七山をアミューズメント村へ。いいことをやり続けたい。No.034 オーケイ・ファーム代表 岡本泰成さん
- 2021.08.29
- written by 山本 卓

自然と「兄貴!」と呼びたくなるほどに包容力を持つ男。唐津市七山生まれ、七山育ちの岡本泰成さん(42)。25歳でオーケイ・ファームの代表となり、現在、トマトやトウモロコシなど10種類以上の野菜を育て販売している。さらに荒廃農地を活用しユーカリを育て、地域活性化を目指す活動にも取り組んでいる。七山の為に精力的に動いている岡本泰成さんに、農家として、そして地域活性の活動家としての今を伺った。
25歳で自立?! 若手トマト農家としての苦労。

本日は、よろしくお願いします。25歳という若さで実家の稼業を継いで独立されたんですよね!
4人兄弟の末っ子だったんですが、18歳の頃に親父から「村長になるから、お前が家を継いでくれ」って言われました。高校卒業してから就職先も全然考えていなかったし、みかん農家として頑張っている母ちゃんを助けてあげたいなと思ったので、とりあえず実家のみかん農家を手伝い始めました。
それまでは農業の経験はあったんですか?
全然。 だってキツイし暑いでしょ。(笑) 小中高はバドミントン一筋でしたしね。18歳でみかん農家として始めた頃は、ハウスの管理作業をやっていたはずだけど、当時の記憶はあまりないですね。(笑)
なぜ、25歳での自立を機に野菜を育てることを選んだんですか?
野菜だったらすぐに収入を得ることができると考えたからです。その中でもトマトをメインで考えたのは、価格幅が大きいところにあります。例えばきゅうりは100~150円ほどの幅しかないけれど、トマトは200~500円というぐらいに販売価格に幅がある。収入としてチャンスがあると思ったからです。そして25歳の頃ですね、昔から自分は独立心が強い性格だったので「これからは俺が給料払うけん。俺が経営やる」って親に言いました。それまでのハウスみかんを辞めて、野菜という全く違うスタイルに変えたんです。今思えば、25歳という若さで経営を全部任せてもらってよかったと思っていますね。一通りいろんな失敗ができましたから。
どんな失敗があったんですか?
野菜なんて育てたことがなかったので、そもそも畑づくりからわからないでしょ。トラクターの使い方もわからなくて、すべてが手探り状態だから、親に給料払うって宣言したのに、全然払えなくて。自分の給料もない状態が続いて。21歳で結婚し子供もいたけど、独立した25歳からの5年間は、どこにも遊びに行かず、自分を追い込んでいましたね。

野菜作りの勉強は、どのようにされていたんですか?
地元の方に聞いたりもしましたが、「家庭菜園のおいしい野菜」みたいな参考にできるような本を買ってそれを熟読しました!(笑) インターネットもあまり広まってなかった時代だから、わからないことがあったらまずは本を読んで調べました。すべてが独学、本当に大変でした。だからですかね、今新規就農で農業をやりたいっていう人には「年間400日働けますか?」って聞くんですよ。
あれ? 1年は365日……。それ以上ですか?
朝起きてから寝るまで仕事をする覚悟がないと農業はできません。俺が自立した当時、1~2日の時間が出来たら、林業の仕事やバイトに行って、重機の操作方法とか、様々な山の仕事を学びました。そうやって自分を追い込んでいくことで、ようやく約8年前(当時34歳)の頃から農業を軌道に乗せることができました。周りのみんなのおかげで、オーケイ・ファームは、今では20カ所以上に卸させてもらえるようになり、七山の中でも大きい農家へと成長することできました。農業だけで食べていくって本当に大変なことなんですよ。今では七山という地域や仲間の農家には感謝しています。
農家を辞める決断。踏みとどまったきっかけは「ある女の子との出会い?!」

ほとんど独学で農業を始められたとのことでしたが、初めは大変でしたか?
自立後2年間は、地元の産地直売所「鳴神の庄(なるかみのしょう)」に育てた野菜を置いてもらったりして、なんとか食い繋ぐことができた。でも、野菜農家として未熟でしたので、育てることも売ることも大変なのが身に染みました。野菜って価格が安い上に、なかなか売れない。始めたばかりなので野菜の味も正直悪かった。野菜って1つの品目を習得するまでに約10年はかかるって言われているんですよ。俺は10数種類の野菜を作っているから習得までに100年以上かかってしまうでしょ。「これからどうしたらいいんだろう」、「お客様のニーズってなんだろう」と悩みつつも徐々に販路も拡大していった時期ですね、お客様と話している中で、何か付加価値のある野菜を販売できないだろうかと思うようになりました。
どういう付加価値を考えたのですか?
無農薬野菜です。……でも、それが苦労の始まりでした。だってトマトを普通に作ることだってできなかったのに、無農薬で作るとか。(笑) それもあって、自立した25歳頃からの9年間は、失敗し続けることになっちゃったんですよ。
9年間失敗の連続ですか。農業を辞めようって思ったことはなかったんですか?
30歳の頃には「もう農家辞めよう」と心がぽっきり折れていました。そんな時です。ドラマみたいな出来事があったんです! 佐賀市内のスーパーへ配達した時、僕の野菜を見つけた小学校低学年ぐらいの女の子が「やったー七山のトマトだって」と手に取っていったんです。追いかけてその女の子に話しかけたんです、「トマトが好きなんですか?」と。すると、「私のパパは、このトマトしか食べないんです」って、嬉しそうに買って行ってくれました。その時、涙が出そうなぐらい嬉しかった。配達帰りの車内で嫁から「あんた農業辞めようと思っていたでしょ? で、どうすんの?」って。
ほんとドラマのワンシーンみたいですね。
何やってもダメだったら30歳で辞める、と親にも宣言をして始めた農業。辞めなくてよかったですね。農薬を使わないトマト栽培に成功したのが、8年前(当時34歳)なんです。25歳から9年間も失敗し続けてきたので、その9年という節目は越えていきたいなと思いますね。

