癒されて、素直な自分に気づける農家民宿「具座」。その源泉は、夫婦の「愛」。 No.037 藤瀬吉徳さん、みどりさん
- 2021.10.28
- written by 山本 卓

佐賀市三瀬村にある農家民宿「具座(ぐざ)」は、佐賀県初の農家民宿として2006年にオープン。県内外はもとより海外からも宿泊客が訪れ、その数は年間600人を超える。老若男女を問わず、訪れた人はみな癒される大人気農家民宿である。
この農家民宿「具座」を切り盛りしているのが、藤瀬吉徳さん(67)と妻、みどりさん(65)。
眼前に広がる畑で育った旬の野菜をふんだんに使った、みどりさんお手製の料理は絶品だ。その理由は、新鮮さと「愛」にあり。今回は、民宿をオープンするまでの道のりや、お二人の原動力である「家族への愛」「夫婦の愛」について伺いました。
村のため、家族のために働いた「役場職員」という仕事。

本日は、よろしくお願いします。今、目の前にある料理はすべて具座さんが育てられた野菜を使っているんですよね。全部めちゃくちゃ美味しいです!
みどり:かぼちゃも甘くておいしいでしょ。
吉徳:先日の雨も止んで、天気のいい日が続いたから、ナスも持ち直したね。
みどり:ナスは素揚げして、田楽にしてもおいしいかもね。
僕が、佐賀に移住して、やってみたかったことの一つが「野菜作り」でした。野菜作りを始めた当時から、お二人には本当にお世話になりっぱなしで。お二人は僕の先生です! いつから農業を始められたんですか?

みどり:旦那さんはね、農業高校卒業後、すぐに三瀬の役場に勤めたのよ。本当は役場の仕事をしたかったわけじゃなくて、じいちゃん(吉徳さんのお父さん)の農業を継ぐ気でいたんだけどね。だけど、じいちゃんが、勝手に役場の募集に申し込んじゃって。(笑)

お父さんには「農業をやりたい」って言わなかったんですか?
吉徳:そうね。でも、あの頃、農家として仕事していても失敗していたと思う。
みどり:私が思うに、旦那さんが高校卒業する頃って、じいちゃんは農家として現役で、まだまだ仕事ができたからだと思う。だから一緒に農業するって気持ちにはなれなかったんじゃないかな。
吉徳:高校卒業後、ずっと役場に勤めて、50歳で早期退社したんです。
みどり:役場職員って、公の仕事でしょ。旦那さんは「村のため、世の中のため」に一生懸命働いてくれました。
役場職員の仕事って、いろいろ大変なことも多かったんじゃないですか?
吉徳:ストレスで胃が痛くなるって、みんな言うでしょ。でもね、40代前半まで「どういうことなんだろう」って、その意味がわからなかった。役場職員の仕事は好きだったしね。それにランニングも好きだったから、仕事が終わって、ランニングして、お酒飲んで、寝て、また仕事をして。ずっと楽しいことばかりだったから、ストレスなんて全くなかったね。
農家民宿を始めようと思った、きっかけはいつだったんですか?
みどり:実はね、「民宿をやりたい」って旦那さんが言ったんですけど、私2回断っているんですよ。
グリーンツーリズムとの出会い。「民宿をしたい」と突然の告白。

吉徳さんが、民宿をやりたいと言い出した1回目はいつだったんですか?
みどり:1回目はね、たしか1998年頃だったかな。グリーンツーリズムというのが、流行り出したころですね。
注:グリーンツーリズムとは、農山漁村に滞在し農漁業体験を楽しみ、地域の人々との交流を図る余暇活動のこと。 長期バカンスを楽しむことの多いヨーロッパ諸国で普及した。(JTB総合研究所HPより)
みどり:そういう時期に、田植え体験をうちでやったんです。その頃インターネットもない時代だったので、ラジオとか新聞とかで広報してね。
吉徳:あとは村の温泉に張り紙をしてね。
みどり:そうそう。それで電話かけて来てくれたご夫婦がいました。私、飛んで喜んだもん! それが移住希望者の受け入れ第一号でした。そのご夫婦は2年間、福岡から三瀬に通って来てくれました。そして土地を見つけて三瀬に移住をしてくれたんです。そんなグリーンツーリズムという流れの中で、旦那さんが急に「役場を辞めて、自分で民宿みたいなことをやりたい」って言いだしまして……。辞表まで出したんだっけ?

