タケノコだけじゃない「思い出も持って帰ってもらいたい」 旬を活かすエンターティナー。 No.029 たかしま農園 高島賢一さん
- 2021.05.24
- written by 山本 卓

季節は4月下旬。2021年の佐賀のお山は春の訪れが早く、山は青々と茂り、緑豊かな竹林がキラキラとしていた。春を告げる、山の幸「タケノコ」。そのタケノコを求めて毎年多くのお客様が訪れる場所がある。観光農園の「たかしま農園」だ。旅行会社で添乗員として勤めた後、実家の農業を継ぎ、観光農園を奥様と一緒にオープンさせた高島賢一さん(60)。添乗員で培った経験が今観光農園という仕事に活かされている。今回はそんな高島さんにお話を伺いました。
タケノコを生業とする「たかしま農園」

たかしま農園を始めたのは、いつ頃ですか?
本格的にタケノコの観光農園として始めたのは4年ぐらい前。それ以前もタケノコを収穫して道の駅などに出荷販売はしていました。
観光農園というのは、どういうお仕事なんですか?
4月中旬から5月上旬までの期間限定ですが、私もお客様と一緒に山に入り、掘り方をレクチャーし、実際にタケノコを掘ってもらいます。それと、早朝から山に入ってタケノコを掘り、えぐみを取るために湯がいてから道の駅などに出荷しています。
4月中旬から5月上旬までにどのくらいのお客様が来場されるのですか?
一昨年は、今と違ってインターネットの予約サイトに登録をしていなかったのですが、それでも170人ほどの方が来てくださいました。去年はコロナの影響でかなり減ってしまいましたが、100~120人ぐらいの方が来てくださいましたね。そして今年は、約390人ほどのお客様が来てくださいました。

1か月間で390人ですか! その対応を高島さんご夫婦でされているんですね! すごいです。
それでも観光農園の収入だけで、生活するのは厳しいところがありますので、道の駅への出荷販売やネット販売など積み上げていって何とかギリギリかなぁという計算なんです。
その他にもお仕事をされているとか?
1年を通してタケノコの販売や体験ができるわけではないので、いくつかの仕事を掛け合わせています。友人と一緒にゲストハウス「笑仲(しょうちゅう)のやかた」の運営、あとは小葱農家としても仕事をしていますね。

たかしま農園の竹林はほんときれいに整備されているなと思うのですが、この整備もお仕事の一つですよね。
落ちている竹の葉を集めたり、枯れた竹を倒して粉砕機で粉々にして、初心者コースなどに敷き詰めて足場を整えてたりしていますね。やはりお客様が来た時にケガをしないようにすることが大切ですから。本当は、タケノコの時期が終わってすぐに竹林の整備ができればいいんですが、すぐに小葱に着手するので、竹林は放置しちゃっています。(笑) 11月頃仕事が少し落ち着いた時期に、竹林の整備をしていきます。
どうして観光農園を始めようと思ったんですか?
自分が旅行業をしていた頃、「この先、旅行業自体が先細りするんじゃないか」と思っていました。一生かけて旅行業をやる気はなかった。その中で、タケノコを使って、生まれ故郷である松梅地区にいろんな人に来てもらい、地域活性化に繋げたいなとぼんやり考えていたんです。そんな時に、佐賀市役所の方が「農村ビジネス」に対する佐賀県の補助があると情報をくれた。あと、鹿児島県にタケノコの加工などしている工場の視察も行きました。それがきっかけで「ダメ元でもやってみようかな」ということで始めましたね。
旅行業で培ったノウハウが今の仕事で活かされている。

22歳から旅行業の世界に飛び込んだ高島さん。そこでの上司からのご縁が今の仕事に活かされているそうです。そのご縁とは一体なんだったのでしょうか?
旅行業の仕事に就いたきっかけは何ですか?
東京の大学にいた時の友人が外国でホームステイしたんです。その友人に影響されて、「自分も海外へ行ってみたい」と思うようになって、アルバイトでお金を貯め、ヨーロッパを21日間旅するツアーに申し込みました。その旅行にはもちろん添乗員さんもいましてね。「お金貰って旅行に行けるなんて、おいしい仕事だな」って。(笑) それから就職先の選択肢に旅行業が入ったんです。
佐賀に戻って1年間は飲食店の会社に勤めていました。しかし旅行業の仕事に就きたい夢はあきらめきれず、会社の上司とお酒を飲んでいる時に「実は、自分としては旅行業の道に進みたいと思っています」と打ち明けたんです。その上司の方がほんと良い方で「旅行会社の営業マンに知り合いがいるから、旅行業とはどんなものなのか話を聞いてみるか?」って、繋いでくれたんです。その出会いをきっかけに、旅行会社で添乗員のアルバイトとして働くことになったんです。

