「農業は嫌いじゃないないけど、好きじゃない!」正直すぎる農家の産直生活。 No.031 ヨシハラ農園8代目 吉原誠さん
- 2021.06.30
- written by 山本 卓

七山地区は開けた平らな土地が少なく、多くの農家さんが急峻な土地を切り開いて田畑を作るか、傾斜地と気候を活かして果樹を育てている。ヨシハラ農園8代目 吉原誠さん(61)もその一人。ヨシハラ農園の長男として生まれ、高校卒業と同時に18歳で跡を継いだ。生まれも育ちも七山という生粋の「七山人」である吉原さんに、仕事に対する思いや七山の魅力について伺いました。
農業は好きじゃない?! 絶望からのスタートだった農家生活。

本日は、よろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いできますか?
ヨシハラ農園8代目の吉原誠、61歳。イチゴやレモン、キウイフルーツの生産をしています。収入全体の80%がイチゴですね。農協へ出荷というわけではなく、産直という形で福岡のスーパーなど約7カ所へ配達しています。

吉原さんが農業を始められて、どのくらいなんですか?
18歳の頃から始めて40年以上、農業をやっています。子供の頃から学校がない日曜日は、みかんの収穫をしたり、20キロもみかんの入った箱を抱えたり、夜な夜な選別作業したりと、親の農業を手伝っていました。その頃からずっと百姓は嫌で仕方なかったです。「なんでこんな大変なのに、安く買いたたかれて、採算の取れないことを両親はやっているのか」と思っていたのに、高校卒業と同時に、実家のヨシハラ農園を継ぐことになったんです。本当は嫌だったんです! 今でも百姓は好きじゃないんですよ。(笑)
好きじゃなかったのに、なぜ継ごうと決めたんですか?
もともとは東京に行きたかったのですが、それは無理だったからせめて農業と関係のない工業高校に進学したんです。だけど働く母親の姿を見ていると、なんだか可哀そうだなと思えてきて。それで継ぐことを決めました。本音を言えば逃げ出したかったですよ!(笑) 当時温州みかん農家を継ぐって、真っ暗闇で先の見えない道を歩き出す感じに思えて、かすかな光が見えて近づくと大きく「絶望」って書いてあるような時代でした。
それでも40年間、よく続けて来られましたね?
だって続ける以外に選択肢が無かったですもん。(笑) 今になって思うと仕事は場数で面白くなると思います。
農業はキツイ。苦労の連続で、常に背水の陣で戦っているようだ。

農業40年、大変だった出来事はどんなことですか?
いろいろありますよ。19歳の頃に始めたキウイフルーツは年を重ねるごとに大暴落し続けました。昭和54年頃は価格が1キロあたり2,300円ぐらいだったのに、4年後には1キロあたり200円まで落ち込んで。当時は大卒の会社員の手取りが35,000円ですから、多くの農家さんが飛びついた結果でしょうかね。さらに5年後、昭和の終わり頃には1キロ50円まで大暴落しました。凄くないですか?!(笑)
いやー凄すぎます。えげつない暴落ぶりですね。
あと大変だった事は、台風の日にイチゴの畝(うね)が全部大雨で崩れてね、翌日から必死に修復したのに、また次の大雨で同じことになってしまうとか……。それと、ブヨって虫が分かりますか? あいつらが農作業中にいろんなところを刺してくるもんだから、よく刺されたところが腫れたんですよ。あとはね、イチゴの苗がほぼ枯れたことがありましたね。うちの農園で大体2万本ほどイチゴの苗を植えるんですが、最終的に約8割が枯れたことがありましたね。

大変な事がめちゃくちゃ出てきますね!(笑) 8割って。ほとんど枯れちゃっているじゃないですか!?
その時は焦りましたね。(笑) 「どうして枯れるんだろう?」と試行錯誤の日々を過ごして、今では約2万本のうち多くても300本、少ない年は20~30本しか枯れなくなりました。
すごい! 試行錯誤が実を結んだわけですね。吉原さん、野暮な質問ですが、実際にイチゴ農家は儲かるんですか?
もしも失敗して赤字になったとしても、次の年で取り返すことができるぐらいにはなっています。貯めるお金はないけど、回せるお金はあるといいますか。だから毎年農業の資金はゼロスタートです。
毎年ゼロですか?! 背水の陣というわけですね!
毎年ね、関ヶ原の戦いをしながら、桶狭間の戦いにも行き、川中島の合戦にも向かう。そんな感じで戦っていますね!(笑) 農業は肉体的にキツイ仕事ですし、安く買いたたかれることも多いから稼げない。が、イチゴ栽培を始めてから貯まるお金ではなく、回せるお金ができてきた。自分の中で農業という仕事に対する想いが少しずつ変化してきたような気がします。
好きじゃないからこそ考えた。「仕事は、場数で楽しくなる」