え?! 辞表まで出して。善は急げって感じだったんですか?
吉徳:……。辞表というか。
みどり:そこまで行ってなかったかな。(笑) 突然言い出すもんだから、すぐに旦那さん抜きで家族会議ですよ。子供たちは、はっきりと「今のお父さんにそんな力はない! 今辞められたら学校生活に身が入らん」って言ってましたね。旦那さんのお母さんも「親が子供のために犠牲になるのはいい。だけど、子供が親のために犠牲になることはするな」って。バッサリ。
吉徳さんは、それを聞いてどうだったんですか?
吉徳:やっぱり無理だよねーって思ったね。(笑)
みどり: 1週間ぐらい、プンプン腹立てたでしょ? 口もきいてくれなかったし。
吉徳:でもね、あの時役場を辞めなくてよかったなと思います。だって、それからもっと仕事が楽しくなってきたから。
みどり:だけどさ、なんでその後、鬱になったの?
吉徳さんが、鬱になったんですか?!
みどり:48歳ぐらいの頃だったかな。
吉徳:子育てが終わって、仕事に専念できるタイミングだったんですけど。子供たちが三瀬村を出て行ったり、私の仕事が忙しくなってきちゃって、大好きだったランニングもできなくなってしまったり。「やりがい」を失ってしまったことが理由ですね。
鬱を乗り越え、佐賀県で初めての農家民宿「具座」誕生へ!

鬱になってしまったのは、一体何があったんですか?
吉徳:私が45歳ぐらいだったかな、1998年頃に、市町村合併の話が出始めました。この先、三瀬村がどうなっていくんだろうという時期でしたから、かなり忙しかったですね。
みどり:役場の仕事もそうですけど、子供たちが上京したり、家の田んぼ仕事もあったり、集落行事もあったりしてね。すごく目まぐるしい時期だったと思いますよ。とにかく旦那さんは子供のために、家族のために、一生懸命でしたから。
吉徳:「子育て」と「ランニング」。私の「やりがい」が2つとも無くなってしまった。
みどり:45歳から3年間は頑張ってくれていたんですけど、気が抜けてしまったのかな。仕事にも身が入らなくなっていたもんね。
鬱状態ってどんな感じだったんですか?
みどり:当時、おかしかったもん。何度も同じことで電話してくるし。
吉徳:私はね、ストレスって感じたことがなかったって言ったでしょ。なのにその時期は、父が亡くなり、いろんな面倒事が降りかかってきちゃって。「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」って追われてしまった。酒飲んでも治らなくて、困りました。 (笑)
みどり:突然、旦那さんが「辞めて、民宿をやりたい」ってまた言い始めてね。それが48歳か49歳の頃だったかな。でも具体的にどうやりたいかって考えもなく、夢物語を語るというか。
吉徳:子供が入学するための大切な資料を、学校に郵送するのを忘れたり、今思うとおかしかったなと思う。病院に行って診てもらったら「躁鬱(そううつ)病」って診断を受けました。それで早期退職という形で50歳の頃、2004年に役場職員を辞めました。退職後は、百姓をやりつつ、臨時職員になってダムの周りの清掃活動やふれあい農園の管理など、体を動かしながらリハビリをしていましたね。
吉徳さんが辞められる時期、みどりさんの気持ちはどうだったんですか?
みどり:旦那さんを私の実家のドライブインに引き入れることも考えていたの。でもね、私は藤瀬に嫁いだから、藤瀬の人間。私の母が営んでいたドライブインを一緒にするっていうのは筋違いかなと。私もずっとドライブインの仕事は「このままでいいのかな?」と悩んでいました。もし一緒に仕事をするのなら、どうせやるなら他の形でやりたいなと考えるようになって、旦那が退職した1年後、2005年頃に、私から「民宿やろうか」って声をかけたんです。
みどりさんも民宿はやりたかったのですか?
みどり:やりたかったというか、昔から人が集ってくれるような仕事が好きだったから。旦那さんが「民宿をやりたい」って2回も言っていたでしょ。でもね、タイミングがわからなかった。私は、高校卒業してからずっと実家のドライブイン(飲食店)を手伝っていたんです。2000年頃、母が亡くなって、それまでの営業時間を昼2時までにして、夕方から宴会の仕事を受けたり、弁当の受注も積極的に受けたりしてね。友達に手伝ってもらいながらドライブインを必死で守っていたんです。でもね……。
ずっと、ドライブインを辞めるタイミングが見つからなかった。だから必死で仕事していたのかもしれないね。
辞めるタイミングですか。
「家族愛」「夫婦愛」のために、女将みどりの決断。

