「食べた時にホッとしてほしい」と願いを込めて。愛され続けて90年の老舗饅頭屋。 No.041 北山饅頭3代目 藤田千秋さん
- 2022.01.19
- written by 山本 卓

早朝6時。まだ薄暗く、霜が辺り一面を覆う寒い冬の朝。明治元年に建てられたという古い民家に明かりが灯り、いい匂いの湯気が上がっている。佐賀市富士町にある老舗饅頭屋「北山(ほくざん)饅頭」。 懐かしさを感じる饅頭を求め、地元のみならず遠方からも人々が買いに来るという。
何と言っても私の一押しは、「甘酒饅頭」。ほのかに香る甘酒の香りと、もちもちとした食感の生地、そして甘く炊かれた餡子がベストマッチの饅頭。
皆様に愛され続けて90年以上になる饅頭屋の3代目、藤田千秋さん(66)。多くの人を魅了し続ける北山饅頭の秘訣に迫りました。
約150年前に建てられた古民家の老舗饅頭屋「北山(ほくざん)饅頭」

本日はよろしくお願いします。いつも大野地区の例会や草刈りなどでお会いしていますが、こうやってお話するのは初めてで、なんだか照れちゃいますね。
そうですね。なんか照れちゃいますね。今日はよろしくお願いします。
千秋さんは、北山饅頭の3代目ということなんですね。
はい、祖父の代から饅頭やお菓子などの製造・販売を富士町の北山地区でやっています。私がお店の3代目です。初めは北山饅頭ではなく「又しゃん饅頭」という屋号でやっていました。今の北山饅頭に改名したのは2代目の父です。その昔、北山村、南山村、小関村が合併して富士町になりました。そこで父が「北山(ほくざん)という地名を残したい」と考えて、饅頭の名前に付けたんです。
饅頭を作り始めたのは、おじいさまなんですね!
又三(またさぶ)という名の祖父は、友人と2人で、奈良県の五条に饅頭修行に出たそうです。修行を終え富士町に戻ってきて和菓子をいろいろ作ったそうですが、饅頭が「又しゃん饅頭」と呼ばれ評判になったそうです。友人は、てっちゃんという愛称で呼ばれていたから「てっちゃん饅頭」としたそうですよ!
「又しゃん饅頭」と「てっちゃん饅頭」。名前が可愛らしいですね。「又しゃん饅頭」では、今と同じような饅頭を作られていたんですか?
当時も似たような黒糖饅頭だったと思います。初代が、北山饅頭(又しゃん饅頭)とやぶれ饅頭を発売し、2代目が甘酒饅頭とそば饅頭を、3代目である私が味噌饅頭を発売しました。今ではその5種類の饅頭を販売しております。

お店の一番人気の商品はなんですか?
やはり甘酒饅頭ですね。甘酒饅頭は、昔は各家庭で作っていて、農繁期などにおやつとして食べられていたそうです。それを2代目の両親が試行錯誤を繰り返し、現在のような商品にしました。
甘酒饅頭のおいしさの秘訣はなんでしょうか?
生地と餡子ですね。昔は小さなジャガイモを無駄にしないようにと生地に練り込んでいたためにもちもちとした生地になったようです。私たちの場合は、甘酒を発酵させ、生地に練り込み、さらにマッシュポテトを練り込んで蒸し上げます。だからもちもちとした食感になります。この生地には、こだわっていますね。
あと初代の頃から変わらない配合で炊き上げている餡子は、塩を使っていません。昔は冷蔵庫もなかった時代ですから、いかに長持ちをさせるか考えた結果だと思います。科学的には塩を入れたほうが長持ちするのかは、分からないですが、昔ながらの製法で作られている餡子だからこそ、懐かしさを感じられる方も多いんじゃないでしょうか。

このお店はとても雰囲気が良い古民家ですが、ずっとここで営まれているんですか?
明治元年(約150年前)には建てられていたそうで、祖父母が隠居屋として使っていたのです。平成11年(22年前)に嘉瀬川ダムが出来て道路が付け替えられたので、2代目がこの古民家を加工場と店舗として改装し、旧道沿いから移転してきました。
「商売人には、なりたくない」 仕事を始めたきっかけは、両親を助けたいという思い。

饅頭屋さんの1日のスケジュールってどんな感じですか?
主人は朝3時ぐらいに起きて、饅頭を蒸したりする作業を始めます。その後に私は起きてきて、小さい饅頭を作っていきます。8時半から9時半ぐらいまでにすべて作り終え、パック詰めをします。それから主人は配達に出かけます。今はダムの駅「しゃくなげの里」に卸しています。
千秋さんは?
主人が配達に行っている間に朝食の準備をして、家のことをします。戻ってきて一緒に朝食をしたら、店番です。夕方5時ぐらいに店を閉めて、主人は翌日の饅頭の仕込みですね。売れ具合に寄って毎日仕込む量が変わるのですが、忙しいときはバタバタですね。