農業は、好きですか?
まぁ好きというより、面白いですね。俺はもともと飽き性なので、一つの作業をずっとやるのが苦手です。でも、モノづくりは好きなんです。農業という仕事はプライベートと境目がはっきりしてないので、遊びの延長にあると思ってやっていると楽しめますね。
七山の為に「いいことをしよう」と立ち上がり、地域活性へ。

最近「岡本泰成さん」というお名前を、どこに行っても聞きます! 七山の地域活性に向けてすごい活躍ぶりで、感動していたところです。
そうですか。それはありがたいことです。でも僕は、ただ唐津市七山の為になればと思って。それだけですよ。(笑)
現在、オーケイ・ファームの代表として、農業もしながら七山の地域活性の為に尽力されているわけですが、昔から七山の為に活動されていたんですか?
2、3年ほど前から地域活性に力を入れ始めました。2019年5月に農家のコミュニティーを新たに作り、七山全体を盛り上げようと「よかこつ景美隊(けいびたい)」を結成しました。初めは10名ほどで始めた活動が、今では60名以上に増えてきました。

地域活性を始めたきっかけは何だったんですか?
黒川温泉の後藤哲也さんっていう人を知っていますか? 無名だった黒川温泉を日本一の温泉に再生させた人です。自分の代だけでは無理だったんですが、後藤さんの志が次の代へ受け継がれていき、日本一の温泉を成し遂げることができたお話があって。その本を読んだ時に村づくり的な地域振興に興味を持ち始めました。そして、鳴神の庄を守りたいという思いが生まれました。

鳴神の庄など、七山の地域経済の売上げは年々下がっています。さらに言えば七山の農家も減ってきていて今深刻な問題なんです。地域を守っている農家がいなくなってしまうのは大きな打撃で、近い将来鳴神の庄には、トマト、ナス、キュウリぐらいしか並ばなくなってしまうんじゃないかな。まだ今は開店前におじいちゃんおばあちゃんがお店の前に野菜を抱えて列を作り、交流の場になっているので、何とか「鳴神の庄を残したい」「七山を守りたい」と思って活動をしています。農業を始めて、今も農家として生きてこられているのも、元を辿れば「鳴神の庄」のおかげなので。
2年間ほど活動されてきて七山は変わってきましたか?
そうですね。今でも批判的な意見はありますけど、意識がだいぶ変わってきていると思います。若い世代もそうですけど、60代以上の先輩の中にも一緒に七山を守っていこうという気持ちの人が増えてきたように感じます。自分の手が届くところから一つ一つ問題解決をしていっています。
「七山よかこつ景美隊」を始められた当初、七山の地元住民からの反発はなかったんですか?
活動を進めるにあたり、地元住民から「そんな話聞いてないから、ダメだ」とか言われたり、反発はありました。自分たちのやっている活動の情報を地元住民へ共有するって難しいなと改めて感じています。
最近、三瀬や富士といった周辺地域の方々とお話しする機会が多いんですが、驚かされたことがあります。地域活性をやっているのが主に移住者なんです。そこが七山と違うところです。七山は移住者が少なかったですし、僕たちみたいな地元住民は、やはりしがらみが多くて身動きがとりづらくなっていて、それが地域活性化が進まない要因なのではないだろうかと。

どうして、身動きがとりづらくなるのですか?
すでに部会や消防団など地域の役割が多いんですよ。なので、地域活性に向け動くとなると、今抱えている役割以上にやらなくてはいけないことが増えてしまう。そこに大変さと、めんどくささがあるんです。
それなのになぜ、岡本さんは精力的に活動出来ているんですか?
俺は負けん気が強いんです。「三瀬や富士は地元じゃない人が頑張っている。だから地元に住んでいる俺たちにできない訳ないじゃないか」って俺はよく言います。地域活性の活動って、俺たち「七山よかこつ景美隊」だけじゃなくて、一般の地元の住人が自主的に動くことが重要なので、「七山の人たちが動きたいと思った自主的な活動に関しては、俺たちも動きます」というスタンスで活動を続けています。
先ほど話した、黒川温泉の後藤哲也さんのお話のように1代での達成は難しいとは思います。だから俺はね、整理するべきものは整理して次の世代に繋げようとしていて「終わりの始まり」って言っています。景観をよくするために国道沿いに植木をする活動をしているんですが、自分たちで草刈りなどの請負作業をし、その利益を活動費にあてています。地域活性の為にはお金もかかりますから俺は経済的に破滅へ進んでいるのかもしれません。だけど、今は七山が元気になってくれたらと思って、めちゃくちゃ活動しています。地域活性は自分の代ではできないかもしれない。だけど、それでいい。ここから七山の地域活性を再燃させたいです。
活動はすべて「リサイクル精神」から始まる。