夢にみた添乗員をやってみていかがでしたか?
アルバイト2日目でいきなり、黒部アルペンルートのサブ添乗員として現場で働きました。実際に添乗員として現場で勉強させる育成方法だったんですね。初めは右も左も分からないから本当に大変でした。行ったことの無い場所の知識を入れていかなくてはいけませんから。旅行中にお客様から質問があった時に「すみません。まだ初めてなのでわかりません」とは答えられないじゃないですか。添乗員時代に覚えた技が「とぼけたフリ」「聞こえていないフリ」です。(笑)
え? いいんですか?(笑) そんな荒業を使って!
質問を真面目に受けて「初めてなので」って返すのはダメなので、とぼけたフリをするのが一番正解かなと。(笑) お客様に失礼がないようにすることが一番大切ですから。働き始めて1か月も経たないうちに、添乗員として1人でデビューしました。
旅行会社では22歳から何年間仕事されていたんですか?
約20年間ぐらいですね。旅行業の会社を辞めてからは温泉施設の支配人として働いたり、大和町にある道の駅「そよかぜ館」で2年間店長としても働きました。サービス業という仕事は、今の仕事に本当に活かされていると思います。サービス業に携わっている人じゃないと観光農園を営むことは難しいかなと思いますから。

たしかに実際にお仕事体験をさせていただいて、観光農園をするにあたり、接客業の難しさを実感しました。
私だってまだまだ難しいと思っています。自分の中でサービス業をしていて座右の銘みたいなものがあります。「添乗員には100通りのやり方があるから、これが全てじゃない。来てくださったお客様の雰囲気や状況に臨機応変に対応できるような添乗員になれ」と添乗員時代の先輩に言われた言葉ですね。
自分なりの添乗員ですか……。高島さんなりの添乗員像は見つかったのですか?
毎回試行錯誤でした。仕事をしていて「これでいいかな?」と思ったときでも、「ダメだったな」って毎回反省していました。サービス業は難しくもありますが、楽しくもあります。
「そっと懐に入る」高島さんは付加価値を付ける天才だった?!

添乗員時代、クレームにはどう対応されていましたか?
昔は今と違ってそんなにクレームってなかったと思います。理由として、お客様は添乗員に旅行に連れて行ってもらっているという感覚があった。今はネットで調べれば旅行先の情報が出てきますよね。お客様が「旅行会社を選ぶ時代」から、「場所を選ぶ時代」に変化しました。そういう時代の流れからクレームというものが出てきたんだと思います。
確かに今の旅行って、調べた情報の答え合わせをしに現地に行っている感じがしますし、お金と時間の制約が厳しくなってきたから、失敗したくないという旅行者も増えてきたのかもしれませんね。
対価以上のサービスのを期待するようになってきたんだよね。例えば1,000円しか払っていないのに5,000円のサービスを求めるようになってきた。だけどお客様には「1,000円しか払っていないでしょ」とは言えませんもんね。(笑) そこの対価以上のでサービスが求められるようになったことが、もしかしたらクレームが増えてきた要因な気がします。

先ほど来られていたお客様への接客の仕方を見ていると、高島さんはお客様にいかに楽しんでもらい、思い出を持って帰ってもらえるかを考えながら仕事をされているんだなと思いました。
初めてタケノコ掘り体験をされる方とか、子供さんとかに「さ~ご自由に」と言っても、タケノコは掘り切れないです。私の場合は、まず初めの1本目は9割5分ぐらい掘り進めながら、お客様にタケノコの掘り方を説明しています。「もう収穫できるよ」というところで、最後は子供さんに掘ってもらうと「お母さん、ぼくタケノコ採ったよ!」って喜んでくれる。いかにお客様に体験していただき、思い出を持って帰ってもらえるか。それは常に意識しながら接客をしています。
タケノコを掘ることがゴールではなく、その先の体験や思い出を提供する高島さんは、付加価値を付ける天才だと思いました。安全面でもそうですし、いかに来てくださったお客様に笑顔で帰ってもらえるか考えておられるんだなと、仕事体験させていただいて思いました。ほかにも仕事をされる時に意識していることはありますか?
「怖さを忘れたらおしまい」ですかね。添乗員時代からそう思っていましたね。添乗員だと同じ場所に何度も行くでしょ。だから一種の自信が生まれる。しかしその自信は予期せぬ事態を引き起こしてしまう可能性があります。なんでも知っているよって自信満々に構えるのではなく。まずは怖さを感じ、事前にクレームを出さないために何をしておくべきかを考えます。ある程度事前に「こういうケースが起こりそうだ」とかシミュレーションをしておくことで、いろいろな発想が生まれるし、危機管理、対応力にも繋がる。そこは仕事のなかで意識していることだと思います。怖さを忘れた人間は成長できないですから。
添乗員時代に培った経験が、今もたかしま農園で活かされているんですね。
毎日考えているわけではないですけどね。あとは楽しく、面白くです。そうじゃないと仕事は長続きしませんから。

