おじいちゃんから受け継いだ北山そばを育てていきたい「木漏れ陽」 No.042 そば・そばの芽農家 友田勢士さん
- 2022.01.31
- written by 鵜飼 優子

標高400m付近にある三瀬村。そば屋が立ち並ぶ国道沿いの道はそば街道と呼ばれるほどです。そんなそば街道から、少しだけ離れた場所に位置する「そばの芽料理とそばの店 木漏れ陽」。お店は集落の真ん中にあります。ひっそりした場所ですが、シーズンには駐車場がいっぱいになり、道路に車の渋滞ができるほどの人気店。 自家製のそば粉を使い、そばだけでなく、そばの芽料理も提供されています。 今回は、木漏れ陽でそばとそばの芽を栽培する友田勢士さんにお話を伺いました。 木漏れ陽の誕生秘話、勢士さんのそばへの愛、地域への熱い思いをどうぞ、ご覧ください。
木漏れ陽の誕生秘話。在来種を守るためにはじまった北山そば

おそば、おいしかったです。そばの芽ジュースは、初めていただきましたが、おいしくてびっくりしました。「木漏れ陽」のお店は勢士さんが経営者だと思っていたのですが、お母様なのですね。
そうなんです。木漏れ陽のお店は母が担当していて、わたしはそばとそばの芽を栽培する農家なんです。だけど、木漏れ陽というお店があるからこそ、私自身も農業を楽しくやれているので、お店があって、農業が活きる関係なんです。
お店と農業がイコールなのですね。おじいさんの代からスタートされたのですよね?
そうです。祖父が始めました。もともとこの地域は、米が不作のときはそばを食べる文化がありました。なので、自分の家で食べる分くらいはそばを自家製で作っていました。
すごい! ということは勢士さんは自家製そばで育ったんですね。
まあ、そうですね(笑)。特にわたしたち友田家は、蔵にそばの実を保管していて、わたしからいうと曾祖母、祖父の母ですね、その代からそばは自家製でした。それを息子である祖父が見よう見まねで、家族や親戚が食べる分まで自家製でつくっていたそうです。

ひいおばあちゃんから伝わる友田家のそば。勢士さんのおじいさまはもともと何をされていたのですか?
祖父は、もともと農協の組合長をしていて、仕事を辞めた後、何しようかと考えているときに、知り合いからそばのスプラウト(もやし)の存在を教えてもらったそうです。現在、木漏れ陽で出しているそばの芽は、それから試行錯誤して祖父が編み出したものなんです。
そばの芽って見た目はかいわれ大根みたいですよね。だけど、味は辛味がそんなに強くなく食べやすいです。そばの芽ジュースがおいしすぎて、感動しました。
ありがとうございます。そばの芽ジュースは、砂糖を使わず、はちみつと豆乳で作っています。そばの芽の料理もお出ししています。

なるほど。そばの芽料理とても気になります。北山そばはこのあたりの在来種なのですか?
そうです。在来種である北山そばを絶やしたくないという思いから、木漏れ陽はスタートしました。最初は祖父が「北山そば保存会」という会を、佐賀大学の五十嵐先生と一緒に立ち上げて。
「北山そば保存会」がはじまりだったのですね。そこからどうやってお店になっていったのでしょう?
北山そば保存会の会員さんへ、私の母がそばとそばの芽を使った料理をお出ししていたんです。それがみなさんからお店をしたらと言われるくらい好評だったんです。
祖父と母も何かやろうと思っていたみたいで、実は当時から加工場の許可を取っていましたね。
計画があったのですね。勢士さんのお母さんがおいくつの時だったんですか?
わたしが中学2年生のときに加工場ができたから、当時母は43歳ですね。数年経った2002年にお店を始めました。
なるほど。今年が2022年だから、20年経つのですね。
なぜそばとそばの実が好きなのか

こどものころから自家製のそばで育ったというそばが近い存在だった勢士さん。そしておじいさまが始めた、北山そばを守るためのお店「木漏れ陽」。お店を手伝いながら、そばとそばの芽を育てる楽しさはどこにあるのでしょうか。
勢士さんはいつから農家としてデビューされたのですか?
高校を卒業後、佐賀県の農業大学校へ2年間通いました。そのあとそばの研究もされている農業大学校へ1年、さらに長野県農業大学校の研究課でそばを専攻して学びました。23歳くらいでこっちに帰ってきて、デビューでしたね。
なるほど。ずっと農業に関わりたいと思ってらしたのですね。
何かしら農業に携わりたいとはずっと思っていたんですよ。
実は、進路に迷いもあったんですよ。工学部に行きたいという気持ちもあって。だけど、いろんなことが重なりタイミングがきたので、そば農家として歩もうと決めました。

