさんにお願いして作ってもらいました。
とっても見やすいし、イメージにぴったりだと感じました。予約いただいたお客さんにこの療術所に来てもらって施術されるのですか?
はい、わざわざ山まで来てもらっています。日が入る明るい2階の部屋と、1階にも施術部屋があります。全身を施術するので用意している施術衣に着替え、ベッドに寝ていただきます。
みなさんが山まで来ていただけるわけではないので、出張費をいただきますが出張して施術もしております。今は半分半分ぐらいの割合でしょうか。

どのあたりまで出張されますか?
旧佐賀市内だけでなく、唐津市や福岡の久留米市や糸島市にも行っています。ここは山ですが各方面に下りると街があって1時間もかからないですので。それ以外の地域でもご相談次第では伺いますし、ご近所でテルミーを受けられるところを紹介したりもできますよ。
料金設定はどうなっていますか?
60分4,000円、90分5,000円ですが、会員になっていただくとそれぞれ3,000円と4,000円になります。

たっぷりとかけていただけるのですね。お仕事をされていてやりがいを感じるのはどういう時ですか?
佐賀のお客さんなのですが、90歳と87歳のご夫婦のご自宅に定期的に出張しています。おかげで元気に長生きできていると言っていただけるので、お役に立てているのかと。
それはうれしいですね。そういえばしのぶさんもお母さまが病気がちだったので医学の道に進まれたのでしたね。
はい、私が臨床検査技師になって病院に勤めていたのも、母の影響があったのだと思います。

しのぶさんのやさしさの原点なのでしょうね。これからこのテルミーのお仕事をどうしていきたいですか?
以前はイベントに出店して、テルミーを広める活動をしていたのですが、この2年ほどコロナの影響でできないのが歯がゆいです。これからも暮らしとバランスを取りながら続けていきたいと思っていますがどうなりますかね。
コロナの今こそ、テルミーが求められるかもしれませんね。
はい、誰でもいつでもどこでも気軽にかけることができて、自然治癒力に活力を与えるテルミーは今こそ活躍できると思っています。
本日はありがとうございました。
ー 編集後記 ー
しのぶさんとはお付き合いは長いのですが、取材を通じて改めてお話をうかがい、お仕事の様子を拝見させてもらうと、心に持っている思いに正直な方だなと感じました。その思いを真っすぐに言葉にし、現実に行動されているので、お山に根を張り枝を伸ばし葉を付けている、やさしくてしなやかな木のイメージが湧いてきました。みなさんもぜひしのぶさんにテルミーをかけてもらいに行き、そしてもし気に入ったなら、身近な人にかけてあげることでそのやさしさをひろげてみてください。


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<お世話になった取材先>
福岡しのぶさん
イトオテルミー療術所 ふくふく福
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<お世話になった取材先>
福岡しのぶさんイトオテルミー療術所 ふくふく福
1973年、広島県広島市生まれ。1994年、臨床検査技師となり病院へ就職。結婚を機に退職、3人の娘を育てる。2007年、イトオテルミー療術師の資格を取得。2008年、家族で富士町古場に移住。2021年、イトオテルミー療術所ふくふく福を開業した。




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<取材記者>
田中一平
「佐賀のお山の100のしごと」編集長/一平農園代表
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<取材記者>
田中一平「佐賀のお山の100のしごと」編集長/一平農園代表
福岡市中央区で生まれ育つ。都会の暮らしは満喫し、28歳でムラに暮らしたくて富士町に移住。有機農業を営みながらNPOに参画して地域活動も行う。全校生徒17人の小学校に通う息子と2歳の娘、一緒に移住した妻と毎日農家暮らし・山暮らしを楽しんでいる。最近山の農家仲間と、富士・三瀬やまあい農家「ととと」を結成した。