千秋さんが仕事を始められたきっかけは?
両親(2代目)がこのお店を経営していました。両親から「体力的にきつかけん、お店手伝ってくれない?」と言われたんです。その頃私は、主人と一緒に関西に住んでいましたので、主人に相談して佐賀に戻ることに決めたんです。
戻ると決めた時には、継ぐことは決めていたんですか?
いいえ、全くです。そもそも商売人には、なりたくなかった。富士町に戻り、店を手伝っているうちに、いつの間にか継ぐ形になってしまっていましたね。 (笑)
私が小さいことから商売人としての祖父母や母の姿を見ていて、この仕事が大変なことは分かっていましたので。小さい頃、学校の休みの日なのに早起きをしてお店を手伝ったりしなくてはいけなかったですし、お店が休みの日でも、お客さんが来たりしてゆっくり休めないし、正月休みもない。本当に忙しくて大変な仕事なのを経験していたので、自分が商売を継ぐことは考えていませんでした。むしろ商売は嫌いでした。(笑)
だけど、戻ってきたんですね。
やっぱり両親がしんどそうな思いをしている姿を見てしまったら、「手伝ってあげなくちゃいけない」と思いましたね。初めは、ただ手伝う程度に思っていたのに、気づけば3代目になっちゃっていました。(笑)

佐賀に戻りたいと、ご主人に相談した時の反応はどうだったんですか?
主人もサラリーマンをしていたのですが、定年になったら富士町に戻りたいと考えていたみたいなので、意外とすんなり受け入れてくれました。
ご主人も富士町ご出身なんですね!
とはいえ、3歳まで富士町に住んでいて、それから佐賀を離れていました。私は高校卒業までは、この富士町に住んでいました。たまたま就職する先の研修施設が東京だったので上京したんです。でも実はね、すぐに佐賀に戻ってくる予定だったんですよ!(笑)
といいますと?
研修終了後、全国にある勤務地に派遣されるので、私は九州の勤務地に希望をたしたのですが、まさかの九州への希望者が多くて、私は帰ってこられなくなっちゃいました。(笑) それからずっと東京で仕事をしていました。偶然に富士町に縁のある主人と出会って結婚し、関西に移り住んで、接客業などの仕事をしていたんです。そんな時に両親からの電話があって、平成15年に富士町に戻ってきました。

富士町に戻られて、今までと全く違う仕事になったじゃないですか。大変なことも多かったかと思います。戻られた当時はどんな感じでした?
接客業の仕事をしていましたので、お店番をする仕事は、そんなに大変なことはなかったです。ただ主人は大変だったと思います。主人は3歳の頃に富士町を離れて、51歳で早期退社をして、私と一緒に佐賀に戻ってきました。だから集落行事や地域のことなどわからないことが多かったと思います。
もう50年近く佐賀から離れていたら、分からない事ばかりでしょうね。
そうなんです。家族では佐賀弁を話していたかもしれませんが、実際にこっちの人と話すと、聞き取れなくてさっぱり分からなかったと思います。特にお年寄りの言葉は分からないでしょう。(笑) そこらへんがプレッシャーだったと思いますよ。
長く愛され続けてこられたのは、お客様のおかげ。

商売人として20年以上になる千秋さん。仕事をしていて大切にしている思いは、何ですか?
父から「とにかく頭を下げて低く生きていかなきゃいけない」と教えられたことでしょうか。
父はバスの運転手をしていましたが、車内で迷惑をかけている学生さんにも注意するぐらいだったので、父の運転手時代を知っている人からは「怖い人」と思われていたようです。だから、仕事を辞め北山饅頭を手伝い始めるときに、「お世話になります!」と、あちこちに頭を下げている姿は、不思議そうに見られていたらしいです。そんな父からの教えが「とにかく頭を下げなさい」というものでした。これは商売人として今でも大切にしている思いです。
初代が始めたのが昭和5年。創業90年以上になりますが、こんなに長く続けられてきた秘訣はなんですか?
秘訣ではないですけど、長く続けて来られたのは「お客様」のおかげです。いくら作っても買ってくれるお客様がいなければ意味がない。たくさんのお客様がお土産に買って行ってくださったり、食べたお客様が口コミで広めてくださったりします。本当にお客様に助けていただいて、これまでやってこられています。本当に感謝です。
リピーターのお客様が多い北山饅頭。どんなお客様が来られるんですか?
佐世保や熊本からもお客様が来てくれますし、ダムの駅で売り切れていたからと、この店舗まで買いに来てくださる方もいます。多い日で一日20人ぐらいのお客様が来てくれます。

山の中で饅頭屋として経営することは大変だったのではないでしょうか?
そうですね。やはり経営の資金面は大変ですね。今年の1月にも小麦などが値上がりしてしまいます。昔に比べて原価がかかってしまうので、年々サイズを小さくしたり、価格を上げたりして、何とかやりくりしています。昔から知ってくれている地元の方には「北山饅頭は高級品になったね」って言われてしまいますね。(笑)
それでも十分安いと思いますよ。千秋さんが仕事をしていてよかったなと思うことは何ですか?
いろんな方と出会えることです。来てくださったお客さまと、いろんな話ができ、いろんな情報をいただけます。「今日はどんな人と出会えるんだろう」と楽しみで、毎日仕事をしています。
北山饅頭が愛される理由は千秋さんの人柄にあるのかもしれませんね!
そんなことありませんよ。ただお客様と話すのが楽しいだけなんです。北山饅頭の魅力は、おいしさと値段的な手頃さかなと思います。
おいしさの秘訣とは?
食べてもらったときに、幸せになってほしい。ホッとしてほしいと想いを込めながら毎日作っています。それですかね。(笑)
座右の銘は「感謝」。そしてこれからも…。北山饅頭がなくなってしまう日まで。