迷いながらもしっかりとそばとそばの芽農家として歩まれている!
家に残ってほしいとか、継いでほしいとか言われたことは1度も無いんです。父は郵便局で務めていて、自分でやりたいことをしたらいいという方針だったので。
強制されなかったのもよかった。自分で決めた道だから、どんなにきつくてもやらなきゃと頑張れる。目の前でお客さんに美味しいと言っていただき心の底から喜びを味わえるこの環境は、ほんとにありがたいです。
もともと農業をしたかったとのことですが、なんでそばだったんですか?
よくぞ、聞いてくれました(笑)。自分の性格に合っていたからです。例えば、トマトやなすなどの野菜を作る人とそばを作る人は性格でいうとかなり違いがあるかもしれません。
どう違うんですか?
そばは短期集中型なんです。そばの芽は1週間でできるんです。なので、それに合わせて自分の生活スタイルも合わせられる。トマトやなすだと1週間ではできないし、丁寧に面倒見てあげないといけないじゃないですか。そういうことがいろいろと育ててみて分かりました。
そうなんですね。短期集中型のそばが勢士さんには合っていたんですね。
そばの実も、65日から75日でできます。そばの芽よりは長期間なんですけど、種まきしてから2ヶ月ちょっとでできるんです。年間で言うと1/3の日数、100日ほどあれば準備から収穫までできるんです。その分、本当に天気に左右されてしまうので、少し博打的な雰囲気があります。でもその一瞬とも言える短期間に集中するのが自分には合っています。
農業を楽しく続けるためにも、自分に合ったものを作るって大事ですね!
縁がつながり、みんなで守る北山そば

65日から75日でできるそばの実。1週間でできるそばの芽。短期集中型の農業が自分に合っていたとおっしゃる勢士さん。主に栽培はおひとりでされているということなのですが、どんな経験があるのでしょうか?
栽培は主に勢士さんお一人でされているのですか?
そうですね。妻も今は子育て中心なのですが、そばの芽の栽培を手伝ってくれています。妻もそばの芽に魅了されていて、そばの芽の仕事も好きなようです。そばの芽の全部が好き。今はInstagramの発信などを担当してくれています。

木漏れ陽さんのInstagram、ほっこりしてます。そばの実やそばの芽の栽培過程がわかって楽しく拝見しています。そばの畑を貸してくださる方もいるとお聞きしました。
そうですね。そば畑を貸してくれている方や育ててくれている方、いろんな形で自分たち以外の方もそばの栽培に関わってくれています。
いろんな方がいろんな形で関わられているのですね。
繋がって、連携する農業そして地域

木漏れ陽のお店をスタートして20年。今年37歳になる勢士さんは、地域の存続もリアルな問題として捉えられています。農家同士のつながりについても考えを語ってくださいました。お山の未来に必要なことは何でしょうか?
佐賀のお山をどんな風にしていきたいって思われていますか?
そうですね。みんなが協力しあえる環境を作っていきたいです。
仕事を全部ひとりでしないといけない、ではなくて、持ちつ持たれつの関係にしたくて。いっそのことみんなで法人化してもいいのかなっていう気持ちもあります。例えば、作業の受託をグループでみたいに、いろんなことをやっていいのかな。世の流れ的に今、自分たちがやらないと遅いと思っています。
以前、リンドウ農家の高増さんに取材したときに、お山の若者でグループ作っていたっておっしゃっていました。
ベジボーイズですね。その当時自分たちは20代で、それこそ理想型だったんです。地域に根ざした活動をしようということで、草刈りなどを安く抑えた価格で引き受けたり、自分たちで野菜などを学びながら作ったり。そういうグループがありました。 「地球市民の会」の岩永さんにご教示いただきながら、色んな事を皆で話し合いしながら作っていきました。岩永さんがコーディネーターとして、皆の意思の疎通の取り方とか「よくやってもらったな」って思います。

