3世代で育てるリンドウ農家 No.036 豆田花園 高増浩太郎さん
- 2021.09.27
- written by 鵜飼 優子

秋の花として知られるリンドウ。その根は昔から漢方にも使われてきたそうです。
そんなリンドウを富士町で育てている豆田花園の高増浩太郎さん。
高増さんは奥様の実家である豆田花園を継がれ、奥様とお義父さん、お義母さん、お義祖父さんと一緒に家族でリンドウ栽培されています。
農業に関わりがなかった高増さんが飛び込まれた花農家のしごとや移住者としての集落での暮らしなどについて伺いました。
何年も花が取れるリンドウ

本日はよろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いできますか?
高増です。富士町でリンドウ専門農家として、家族経営でリンドウを栽培しています。
リンドウ農家として14年目になります。
ありがとうございます。現在どのくらいのリンドウを育ててらっしゃるのですか?
うちのリンドウは、ビニールハウスで栽培しているのですが、ハウスが35棟くらいあります。合わせて約1ヘクタールくらいです。
出荷は、九州各地の花市場に卸しています。
リンドウはどんな花なんですか?
リンドウはもともと高冷地で自生している花なんです。だから、山に行ったら咲いてありますよ。全国的には、岩手や長野が産地として有名です。
リンドウは、宿根(しゅっこん)草(そう)なので、上の花が枯れても下に芽が出ていて、次の年また花を咲かせるんですよ。

宿根草って言うんですね。花が何年も採れるんですか?
そうですね。うちはハウスで栽培しているので、3年くらいしか採れないですね。ほかの地域で7、8年採れるところもあるみたいですね。
3年採れるんですね。
リンドウの切り花は、植えてから1年間は育てる期間なので、その次の年から3年間採れますね。全体の3分の1がリンドウを養成しているハウスで、残りのハウスで1年以上育ったリンドウを切り花として出荷しています。
奥様との出会いがきっかけ!? リンドウ農家の道へ

高増さんがリンドウ農家になったきっかけは何だったんですか?
豆田花園は、妻の実家なんですよね。自分が仕事で嘉瀬川ダムの工事に来ていた時に妻と知り合って、それがきっかけです。
奥様との出会いがきっかけだったんですね。
もともと佐世保の出身で、工業高校を出たあと、ダム工事やトンネル工事などで使うコンベアを作る会社に勤めていたんです。
嘉瀬川ダムの工事で佐賀に来たときに、工事の人たちが寝泊まりや食事をする宿舎があったんですよ。妻はその宿舎の食堂で働いていて、そこで出会いました。
そこからご結婚されて奥様の実家へ。佐世保で暮らそうとはならなかったのですか?
ならなかったですね。妻がもともと実家のリンドウの仕事を手伝っているって知っていて。妻は3姉妹なんですけど、あとの2人は実家を出ていて、妻だけが残っていたので、自分が妻の実家へ行って、一緒にリンドウの仕事をしようと思いました。

迷いはなかったんですか?
なかったですね。勢いでした。付き合っているときから、妻の実家でお義父さん、お義母さんが仕事されるのを見ていたし、何より妻がすでにリンドウの仕事をしていたので自然と入れました。
リンドウの栽培を始められたのはお義父さんだったんですか?
そうですね。妻の父の代から始まりました。お義父さんが長野へ研修に行き、帰ってきて、山採りリンドウからスタートしたそうです。その時は、リンドウ専門ではなくて、ほかの花も作っていたそうです。
高増さんが来られてからリンドウ専門になったんですか?
自分が来たときは、まだリンドウ以外の花も作っていたんですけど、リンドウが宿根で数年花が取れるので、なかなかほかの花を植えられないんです。あと、片手間でほかの花もやっていると両方うまくいかないんですよね。なので、自分たちで苗が作れて、自分たちのやり方にもリンドウが合っていたので、リンドウ専門になりました。
0からのスタートでリンドウ農家になってみて

実際にリンドウ農家になってみていかがですか?
面白いですね。冬に土づくりして、種まいて、できた苗を植えて、その間にも出荷する。一連の流れに全部関われて面白かったですもんね。リンドウは宿根草で、花が枯れた次の年に花が咲くと言われても、イメージできなかったんですけど、枯れた花の下にちゃんと来年の芽がでていて!
芽を見つけたときはびっくりしましたね。
楽しんでリンドウ作られているのですね。
リンドウ農家はこうだ! という知識がなかったのが逆によかったかもしれません。周りの人にも何も知らない0からのスタートのほうが素直に入るからねと言われましたね。
家族皆さんで仕事されているんですか?
お義父さん、お義母さんと妻のおじいちゃんと妻と自分の5人で家族経営ですね。お義父さん、お義母さんが「何事もやってみたら?」と言ってくれて、自分の好きなようにやらせてもらえるので、仕事はやりやすいですね。
生活も仕事もずっと一緒だけど、いやになったことないですね。みんなで仲良くやってます。ご飯も家族全員で揃って食べてますね。