学生時代、先輩からの無理な頼みごとにも「無理です。できません」とは決して言えず、パンや牛乳を買いに行ったり、女の子に声をかけて電話番号を聞き出したりと漫画『ビー・バップ・ハイスクール』のような生活を送っていた吉原さん。そこで徹底的に培われたコミュニケーション能力が今の仕事に活かされているという。好きじゃない農業を続けて来られた理由とは一体なんだったのでしょうか?
現在、息子さんがヨシハラ農園を継いでくださっているとお聞きしましたが。
そうなんですよ。正直継ぐって言われたときは「止めてくれ」と思いましたね。(笑) 私の代で農園を徐々に縮小してフェードアウトしていきたかったんです。逃げるとかそういった意味ではなくて、前向きにそう考えてました。結局一緒にやることになりましたが、今の息子を見ているとどうしても楽してるなぁと感じますね。
楽? ですか?
だって、ある程度、農業の土台ができていますからね。
6年前に全部名義を変えて、農園の責任者は息子になりました。「譲ったから、責任を持ってお前がやれよ」って思ったんですが、やっぱり今でも私がやらないといけない部分があって。私は早く百姓は辞めたいです。

本当に嫌なんですね。(笑)
辞められるなら、すぐにでも辞めたいです。けどね、周りの方から「人間は死ぬまで働いたほうが元気でいられるよ」って話を聞くと、やっぱり働き続けようとは思うんです。でもね、根本的に農業は好きじゃありません。嫌いじゃないんだけど、好きじゃないというね。(笑) 女性がよく言う「嫌いじゃないんだけどね」っていう、あれです。

そんな農業を続けるための目標はあるんですか?
海外視察研修です! 海外視察研修に行くことだけを目標に私は働いています! 自ら日程を組んでヨーロッパや東南アジア、モンゴルなど、いろんな文化に触れるって本当に面白いです! 学生時代の社会の教科書で見たヴィーナス像やゴッホの絵などの実物を目の前にすると、「自分がこんなところに立っているなんて夢にも思わなかった」と興奮します。
仕事はいつまで続けていくんですか?
「仕事は場数で面白くなる」って、誰かが言っていてその通りだなと思います。所ジョージさんも「人生50歳まで面白くないよ。それから人生が面白くなるだよ」と言っていましたし。だから続けていける限り続けると思いますよ。仕事は嫌いじゃないので。(笑)
50歳を過ぎて、仕事は実際面白くなってきましたか?
仕事は面白いんでしょうね。夢にも思わなかったことができるようになりましたから。特に今やっている産直販売は面白いですね。百姓というより営業という仕事が好きみたいでね。自分に向いるんじゃないかと思います。
農業は体力的に大変だから嫌いだけど、どうせやるなら楽しく、そして楽に仕事をしたい。自分の考えでは、「嫌いだからこそ少しでも楽になるように仕事をする」です。楽に仕事をするためにも、この仕事は好きじゃないほうがいいですよ。
好きじゃないほうがいいとは?
だって好きじゃないからこそ、いかに楽に仕事をするか考えるでしょ。そうして試行錯誤することで、効率良く、楽に仕事をすることができる。楽な方法を考え出すって、好きじゃないからこそ生まれる発想なんですよ。そのうえで稼げる方法を日々考えていますね。(笑)
産直こそが天職?! 産直との出会いが仕事に対する思いを変えた。

吉原さんは自分の農産物のみならず、地域の特産品や依頼があった商品を配達することもあり、七山の営業マンという一面もある。ある時、産直というものに出会って仕事への想いが大きく変わったという。産直の魅力とは、何なのでしょうか?
現在、生産だけではなく、産直(産地直送)に力を入れていると聞きましたが、産直を始めたきっかけは何だったんですか?
私が30歳の頃、みかんが1kg30円に暴落したことがあって、業者の方に「あんたんのとこは1kg100円もするじゃないか。新聞記事には30円って書いてあるから値下げしてよ」って言われて。ただでさえ安いのに、さらに安く買いたたかれる現状に「このまま続けていたらダメになる」と危機感を覚えました。
そんな時に「うちでガレージセールやるから持ってきてほしい」と福岡の方が声をかけてくれました。みかんをどれだけ持っていけばいいのかと聞くと「3トンほど持ってきてほしい」って。(笑) 驚きましたね。
そうですよね! 最初から3トンはさすがに。どのくらい持って行ったんですか?
2トンちょっと。(笑)
持ってきましたね!!(笑)
他にもイチゴをちょっと持って行って販売させていただいたんです。それがビギナーズラックで、4時間で売り上げが45万円ぐらいになったんですよ! すごくないですか!? それから産直を止められません!!(笑)