僕が一番に気になっている事は「活動費」についてなんですが、どうされているんですか?
ほぼボランティアですよ。うちの団体活動の収入源は委託されて行っている草刈り作業です。それ以外の活動に関しては、一部助成金をいただいてもしていますが、むらづくり協議会などの自己資金で運営しています。
活動していて嬉しかったことはなんですか?
国道沿いの景観をよくしたいと、桜などの木を植える活動を始めた時に、お金もなかったので鉄くずを集めて換金して、苗木を買おうと地元の方々に声をかけたんです。その噂を聞いたおばあちゃんたちが乳母車を押して、いらなくなった鉄鍋を持ってきてくれて「これが苗に変わるんでしょ。使ってね」って言ってくれたんです。本当に嬉しかったですね。
岡本さんが思う、七山はこうなってほしいなというビジョンを聞かせてください。
かなり時間はかかるかもしれないけど、魅力的な七山にしていきたい。観光客には宿泊場所でゆっくりと滞在してもらい、遊んでもらいたい。そして地元住民に対しては、働ける、暮らせる、買い物ができる、酒が飲める、移動ができる、そんな仕組みを作っていきたい。観光を推進しすぎて住民が不安や不満に思うようなことは推進したくないですから。地域活性を考えた時に「アミューズメントパーク構想」って初めは言っていたんです。でもなんかしっくりこなくて。「アミューズメントパーク=観光客は楽しめても、地元の方が住みづらい」気がして。だから今は「観光客も地元住民も楽しめる村=アミューズメント村」にしたいと考えています。

岡本さんの座右の銘ってなんなんですか?
リサイクルですね。俺はリサイクルマニアなんです。農業仕事の時も、地域活性で活動している時も「リサイクル」を考えています。いかに無駄を省けるかって。この前聞いた話でね、「和食は引き算」なんだって。いろんな調味料を引いてシンプルに仕上げるのが和食。農業も同じだなって思いましたね。とにかく無駄な作業を省いていかないと続けられない。自分のところのハウスや畑の草刈りだって同じで、草を刈っている時間ってお金にもならないから無駄でしょ。いかに効率よく仕事の間で草刈りできるかを考えながら仕事しているし、トマトハウス内も無駄に歩かず、1つの動作で2つ仕事をするように心掛けています。仕事も地域活性活動も無駄でネガティブな部分はポジティブに「めんどくさいことは辞めて、いいことやろうぜ」って変換します。
まずは楽しいことをやりましょう。移住希望者へのアドバイス。

七山の魅力とはどんなところですか?
七山は唐津市や福岡へ1時間以内で行けるので、立地は良く、物流的も結構やりやすい地域だと思います。だからこそ七山にはチャンスがある。
今後、七山に住みたいと移住希望される方へアドバイスをいただけますか?
最近、移住者も増えてきましたし、フランクに付き合っていこうという風潮が現れてきています。地域の行事に参加して、一緒に草刈り作業したり、やはり繋がりは大切なので、一緒にお酒を酌み交わす機会には顔出してくれたりすると嬉しいかな。それぐらいしておけば何の問題はないと思いますよ。
七山に岡本さんのような兄貴的存在がいると移住する側も嬉しいと思います。
来てくれたらウェルカムですよ! 一緒にめんどくさいことではなく、いいことをやりましょう。俺が応援できることはしますので、まずは七山に遊びに来てください!
―お忙しい中お時間いただきありがとうございました。
ー 編集後記 ー
もう一度七山を盛り上げるために活動されている岡本さん。取材をする中で、何度も「鳴神の庄をなくしてはいけない」という言葉が出てきた。「故きを温ねて新しきを知る」という言葉を体現するように、先人の知恵を学び、現在の課題に取り組み、新しい時代の土台を作っている。いつも兄貴肌なオーラを放っていて、そのパワーの源は人一倍強い七山愛。七山はこれから本当に魅力的な地域に変わっていくに違いない。今後の七山の動きから目が離せない。


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<お世話になった取材先>
岡本泰成
オーケイ・ファーム代表
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<お世話になった取材先>
岡本泰成オーケイ・ファーム代表
1979年、唐津市七山生まれ。高校卒業後、実家のみかん農家を手伝う。25歳でオーケイ・ファームを継ぎ代表へ。現在無農薬でのトマト栽培を成功させ、七山の直売所「鳴神の庄」を始め佐賀県や福岡県など20カ所以上に様々な野菜を卸している。40歳を境に「20年間続けていたら結果残せるかも」と七山の為に地域活性活動を始める。




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