民泊をすると決めた、決定的な出来事はあったのですか?
みどり:2005年だったかな、福岡県西方沖地震です。あの日、三瀬村も結構揺れました。もしあの地震がもっと酷かったら、私はドライブインで一人死んでいたかもしれない。家族みんなが別々の場所で死んでいたかもしれない。そう考えていたら「結婚って。夫婦って何なんだろう?」と思ってね。旦那さんの側で一緒にできる仕事がしたい。だから旦那さんに声をかけて、民泊をしようと決断したんです。
お母様の代から続けてきたドライブイン(飲食店)を閉めて、新しい挑戦をする決断って相当な覚悟ですね。
みどり:ドライブインは、母と阿吽の呼吸で仕事をしていました。私は、いわゆる母の片腕としてです。今度は旦那さんの片腕として民宿をやりたい。旦那さんがいるから新しく挑戦することも怖くなかった。それに……。
それに?
みどり:「男の判断。女の決断」で言うでしょう。女が決断しないと、何にもできないんですよ。(笑) ほら、田舎に住みたいって男の人が夢を語ったところで、奥さんが「うん」と言わない限り移住でもできない。女の人が決断しないと男は何でもできないんですよ。
みんな素直になる宿、農家民宿「具座」

実際に民宿を開業するために、どんな準備をしたのですか?
吉徳:まずは納屋の片づけから始めました。農機具や米を入れる缶みたいなものとかたくさんありましたから。それから大工さんや古民家再生のコーディネータさんと打ち合わせしながら半年間をかけて改修しました。
半年間で改修できるものなんですね?!
できちゃいましたね。(笑) あとはカミさんと2人で柿渋を柱などに塗ったり、民宿の許可を取ったりして、半年間で何とかオープンまでこぎつけました。
築100年の納屋を改装する費用って相当かかったんじゃないですか?
みどり:旦那さんが頑張って働いてくれていたおかげで退職金があって、具座をオープンすることが出来ました。普通、退職金つぎ込んで事業は出来ないでしょ。私は、「元から退職金がなかったと思えばいいじゃん」って思ったんです。老後のために退職金を残して、農家仕事だけやって暮らしていても、面白くないでしょ。二人とも人が集まる場所を作りたかったという想いもあったし、お金がなくたっても体がある。体さえあれば生きていける。思い切らないと何もできないかなって。
オープン当初からたくさんの方が来てくださったと聞きましたが。
吉徳:そうですね。オープン前から新聞の取材や雑誌の取材、TVの取材なんかもたくさん来てくれました。佐賀県初の農家民宿ということで注目度が高かったんですね。その頃はまだインターネットも普及してない時代でしたから、次から次にメディアの取材が来てくれたことが、たくさんのお客さんに繋がったんだと思います。
実際には、どのくらいの方が宿泊されたんですか?
吉徳: 年間で600人ほどが宿泊してくださりました。それと昼のランチには500人ほどの方が来てくれました。私たちは民宿をやったことがなかったけれど、お客様が楽しむより自分たちが楽しんでいましたね。(笑) 今思えば、とても忙しかったのに、あれだけのことをよく出来たなと、過去の自分をほめてあげたいです!
名前は初めから「具座」に決めていたんですか?
みどり:いろいろ案はあったのよ。「藤瀬」とかね。でも、具座に決めました。「具座」はこのあたりの6軒の地名です。字(あざ)名よりもさらに小さい単位の集落名で、上方(うえがた)、下方(したがた)、不動(ふどう)、具座っていう感じに分かれています。
地図には載っていない愛称みたいなものですね。

2006年から農家民宿「具座」を始められて、16年間が経ちましたがいかがでしたか?
吉徳:順風満帆で来ていますね。農家民宿を始めた初年度から年間600人ぐらいの方を受け入れさせてもらえました。リピーターのお客さんや、海外からの旅行者の方も増え、お客さんと話しながら、いろんな刺激をいただいています。
具座を立ち上げてよかったと思いますか?
吉徳:やっていて、よかったことはたくさんあるんですが、やっぱり家族が一緒になってできる仕事だということがよかったかな。ばぁちゃんも、カミさん(みどりさん)も息子も、みんな応援してくれる。家族、そして農家民宿が、今の私のやりがいです。