千秋さんからみてこの大野はどんな地域なのでしょうか?
20年以上前、嘉瀬川ダム建設に伴い、半分の人は富士町大野を離れていきました。今は残った人たちが集落を作り生活しています。ここ大野地区は10世帯の小さな集落です。だからこそ、みんなで守っていかなくてはいけないという家族のような絆があります。みんな優しいですし、声をかけてくれる。隣近所同士助け合って生きています。
この集落を一言で表すとなんでしょうか?
「和」ですね。みんなが「大丈夫?」って集落の中でも気を使ってくれたり、心配してくれたり、声掛けをしてくれます。思いやりの大野だと思うので、和む地域で「和」です。
それは僕もすごく感じます! 気遣いの大野ですね。(笑)
それ、わかりますね!(笑)
これからも「富士町に北山饅頭あり」ですね。次の世代へ継業するということは考えているんですか?
主人に聞かないとわからないですけど、どうなんでしょうか? 両親(2代目)は次につなげたいという気持ちは強いでしょうけどね。私たちは2代目が仕事を辞めた年齢ぐらいまでは続けようかなと思っています。あと5年ですかね。
あと5年?! 北山饅頭が食べられなくなってしまう日が来てしまうのですか?
そうなるかもしれません。体力的にもね、この先どうなるかわかりませんし。新しい人に継いでもらうには、今のままの北山饅頭では厳しいでしょうね。だけど今の仕事のスタイルを私が変えることはしたくない。性格上、変化を望まないの「安住タイプ」なので。(笑)

そうなんですか?! これまでの千秋さんのお話を聞いていると、これまでも変化して挑戦されてきたように感じましたが。(笑)
私たちは対面で販売したいという気持ちが強いんです。今も「ネット販売していますか?」なんて問い合わせがあったりするのですが、実際にお客様に手渡しをして、顔が見たい。なので、ネット販売へ参入することはしないんです。もしそういう新しい意欲のある方がいるのであれば、北山饅頭はこれからも続くかもしれません。
なんだか寂しいですが、今まで続けて来られたことだけでもすごいです! 僕はまだまだ北山饅頭を買い続けます!
私は、チャレンジ精神というか、同情心で人を巻き込んでしまうタイプの人間だと思います。主人は私に巻き込まれた人の一人です。主人には本当に感謝しています。いままで大変なこともたくさんあったかと思います。それでも一緒に北山饅頭を経営してくれています。だから主人には本当に感謝です。これからもずっと感謝です。

最後に、お山に移住したいと考えている方へアドバイスをいただけますか?
挨拶はしっかりしたほうがいいですね。知っている人、知らない人に関わらず、挨拶はしたほうがいいです。それは商売している父からも教わりました。やはりこういう田舎というのは、みんながお互いのことをよく知っています。私も小さいときから「又しゃん饅頭の娘さんだ」って地域の方々が見てくれていました。どこでも見られている意識をして、頭を下げて挨拶をする。これは大切なことだと思います。
あとは自然がたくさんありますから、草刈りをがんばってくれる方がいると嬉しいですね。富士町は本当にいいところだと思います。水は美味しいですし、空気もいい。一度富士町に遊びに来てください、そしてその時は北山饅頭に寄ってください。一緒にお話しましょう。お待ちしています。
本日は、本当にありがとうございました。
ー 編集後記 ー
僕が大野地区に住み始めて1年が経ちました。夏から秋にかけて行われる草刈り区役。いつも休憩中に北山饅頭を差し入れをいただいています。草刈りの休憩が楽しみで仕方ない僕です。日々暮らしている中でも、ふとした瞬間、北山饅頭が食べたくなる。その理由が分かった気がします。それは、「千秋さんの優しさ」がいっぱい詰まった饅頭だからだと思います。みなさまも富士町にお越しの際は北山饅頭へ。


-
<お世話になった取材先>
藤田千秋さん
北山饅頭 3代目
-
<お世話になった取材先>
藤田千秋さん北山饅頭 3代目
昭和30年生まれ、佐賀市富士町出身。高校卒業と当時に就職のため上京。平成15年、お店を手伝うためUターンし、3代目として継業。
性格は、変化を求めない安住タイプ。座右の銘は「感謝」。北山饅頭
住所:〒840-0532 佐賀市富士町大字大野911
電話番号:0952-57-2126
営業時間:7時から18時(冬は17時まで)
定休日:火曜日(定休日以外もお休みになる場合がありますので、あらかじめお電話にてお問い合わせください)
駐車場:あり




-
<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
-
<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

