「農ある暮らし」実現へ No.035 恵良農園 恵良裕一郎さん、五月さん
- 2021.08.31
- written by 鵜飼 優子

佐賀市富士町で農業をされている恵良農園の裕一郎さんと五月さん。農薬や化学肥料に頼らない野菜作りをされています。恵良さんが作るピーマンやナスは、みずみずしく、野菜のうまみがたっぷり。
最近では、町に暮らす人が山で「農ある暮らし」の体験ができるよう、農作業とキャンプを組み合わせた企画もされています。
そんな恵良さんに空き家バンクを使った家探しや「農ある暮らし」のことなどをお聞きしました。
移住のきっかけは…

本日はよろしくお願いします。恵良さんは、関東から佐賀のお山へ移住されてきたんですよね。きっかけは何だったんですか?
裕一郎さん:きっかけは、10年前の東日本大震災だね。当時、関東の会社に勤めていたんだけど、その日は関東も揺れがすごくて。緊急地震速報が鳴り響いて、電車も止まってしまって、会社から家に帰れない人がたくさんいたんだよね。俺は、なんとか帰ることもできたんだけど、課長をしていたのもあって、その日は帰れない人たちと一緒に会社に残りましたね。
五月さん:当時、マンションの5階に住んでいて、土から離れた暮らしへの不安もあったし、スーパーで棚から物がなくなったりするのを目の当たりにして、「非常事態に強くなりたい」って思いました。
東日本大震災がきっかけだったのですね。そこから佐賀に移住を決めたのはどうしてだったんですか?
裕一郎さん:もともと俺の出身が福岡で。大学で関東に出て、五月と出会って結婚して、関東に住んでいたんですけど。山に住みたいっていうのもあったし、農業するなら山がいいなって思って。
地元が福岡だから、佐賀の富士町や三瀬村は山がある地域って知っていて、最初は三瀬村で家探しを始めたんです。前職で仲が良かった知り合いが佐賀に住んでいて、その人の持っている土地をまず見に来ましたね。それからも関東で暮らしながら、自分でも家を探しにきたり、自分の父親や知り合いにも家を見に行ってもらったりしていました。
五月さん:三瀬の不動産屋さんの納富さんにもお世話になりましたね。佐賀の山に来て、最初に知り合ったのが納富さんでしたね。すごく親切にしていただきました。
「佐賀の山で家を買いたい」そんなあなたの相談を受ける三瀬村唯一の不動産屋 No.012 納富隆司さん
そうだったんですね。そこから今の富士町の家はどうやって見つけたんですか?
裕一郎さん:三瀬村で家が見つからなかったけど、三瀬村の役場に行ったときに、たまたま空き家バンクの担当の人がいて、富士町なら空き家バンクの物件あるよって教えてもらって。
その当時、空き家バンクの制度ができてすぐだったから、あんまり周知もされてなくて、物件も少なかったね。家を探しはじめて、半年くらい経ってから今住んでいる家が見つかりました。
五月さん:今の家は、空き家バンクに登録されている写真を見ていいなってなりましたね。
裕一郎さん:家探しを手伝ってくれた人たちからは、総じて評判悪かったんだけど(笑)家までの道が狭いとかね。でも大きな道路に面してなくて、奥まっていて静かで、周りに木が多くて、いいなって思って決めました。
町とは違う山の家を買う流れ~空き家バンク成約第1号に!

空き家バンクで家を買う流れってどんな感じなんですか?
裕一郎さん:市の職員さんや集落支援員の方が空き家を調査してまとめてくれた情報が、空き家バンクのサイトに掲載されているから、移住希望者が物件を見学したいって希望を出すと現地見学会をしてくれます。見て気に入ったら自治会懇談会を開いてくれるから集落の人とも顔合わせできる。みんなが合意できたら、ようやく不動産屋さんを通じての不動産取引になりますね。
なるほど。自治会懇談会っていうのは?
裕一郎さん:集落の区役とか祭りはこんなんだよって行事ごとの説明ですね。集落の人たちと、集落支援員と市の職員と家買いたい人で集まって話すんです。
町で家を買うのとはまた手順が違うんですね。
裕一郎さん:そうですね。空き家バンクを通さずに家を買う人もいるみたいだけど、ぽんって来て、面識も無く、自治会にも参加せず、何の接点も無いのに勝手に人の山に入ったりしてトラブルになる。そういうことが起こりやすいんですよね。
山って町と違って、何もかも行き届いてるわけじゃないから、いざ災害が発生した時には地域のまとまりってすごい重要なんですよ。3年前の豪雨のときにあちこちで土砂崩れが起きて、うちの集落の中でも家の裏で土砂崩れが起きた人もいたんです。その時にみんなで「あそこ大変だから」ってちっちゃい重機を持ってきて、泥をかきだして、運搬車で運んだりして、みんなで手伝いましたね。
あの時は何十か所も土砂崩れが起きたから、行政の対応も間に合わないんですよ。そういうときに、ぱっと集まって集落で対応できるっていうのは、区役や祭りごとがあることで、普段から繋がりがちゃんとできているからだと思いますね。
集落の繋がりって大事なんですね。実際住んでみて集落はどうですか?
裕一郎さん:みんなよくしてくれますね。祭りも区役も全部参加しました。それで顔を覚えてもらって。みんなも気にかけてくれたし、農業するときも助けてくれましたね。例えば、田んぼの側溝にタイヤが脱輪したときなんか、「待ってろ、待ってろ」ってショベルを持ってきて助けてくれたり。
長く住んでいると、ここは納得できないとか、価値観の違いから衝突したこともありましたけど、基本的にみんな優しいですね。10年いて、完全にこの集落の人間として認めてもらっていて。俺はこういう繋がりの仲で暮らすって好きですけどね。楽しくやらせてもらっています。