みどり:こんな素敵な仕事はないと思う。2人とも「人が好き」というのもある。お客さんとご飯を囲みながら、会話していると、バックボーンが見えてくる。お客さんは普段話せなかったことを、私たちにポロっと打ち明けてくれたりしてね。その後、手紙をくれたり、「あの人どうしてるかな?」って思っていたら、具座に遊びに来てくれたりします。
具座は、みんなの「帰ってくる家」なのかもしれませんね。
みどり:「具座」はそもそも「具座不動」という厄払いの神様の神事を行う際に、道具を置く場所のことを意味するんです。私は具座のある場所を「神様の通り道」って思っていて、実際ここに来た人は、みんな素直になるんです。普段話せない心の内に秘めているものを、私たちには話してくれたりしてね。
具座に来たら、自分らしく、素直な表現ができる気がします。
「まずは体験してほしい」移住希望者へのアドバイス

最後に、これから移住を考えている方へメッセージをいただけますでしょうか?
吉徳:移住する人は、「何をやりたいか?」という自分なりのプロジェクトをしっかり作っておかなくてはいけないと思います。ぼんやりとした憧れではダメ。目標シートを作らなきゃいけないね。
みどり:最近知ったんでしょ。大谷翔平選手が学生時代にやっていた目標達成シート。それを言いたいだけなのよ、この人は。(笑)
吉徳:絶対に書かないといけない!
みどり:田舎暮らしって。みなさん理想があるでしょ。だから始めは、移住体験や交流会に参加して「田舎はどんなものなのか?」を肌で感じてみてください。田舎暮らしをするって、楽しいことも多いけど、他にも村の行事ごとなど、いろんなことをやらなくてはいけないので、まずは「田舎を知ること」から始めてもらえるといいかなと思います。
僕も移住する前に、泊まらせていただいたのが「具座」でした。あの時、田舎に住むという体験をさせていただけたのが、とても助かりました。
吉徳:農家民宿って「体験」を提供するということがメインなんです。オープン当初はカミさんが蕎麦打ち体験をしたり、私は山歩きや椎茸狩りなど、体験できることが盛りだくさんでした。お客さんにどうやって喜んでもらえるか、いろいろ考えて提供していました。ある意味、体験の押し売りですよね。(笑)
最後に、この記事を最後まで見てくださった方へメッセージをお願いします。
みどり:これまでも移住希望者の方々や、興味のある方が、三瀬村の入り口として具座を利用してくださっています。気軽に三瀬村にある具座に遊びに来てください。
―いろんな挑戦をしているお二人の活動も、今後楽しみにしています。本日は、お忙しい中お話聞かせて下さりありがとうございました。
ー 編集後記 ー
2年前、私は「移住」というものへの理想はあったが、自分が住んでいるリアルなイメージが出来ていませんでした。移住してきた僕に「○○をやってみない」と、いろんなことを体験させてくれました。今こうして山暮らしを楽しめているのは、山暮らしの楽しさと厳しさを教えてくれたお二人がいたからだと思います。そして2年前に「山暮らしとは」を体験させてくれた具座さんがあったからだと思います。今回の取材で僕はお二人の愛情を、ひしひしと感じました。


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<お世話になった取材先>
藤瀬吉徳さん・みどりさん
農家民宿「具座」
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<お世話になった取材先>
藤瀬吉徳さん・みどりさん農家民宿「具座」
藤瀬吉徳さん
三瀬村生まれ。高校卒業後、三瀬村役場に職員として就職。走ることが好きで、県内でも期待される選手へ。40代にはホノルルマラソンへ挑戦する。役場を早期退社。その2年後の2006年佐賀県初となる農家民宿を始めた。その後も三瀬村の地域活性の為に、様々な分野に挑戦し続けている。みどりさん
三瀬村生まれ。高校卒業後、実家のドライブインを手伝う。2005年に発生した福岡県西方沖地震を機に、「夫婦で一緒にできる仕事をしたい」と農家民宿をする決断を下す。田舎にある伝統を次の世代につなぐために、さまざまさ田舎体験を行う。平成22年には、農林水産省と観光庁が実施する「農林業家民宿おかあさん100選」の1人に選ばれる。農家民宿「具座(ぐざ)」
住所:佐賀県佐賀市三瀬村藤原1097
電話:0952-56-2649
営業時間:チェックイン16時/チェックアウト10時
料金(税別):宿泊料金(1泊2食)中学生以上7000円、小学生5000円、幼児3000円
HP:http://guza-mitsuse.com/




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