具体的にどんな風にコーディネートしてくださったんですか?
まず「なぜ地域に残りたいのか?」について同年代の人たちに問うことから始めてくださったんです。
それでみんなでたどり着いたのが「幼少期が楽しかったから、親同士が楽しそうにしてたから」という答えが出て。そしたら自分たちが「もっと楽しまなくっちゃ」と思いました。
その当時、自分は結婚してなかったんですけど、 周りは結婚ほやほや、子育てに追われてる人が出てきて、集まれる人数が少なくなってしまって。来られる人の負担だけが増えたし、今はそれぞれが代替わりをして忙しくなってるので、活動は無くなってしまってるんです。
ベジボーイズのような組織を残しておくと、地域としては明るいですよね。
地域をつなげて盛り上げるためにも、ベジボーイズは大事なチームだと思います!
今は活動を何もしてなくて、なくなったような感じなんですけど。今自分が思うのは、お互いの仕事の形が成り立つ関係性を築きたいっていうのがありますね。
例えば、農業で地域限定の人材派遣業はできないのかなって思ってたんです。それをMurarkさんにお願いできないかなって実は勝手に考えていて。人の動きが把握できるシステムがあればと。これからの高齢化社会でも伸びるんじゃないかな。

なるほど。誰がどういう作業を手伝ってほしくて、いつだったらみんなが手伝えるかなどの動きがわかるシステムですね。
そうなんですよね。シルバー人材さんには地域に根ざした活動を色々やっていただいてるんですけど、シルバー人材にはないフットワークの軽さがある人材が今求められているかなと思っていて。
シルバー人材さんとは違った特性であるフットワークの軽い人材ですね。力仕事とかもでしょうか?
シルバー人材さんは、草刈りとかに限定されていることが多いんですね。そうじゃなくて例えばハウスのビニール貼りたい時に何人かパッと集められるとか、トラクターはうちにあるからここの畑を今耕してほしいとか。

人の動きだけじゃなくて、機械もシェアできて、機械の動きもわかる仕組みってことですか?
どんな機械があって、それがいつ使えるとかが分かって、対価をきちんと支払うところまで仕組み化できるといいかな。みんなが持ちつ持たれつで、成り立つ仕組みを作りたいなと。
集落を越えるつながりになってお山全体を守るためにもそれは必要な仕組みだと思います。
そうですよね。どうしても手が回らないときに、頼める関係性やネットワークがあると、地域自体もより明るいものになっていくのかなと。
たしかにその仕組みで助け合って、それこそ持ちつ持たれつの関係性であれたら、住みやすい地域になりますね。
それをできるだけスピード感をもって作るのが大事かなと思っています。世の流れ的に。
あとはうちの課題なんですけど、雇用です。根本的に人手不足で。

雇用の問題は人手が見つからないということですか?
そうですね。雇いたいし、雇えるのですが、なんせ山は、冬場がぐっとお客さんが減るから通年の雇用が難しいという点があります。うちで言うと、お客さんの人数が行楽シーズンの1/3とかに減ってしまうんですね。
冬場の山は年によっては雪も降るし、スタッドレスタイヤも必須だったりしますもんね。どうしてもお客さんは減りますよね。だけど、冬場に自由な時間があるっていいですよね。そいう働き方が合うひともけっこういると思います。
そうなんですね。人手を求めていますので、ご興味あればぜひ木漏れ陽までお問合せください!
ぜひ木漏れ陽さんへ。お母さんたちもあたたかい感じで、働きやすそうだなと思いました。わたしもお手伝いしてみたいくらいです(笑)。勢士さん、本日は貴重なお時間ありがとうございました。
ー 編集後記 ー
いつも丁寧に取材を受けてくださった勢士さん。真剣なまなざしで語られることばのひとつひとつが印象的でした。
お母さまとおじいさま、そして働かれている皆さんがいきいきされていて、ほんと木漏れ陽の名の通りあたたかい場所だなと感じました。
そばの芽ジュースはほんとにおいしくて、はまってしまいました。塩でいただくそばがこんなにおいしいのかと驚き、食が豊かなお山にこれたことうれしく思います。みなさん、ぜひ一緒に木漏れ陽さんへ行きましょう。


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<お世話になった取材先>
友田 勢士さん
友田農園 そばとそばの芽農家
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<お世話になった取材先>
友田 勢士さん友田農園 そばとそばの芽農家
高校卒業とともに、佐賀の農業大学校へ、そのあと長野県で2年間修業を積んだのち、23歳でそば農家としてデビューする。現在、そばとそばの芽を育てて、木漏れ陽で提供している。地域の在り方も模索中で、持ちつ持たれつの関係性を育みたいと考えている。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

