笑い声が響きわたる、仏のような頼れる農家 No.040 木下堂 木下健一さん
- 2021.12.10
- written by 鵜飼 優子

富士町古場で主に葉物野菜とお米を作られている農家の木下健一さん。大きな瞳とさわやかな笑顔が印象的で、「みんながほんとに必要をしているものを提供できるかどうかなんです」とはつらつと答えてくださいました。
奥様と健一さんのお母さんとともに農業を営みながら、3人のお子さんと暮らされています。
農業の話からお釈迦さんの話まで。日々どんなことを感じながら、木下健一さんは仕事をしているのでしょうか。お話を伺いました。
身近なひとを幸せに。笑顔とともに届ける野菜

本日は、よろしくお願いします。まずは、現在の健一さんのお仕事について教えてください。
今は、葉物を中心にした野菜とお米を作っていて、お店や個人のお客様に直接配達しています。葉物はビニルハウスでの栽培で、自宅がある山間部の富士町古場と、平地の大和町で季節に応じて分散して作っています。
野菜はときどき、道の駅そよかぜ館にも卸しています。
お客さんへ直接お届けされるんですね。
そうです。週2回佐賀市内へ直接配達に行きます。飲食店や個人のお宅など、1日に20軒前後回ります。あとは、福岡の保育園にもお米を卸しています。
販路は自分で開拓されたのですか?
自分では、販路を広げたことがなくて、お客さんが紹介してくれたり、口コミで広がったりしてくれて。 当然うちのスタイルに合わなくて、離れていく方もいますよ。だけど、なんとか食いつなげているということは、それだけ分は頑張っているんだろうなと。あははは(笑)
健一さんのお客さんは身近な皆さんなんですね。
そうですね。自分たちが高く売れるのを作るわけではなくて、みんなが生活でほしがっているものを提供できるかなんですよね。世の中の役に立てる仕事をできるかに価値観を置いているんです。実入りが少ないってことは、それができてない。自分のピントがずれているってことなんですよね。

野菜の種を選びとかも環境の変化を見ながらですか?
そうです、そうです。依頼されて、播いてみて、できるものは極力やります。時間との兼ね合いがあって、できないものもありますけど、それが突破口になるものもあります。
こういうのほしいという声に応えていくと、その野菜以外のものも付随して、売れていくこともありますか?
そうですね、ありますね。ただやっぱり高級料理店とかでは、一般的に作ってないのを求められますもんね。だからほかの店で使おうとするとなかなか使ってもらえなくって、やっぱり収益性がでない。ただやっていくうちにどんどん広がっていく可能性があって、辛抱強くやっていったら使ってくれるようになることもありますね。
農業って、突き詰めれば突き詰めるだけ、どんどんいくじゃないですか。1個の作物をおいしさを求めて作り続けるのか、皆さんが求めやすいものを提供するか、健一さんはどちらですか?
それはどっちでもいいと思うんですよ。ていうのは、世の中にはすごい技術を持っている、トマトやマンゴーの農家がいる。究極的なうまさを実現して、高値で売っている人たちがいて、それはそれで世の中には求めている人たちがいるからです。
そこを狙っていくのもよし、俺みたいにとにかく身近な人たちの生活に役立つもので極めるのもよし。どっちでもよしって思っています。それでも自分は、高級なものに特化するのは、気が向かんなっていうだけであって、自分が合うか、合わないかだけの話かもしれないですね。
自分に合うやり方を探していくのですね。
新しいエネルギーを作りたいと思っていた少年時代

健一さんが農業をされるきっかけって何だったんですか?
もともと親が農業をしていてですね。高校で地元を離れ、大学では横浜に出たんですよね。その横浜での生活に違和感があって。人工物に囲まれて、なんでもお金が必要で。それから自分はどういう風に生きたいんだろうって考え始めました。
考えた先に農業があったんですか?
そうですね。もともと中学生のときに新しいエネルギーを作りたいって思っていて。よく考えたら、野菜をつくることもエネルギーだよなって思い至り、地元に帰ってきて、両親に教わりながら農業を始めました。
農業のやり方がどんどん変化されていったとおしゃっていましたが、どんな風に変化していかれたんですか?

まずはじめは慣行農法から始め、育てるものも変化していきました。いちごをやっていた時期もあったんですが、まったく育てたことがなかったので、あの時は大変でしたね。ほとんど寝ずに、農作業加えてバイトもしていました。結婚して、子どもができたのがきっかけでいちごは止めました。
ハードな生活を送られていたんですね。今は、減農薬栽培をされているんですよね。
そうです。有機農法に取り組んだりもして、いろいろ学びました。その中で、農業指導者の西出さんという方に出会って学び、その学んだことの中で自分のできる部分を取り入れています。
有機農法でもいいんですけど、収量が安定しないのが困るので、最低限化学的なものも使っています。何より、待っているお客さんに届けるというのが大事なので。
ベストな形でお客さんに届けるのを大事にされているからなんですね。
そうです、そうです。世の中に貢献するのが第一目標なので。
変化のきっかけはお釈迦様!?