福岡の方との出会いが、今までの販売経路を変えるきっかけだったんですね。
当時は農協へ出荷をしていたんですが、徐々に産直へ販路を変更していきました。そして今でもお世話になっている福岡のスーパーマキイさんとの出会いがあって、ずっと産直を続けられています。
農協出荷と産直は、どちらがいいんですかね?
大量に生産されている農家さんであれば農協の方がいいと思いますし、それぞれのやり方ですからね。私はずっと言っていますけど、農業は好きじゃないんです。でも、自分の作ったイチゴやキウイフルーツなどを配達したり、お客さんと顔合わせながら販売したりする、営業的な仕事は好きなので、私には産直の方が合っていたのかなと思います。マルシェのように対面で販売していると、様々なお客さんと会話します。始めた頃は大変でしたけど、お客さんが喜んで買ってくださることが嬉しいです。

吉原さん! 産直の心構えとは一体なんでしょうか?
それは正直であることです。隠し事はせずにすべて正直にお客さんに伝えること。変に隠すとダメです。隠したり、嘘をついたりすると、どんどん自分の首を絞めるように辛くなってきます。正直者が良いですよ。その方が楽しいです。百姓を辞めたいし辛いことばかりでしたが、だからと言って辛いことをするよりも、楽しく仕事をしないとね。
でも、昔はなんとなく隠していたんですよね。(笑)
正直者!(笑)
「愛」が根付く土地。それが七山。

七山の良さとは、どんなところですか?
「七山の為なら」と、地元のみならず地元外の方々も言ってくださいます。例えば唐津市街で七山で育てた野菜と他の地域の野菜とが並んでいると、「七山の知り合いのものを買おうかな」と七山を選んでくれます。今も昔も世代を超えて地域活性に力を注いでいる方が多いのも良さです。「七山・愛」、シビックプライドってやつですよ。自分たちの地域に対する誇りを持っている人が多いと感じますね。
人口でいうと、七山も他の中山間地と同じように年々人口は減少してきています。昔は「人口をもっと増やしたい」って思っていましたが、増えないじゃないですか。だから増えないなら、減らないようにするにはどうするか私なりに考えるようになりました。今は「住んでいる人が楽しく生活すれば、自然と外からも人は来る」と、思っています。
今後、七山に移住をしたいと考えている方にメッセージをお願いします。
突然、七山に土地を買って地域に入ろうとするのではなく、一度、気軽に遊びに来てみてください。自分に合う地域っていうものがあると思いますので、何度か足を運んでいただいて地域を知ってから移住をする方がいいと思います。
あと移住希望者で農業をやりたいという方が多いでしょ。そういう人たちは必ず「野菜をやりたい」と言う。七山は果樹を育てるにはいい場所です。ですので、果樹と複合で農業をしてもいいかもしれませんね。農業を始めるなら地元の方に聞くのが一番だと思いますので、私たちに相談してもらえれば、お答えしますよ。
本日は貴重なお時間をいただきましてありがとうございました。
ー 編集後記 ー
取材を通して特に、頭に残った言葉が「辞めたい」だ。初めに聞いた時は「本当に大変な仕事なんだろうな」ぐらいに思っていた。だけどその裏はもっと深かった。仕事をする上でやりたいことをできる人って少ない。だから何もしないというわけにはいかない。そこで吉原さんは、嫌な仕事だからこそ取り組む姿勢を変え、いかに効率化できるのか知恵を付ける。もしかしたら嫌々やっている仕事の方が自分のスキルアップには重要なんじゃないかと思う。自分の好きな仕事にアップデートする吉原さんの姿勢に感動をした取材でした。


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<お世話になった取材先>
吉原誠(よしはらまこと)
ヨシハラ農園
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<お世話になった取材先>
吉原誠(よしはらまこと)ヨシハラ農園
1960年生まれ。佐賀県唐津市七山出身。ヨシハラ農園の8代目として、みかんやイチゴなど果樹を育ててきた。現在は息子さんがヨシハラ農園を継いでいる。農業は好きではないが嫌いでもない。趣味、海外視察研修。
ヨシハラ農園
唐津市七山白木1138




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