お仕事をしていて大変なことはありますか?
体力的なものは大変ですけど、それは分かりきっていることなので大変だとは思わないです。収入の件で悩むことはありますね。タケノコの旬は4月中旬から5月下旬の1か月間。この期間が勝負で、自然を活かして仕事をしているので、タケノコの表(豊作)の年、裏(不作)の年で収入にばらつきが出るんです。それをどう埋めていくのか、そしてタケノコの旬が終わった後の秋からの展開をどうしようかと考える発想や構想が大変ですね。
逆にこの仕事をしていて良かったなと思うことはどんな時ですか?
お客様が喜んで帰ってくれることが一番嬉しいですかね。先ほども4世代でタケノコを掘りに来てくれたのですが、去年は赤ちゃんはまだお母さんのおなかの中でした。しかし今年は一緒にタケノコ掘りに来てくれました。そうやって世代を超えてタケノコ掘りを楽しんでくれることは何よりですね。
高島さんが思い描く、今後のビジョンとは?

高島さんの思い描く将来のビジョンを聞かせてください。
ここ松梅地区にも空き家が増えてきているので、私にある程度お金があるんだったら、今運営している「笑仲のやかた」の2号店3号店みたいな感じで、ゲストハウスに投資をできたら理想的ですね。
だけど、今の「笑仲のやかた」と同じような建物にはしません。別の変わったタイプにしたい。だって同じような建物があっても面白くないじゃないですか。お客様に泊まりたいところを選んでもらい、楽しんでもらいたい。それが地域活性に繋がるのかなと思います。
松梅地区に移住をしたいなと考えている方へアドバイスがあればお願いします。
集落を守るためには区役というものがあるんですが、そういった村の行事に参加したりすることが苦にならない方に来てもらいたいです。行事に参加することによって地元と移住者の双方でコミュニケーションをとれるようになれると、住みやすい環境がどんどん整っていくと思います。例えば「野菜が余っているから持っていきなさい」って。それも信頼関係があってこそだと思います。
本日は貴重なお時間いただきまして本当にありがとうございました。
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ー 編集後記 ー
「お客さまに楽しんでもらいたい」と高島さんはよく口にしていました。タケノコという季節限定の仕事を生業にするということは、その季節にだけ楽しめるエンターテイメントを提供すること。旅行業で培った接客というスキルを存分に活かし、いかにお客さんに楽しんでもらえるかを追及している。それはタケノコ掘り体験だけに留まらず、地域の活性化にも活かされています。「楽しんでもらいたい」高島さんの仕事のスタンスは、エンターティナーでした。


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<お世話になった取材先>
高島賢一さん
たかしま農園
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<お世話になった取材先>
高島賢一さんたかしま農園
昭和36年松梅地区生まれ。学生時代友人に影響を受け海外旅行をする。それがきっかけで旅行業の道へ進む。約20年以上旅行業の会社に勤めたのち、温泉施設や道の駅の店長などを経て平成30年4月佐賀県で初めてのタケノコの観光農園として「たかしま農園」をオープン。松梅地区の自然と文化を伝える活動を行っている。
たかしま農園
840-0204
佐賀県佐賀市大和町松瀬160
入園料:子供小学生以上 100円 中学生以上 300円
タケノコ狩り期間:4月上旬から5月上旬(気候によって変動あり)
たけのこ料金:1キロ600円~
釜茹で料金:薪代300円(所要時間:2~3時間)
注意:掘ったタケノコはすべて買い取りとなります。
湯がきに関しては、週末は対応できない場合があります。




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