家は空き家バンク成約第1号だったんですよね。住んでみてどうですか?
裕一郎さん:最初はいろいろトラブルありましたよ。水回りとか。
五月さん:お風呂のパイプとか、井戸のポンプだったり。雪で水道が凍っちゃったりしましたね。
やっぱり住んでみるといろいろトラブルあるんですね。不安にはならなかったですか?
裕一郎さん:トラブルがあったときに頼れる業者さんを紹介してもらって、その方は佐賀市街地に住んでいるんですけど、山が好きで、山で暮らしてる人を応援したいからって何かあったらすぐ駆けつけてくれましたね。
五月さん:電話したら「行きますね!」ってほんとすぐ来てくれました。トラブルはいろいろあったけど、この家でほんとよかったですね。
やってみたかった農業の道へ

移住する前から農業するって決めてたんですか?
裕一郎さん:やってみたかったんですよね。
五月さん:定年退職したら、自分で野菜作ってみたいねってずっと話してたんです。やったことは全くなかったけど。震災の時に「食料は自分で作んなきゃだめだ」とも思いましたしね。
もともと農業したいって思われていたのですね。何からスタートされたのですか?
裕一郎さん:最初は、米とピーマンから。でも何も分からないから農業改良普及センターとか農協の方に習いながら、ピーマンの仕組みを教えてもらいましたね。最初の1年目だけ農薬を使って作っていました。
無農薬に切り替えたのはきっかけがあったんですか?
裕一郎さん:なんていうかな、俺は健康オタクなんです。スポーツをずっとやっていて、自分の体によくないってわかっている農薬をまくのが耐えられなかったんです。真夏に農薬をまく時はただでさえ暑いのに、かっぱを着て、マスクして、ゴーグルして、頭にタオルして。それが一番きつい仕事でしたね。
だから1年経って農薬をやめて、いろいろ調べてたら、塩を使うやり方を見つけて。農薬をやめて最初は問題もあったんですけど、なんとか野菜を作ることができたから、そこから化学肥料もやめて、今は塩と糖蜜を使って、害虫や病気から野菜を守ることで、無農薬、無化学肥料の栽培をしています。
ピーマンから始めて今はどんどん野菜の種類が増えてますよね。
裕一郎さん:ピーマンは野菜の中でも育てやすくて、初期費用もそんなに掛からなかったから始めやすかったんですよね。ピーマンから始めて、1年に数種類ずつ作れるものを増やしていって、今は通年で30種類以上の野菜を作っています。
旬の時期さえ外さなければ、農薬を使わなくてもできるようになったから。今はセット野菜にして販売してるんですけど、もっと数量を増やしていきたいですね。

セット野菜は定期的に配達されてるんですか?
五月さん:福岡エリアと関東方面で、定期的に野菜を取ってくれてるお客さんには月に2回発送していて、それとは別に単発の人も毎日注文を受け付けていて、随時発送しています。
恵良さんは、TwitterなどのSNSを使って日々の仕事のことを発信されているんですよね?
裕一郎さん:1年半くらい前からTwitterで農業のことを発信しはじめたら、やってるうちに野菜を買ってくれる人が現れて、その人がすごい喜んでくれたんですよね。それがすごく嬉しくて励みになっています。実際に恵良農園へ遊びに来てくれる人も現れて!
五月さん:わたしもstand.fmの音声配信アプリで生の声を発信していて、そこで繋がった人たちもいっぱい買ってくれて、勝手に野菜のことを発信してくれるんですよね。
裕一郎さん:農作業してるときに、繋がったみんなに食べて楽しんでもらえるなって思いながらしてると、疲れにくいしやっぱり自分も楽しいです。
農ある暮らしの実現へ恵良農園のコミュニティー