農家として歩みながら、人間関係や地域との関係に悩んだ時期もあったと話す健一さん。どう生きていこうかと悩んでいたときに出会ったのがお釈迦さんだったそう。
人間関係でぎくしゃくしていたときに、自分なりに心理学で対処していたんですが、解決の糸口が見えず。その時にたまたまネット書店で「反応しない練習」という本に出会って。著者は、草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん)さんという原始仏教のお坊さんです。その本を読んで、俺が日ごろ体験してることと同じだってなって。
そこから原始仏教について調べました。調べれば、調べるほどお釈迦さんはすごい! って思いました。日本の仏教とはまるで違っていて、現実的かつ科学的に物事の解決の仕方とか、心の整え方、そして思考がどういった現れ方をするのか、さらにそれを取り除く方法とかをお釈迦さんは緻密に研究していて、それが原始仏教の瞑想の大事な部分で。しかも生活のなかでできるんですよ。型にはまって座らなくても、日常の生活の動きの中でもできるんです。禅宗が一部とり入れてますよね。
お釈迦さんとの出会いで健一さんは変わられたんですか?
そうですね、もうまるっきり違いますね。自分が実践していく過程で子どもたちも変わっていっている。だから悩みがある人たちに、これ読んでみとか言って、本を勧めるんですけど、ほとんど反応なしみたいな。

ある意味、反応しない練習ですね(笑)
あはは(笑)面白いんですけどね。物事をありのままに見ましょう、というのも教えのひとつで、自分がこう思いたいっていう思考から離れる練習をするんですけど、それは日ごろの生活の中でできるんです。農作業って、まさにその練習にうってつけだと思います。ひとつひとつの体の動きに集中して、ただひたすらにそのことだけを「やっている、やっている」って確認する。そうすると、不思議と物の見方が変わってくるんですよ。どういう理屈でそうなってるのか、わからないですけど、思考をとめるって作業ですよね。そうするといろんなものが見えてきます。
なるほど。毎日瞑想しているようなものなんですね。
そうですね。だから自分は、仕事しながら瞑想してると言えますね。何か浮かんできたら、自分の体の動きを確認していく。これを知ってから自分自身が物事の見方が変わって、いろいろなことが楽になりました。
目の前のことに集中していく。大事なことですね。
今後のあり方

日々、目の前の仕事に集中して、周りを幸せにしていく健一さん。今後はどんな風にありたいと思われているのでしょうか?
とにかく生活に関しては、こどもが順調に育って生活できればそれで充分です。生活できるために自分は何をやっていくかというと、柔軟に変化することでどんな状況でも対応していくことです
地域の未来像は、やっぱり人口が減っていっているのが問題ですから、うちの地区に若い人が住んでくれたらいいなと思っていて、そのための手助けをしたいと思っています。
健一さんがいらっしゃって、移住された方もいますよね。地域のキーパーソンだと思います。
そう思ってくれていたらいいですね。ただやっぱり離れていかれる方もいらっしゃったので、合う、合わないもあったかもしれないし、自分のフォロー不足もあったかもしれないです。それを加味しつつ、今からよりよくしていきたいと思ってますけどね。
例えば、トレーニングファームを卒業した方とか農業している方が、農業しながら富士町や古場の集落できちんと生活するための体制をフォローできたらと思っています。自分は農業で貢献していきたいですね。
あとは、妻の実家が今はもう店をたたんだんですけど、もともと定食屋さんで、妻はいずれ定食屋をやりたいって言っているので、自分が育てた野菜を使って、定食屋ができたらいいですね。
素敵ですね。最後に健一さんの原動力って何ですか?
待っていてくれる皆さんをいかに喜ばしてやろうかっていうのが原動力ですね。
野菜を届けたときにお客さんが喜ぶじゃないですか。他にも例えば、依頼されて稲刈りをして、刈ったあとに「ありがとう」って言ってもらえる。みんなを喜ばせるっていう感覚が生きがいじゃないですかね。それを求めているだけかもしれません。
みんなの喜びが原動力。これからも皆さんに喜びを届けてください。本日は、貴重なお時間いただきありがとうございました。
ー 編集後記 ー
吸い込まれそうな大きな瞳とよく通る声の健一さん。明るいオーラで和やかな中、取材と仕事体験をさせていただきました。お仕事体験では、さすが農家さん。あっという間にマルチを張ったり、種を植えたり、速さに驚きました(笑)
そんな健一さんが作る野菜もお米もエネルギーたっぷり。「待っていてくれる人に届ける。とにかく人の役に立ちたい」と熱く語ってくださる姿が印象的でした。いろんなお話をさせてもらい、お釈迦様や哲学の話、とても面白かったです。富士町に健一さんがいるのは心強いなと思う人柄を感じました。


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<お世話になった取材先>
木下健一さん
木下堂
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<お世話になった取材先>
木下健一さん木下堂
1970年生まれ。富士町古場出身。高校から地元を離れ、大学で横浜国立大学へ。都会の生活を経て、佐賀へ帰郷。農家である両親から教わりながら、就農。慣行農法から有機農業を経て、現在減農薬で、お米と葉物野菜を育てる。お店や個人の方へ直接配達する。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