仲良く家族でお仕事しているって素敵ですね。仕事のやりがいって何ですか?
土づくりと種まきからはじまって長い期間、愛情込めて育てたリンドウがきれいに咲いたときに一番やりがいを感じますね。みんなで「立派かねー」って言いながら作業しますもんね。毎日、リンドウを見てても、綺麗なリンドウができたら自分でもほしいって思うくらいです。
地域を守るために外の人の力も必要。

高増さんご自身も佐世保から移住されてこられたんですよね。
そうですね。こっちにきて、この地域のつながりの強さを感じました。
やっぱり都会とかだと近所の人って言っても、そこまで知らないですもんね。こっちは離れた集落とかでも顔と名前を知ってますもんね。
消防団に入ったり、地域の行事に参加したり……。皆勤賞もらえるくらいに何でも全部参加しました。そのおかげで皆さんとも仲良くなれて。行事があるおかげで地元の人ばかりの集落にも入っていけました。
すぐなじまれたんですね。
皆さんよくしてくれて、困ったこととかはなかったですね。こっちに来てすぐの頃に、この辺りの若い人たちでグループ作って、みんなで野菜を作って出荷してたんです。そのグループでもしょっちゅう集まってましたね。
さつまいも作って焼き芋イベントしたり、白菜でキムチ作ったりして、イベントしたのも楽しかったですね。今は、メンバーそれぞれが仕事の主軸になって、なかなか集まれてないんですけど。
グループで生産もされてたんですね。同世代の人が多かったんですか?
そのグループは自分の集落だけじゃなかったんで、同年代が何人かいましたね。
自分の集落だけだと30代が3人であとは60代、70代になるんですよ。
40代、50代の間がいないんですね。
そうなんです。だから10年後が心配ですね。後継者がいるところはいるんですけど、ご高齢の夫婦だったり、単身だったり。田んぼや畑をやる人がどんどんいなくなって、今いる集落のみんなだけでは維持できなくなりますもんね。
集落を守れなくなっていく。
そうなんです。だからこそ、よその人の力も必要だなと思います。山にきて農業するってだけじゃなくてもいいと思うんですよ。山の雰囲気を味わいつつ、外に働きに出ても。自給のためにもし田んぼとか畑に興味があれば貸してくれるところはありますし。
色々な移住の仕方がありますね。
別にずっと住まなくてもいいと思うんです。合う、合わんがあるだろうし。きっと移住したけど、イメージと違うってことあり得ますもんね。
例えば、地域の行事やその土地の決まり事になじめなかったり、借りた人の土地全部を面倒見なくちゃいけなかったりだとか。でも単に、家を建てて住むだけではなく、その土地に来たら、その土地を大事にしていく必要はあると思います。
なるほど。移住前に何回か来てみるのがいいかもしれませんね。
そう、それが一番。ギャップをなくす。自分の考えと現実との差がなくなったころにくるのもいいかもしれません。
移住で大事なことかもしれませんね。
今後の展望

高増さんの今後の展望を教えてください。
ふたつあって、ひとつは品質のいいリンドウを作ることですね。
リンドウってもともと高冷地の花なんです。昔このあたりの気温は、夏場でも30℃なかったみたいで、リンドウ栽培に適していたんです。だけど、最近は夏場に35℃くらいまで上がるんですよね。気候が変わってきた中でもいいリンドウが作れるように工夫していきたいです。
それと、将来子どもたちがリンドウ栽培したいって環境を整えたいです。今は夜ご飯の後も仕事しているけど、あんなにしないといけないきつい仕事は、いやだって思われたくないですね。
子どもたちが小さいときは、ハウスにもよく来てたし、手伝ったりもしてたんですけど、最近は、全然近寄らなくなりました(笑)友達と遊ぶのが一番楽しんでしょうね。子どもたちが大きくなるまでに環境を整えて、子どもから自分もしたいって言ってくれたらうれしいですね。
お子さんたちへお仕事を繋いでいきたいですね。本日は貴重なお時間ありがとうございました。
ー 編集後記 ー
いつもとてもにこやかで優しさ溢れる高増さん。ご家族みなさんもあたたかい雰囲気でとても癒されました。移住してきて、家族で仕事していても嫌だと思ったことはないと言われていたのが印象的でした。
仕事体験では、リンドウを採るのをお手伝いさせていただいたのですが、リンドウがあんなに背が高さに驚きました!まだまだ知らないことだらけです。貴重な体験と取材をさせていただきありがとうございました。


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<お世話になった取材先>
豆田花園
高増浩太郎さん
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<お世話になった取材先>
豆田花園高増浩太郎さん
1985年生まれ、長崎県佐世保市出身。工業高校を卒業したのち、勤めいた会社の仕事で佐賀へ来る。その際、ご縁があり奥様と出会いをきっかけに、奥様の実家のリンドウ栽培を仕事にすることになる。現在、家族経営で35棟ほどのビニールハウスでリンドウの栽培から切り花の出荷までをしている。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