今後の夢について教えてください。
裕一郎さん:夢ね、言い出すと途方もなくなっちゃうんですけど、まずは今やっている野菜セットをよりたくさんの人に届けられるようにしたいのがひとつ。
あとは、恵良農園のテーマである野菜を軸にした「農ある暮らし」を多くの人に知ってもらいたいです。普段、農に関わる機会がない人に「農ある暮らし」を体験してもらいたいなって思っています。それが野菜の販売にもつながると思うので。
この間はクラウドファンディングにもチャレンジしたんです。無事成功して「農ある暮らし」を体験してもらうためのキャンプ道具を揃えることができて、実際に来てもらい始めました。

農ある暮らしの体験ってどんな感じですか?
裕一郎さん:農作業を一緒に手伝ってもらい、夜はテントを張って、キャンプしながら交流をして、山ならではの暮らしも味わってもらえるようにしようと思っています。
なるほど。農作業の体験ができてキャンプで山の暮らしも味わえるんですね。
裕一郎さん:今からそういう体験の受け入れ体制をもっと整えていきたし、恵良農園のブランドを確立していくために、何か組織を作っていきたいですね。それは会社なんだけど、コミュニティーみたいな形で、みんなで食べ物を生産をして、鳥も飼ったりする。住むところの周りに農地がある、そんな理想的な場所を最終的には作りたいです。
五月さん:映画の「ビッグ・リトル・ファーム」みたいな形ですね。
裕一郎さん:作物を作るの半分、体験に来てくれた人をもてなすの半分とか。他にもいろいろやり方はあると思うんですけど、例えば恵良農園が直営するカフェ的なものがあって、ここに来れば恵良農園のものを買えて、朝の作業が終わったら、みんなでそこで朝食食べたりしたいな。そういう風になったらいいなって夢はありますね。

農業だけではなくひとつのコミュニティーなんですね。
裕一郎さん:働いてくれる人も多様な形で、食べ物を作ることをしたい人、人と触れ合うことをしたい人……。自然に囲まれた暮らしに興味がある人たちが山にきて、安心して生活できる環境を作りたいですね。
人を受け入れられる恵良農園になって、自分たち自身もそこでおもしろ、おかしく暮らしたいです。
なるほど。Twitterなどのオンライン活動からどんどん夢が広がってきたのですね。
裕一郎さん:そうですね。ここ1、2年で変わってきましたね。Twitterをやり始めたときは、こんな風になると思ってなかったです。「農ある暮らし」を軸にコミュニティーを作るのは遠い目標なのかもしれないけど、もしかしたら遠くないのかもと思っています。
今まで農業を10年やってきたけど、その期間より短い期間で達成できるかもしれなって。やっていくうちに具体的に目標が見えるようになってきましたね。
五月さん:オンライン活動を通して、普段知り合えない人とも出会えたことは、よかったなって思いますね。
裕一郎さん:もちろん富士町の皆さんとのお付き合いも大事ね。野菜を作ってばかり、オンラインでの発信活動ばかりじゃなくて、実際に人と会うことも大事にしていきたいって思っています。
農ある暮らしを軸にこれからどんどん進化していく恵良農園を楽しみにしています。本日はありがとうございました。
ー 編集後記 ー
恵良さんのお野菜はみずみずしく、ぷりぷりでほんとに美味しい。今まで食べた野菜と違っていて、初めて食べたときは驚きました。昨年から農作業のお手伝いをさせていただき、恵良さんご夫婦にはとてもお世話になっています。私の体の半分は恵良農園の野菜でできていると言ってもいいくらい恵良さんの野菜をおいしくいただいています(笑)
夢に向かって、日々前進されている恵良さん。今後の動きも見逃せません!


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<お世話になった取材先>
恵良農園
恵良裕一郎さん
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<お世話になった取材先>
恵良農園 恵良裕一郎さん
福岡市出身。2012年に佐賀市富士町へ移住。奥様の五月さんとともに恵良農園をスタート。ピーマン、ナス、ミニトマトなど夏野菜を中心に通年で30種類以上の野菜を育てる。農薬、化学肥料に頼らず、味わい深い野菜を作っている。「農ある暮らし」をテーマに活動中。
恵良農園 https://erafarm.thebase.in/
裕一郎さんのTwitter https://twitter.com/EYURA2020
五月さんのstand.fm https://stand.fm/channels/5f6020aef04555115dd7c28c
五月さんのFacebook https://www.facebook.com/profile.php?id=100029730352170




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

