「強く惹かれたとき、細胞が響きだす」身体と心を整える田舎暮らしの宿 三調家 No.025 花田孝子さん
- 2021.03.31
- written by 佐賀100編集部

三調家さんは、佐賀市富士町古場にある、とても趣のある古民家を改装して宿とカフェを経営されています。田舎暮らしの宿として「暮らし」を体験し、体と心を整えてもらうことが経営者の花田孝子さんの願いです。花田さんは、元食育指導士の仕事をされていたのですが、ある時からそれをすべてやめて三調家を作ることに決めました。暮らしを大切にして、体と心が整うということはどんな状態なのか。お話を伺いました。
呼吸と姿勢とそして心を整える

まず三調家さんのコンセプトを教えていただきたいです。
三調家の意味は、呼吸と姿勢とそして精神、心が整う。つまり調子がよくなるってことなんです。そういう場所を目指しています。
例えば、ランチを食べに来てくださったお客さんが身体に優しいものを食べてちょっと元気になってここを出るとか、宿泊に来てくださったお客さんが、身体を休めるだけじゃなくて、今まで仕事でフツフツとしていたものが違って見えたりとか、やる気になったりとか。そんな気持ちで三調家を出ていってほしいんです。
それはお客さまだけではなくて、手伝ってくれるスタッフにもそう思ってもらいたくて。だから、まずは私自身ができることを行うんです。身体に良いものをしっかり食べてもらって、身体を休めてもらう。そのために必要なことを私は用意して、できる限りのことを相談しながらやっていって、それぞれの暮らしを整えてもらうんです。
暮らし、という点がキーポイントなんですね。
そうですね。訪れた人には私たちの「暮らし」を見てもらいたいんです。それで山の暮らしもいいなって思ってくれたら。
不健康な人でも大丈夫で、そういう人に寄り添った暮らし方というのもあるんです。例えば、精神的に不健康だった方が、ここに3週間ぐらい滞在された時のことです。一緒に畑をしたり、夏だったのでしそを採ってジュースを作ったりしたんですね。一緒に暮らしを体験されて元気になって。その方はここを出たあとエステの勉強をして、自分の体験を基にエステと食の両方からアドバイスできるようなサロンを開いたりしているんです。
それは素晴らしいですね。そんな風に長期で泊まられる方が多い印象です。
はい。家で暴れてしまう女の子とか、お母さんが困り果てていらして。そういう人に自分を休めて、自分を取り戻してほしくて。本来の自分はそうじゃないわけですから。
無理やり捻じ曲げられているところを、じわっとまっすぐにしてあげれば、のびのびと自分が出てくるんです。そういう人ほどものすごい才能を持っていたりするので。そこに寄り添えるのが「暮らし」だと、私は思っているんです。
暮らしは具体的にいうとどんなことが「暮らし」なんですか?
暮らしは、朝から晩まで働くということかもしれません。体を動かせばいいんです。最初ここに、働きに来た方って朝起きてこなかったりもするんですが、朝ちゃんと布団を干して、パンパンとして、そしてまた綺麗に畳んで、新しいカバーをかけて。そういうのを毎日する。それが暮らしです。

それを続けていくと、どんな風に変わっていきますか?
まず柔らかくなります。ヨガをやるから体が柔らかくなるんじゃなくて、呼吸を整えることが柔らかくなるには大事なんだけど、何かを抱えていると呼吸が整わないんです。苦しいものを持っていたら呼吸が大きくできないんです。それは、ヨガをやることによって気づいてもらえるんですけどね。どんな経験をしていても、呼吸が浅いとだめなんです。体も冷えているし、心も冷えている。
たとえば、うちで働いてくれるスタッフの中にもそういう不健康な状態になってここへ来る方がいます。そういう時は、まずはまかないを作ってもらうんです。ここは素材がおいしいから、何を作ってもおいしくて、どんなセミナーを受けるよりも自信がつくんです。まずはそこからです。そうしていくうちに、本来の自分に戻っていきます。お客さんにもそんな体験をしてもらいたいんです。
三調家を作るまで

そんな三調家を作るまでを教えていただきたいです。
元々私は食育指導員の仕事をしていました、とてもいい仕事で収入もあったし老後も安泰だっていうような魅力的な仕事でした。ずっと止まらずに、毎月東京とか大阪に行って、食育の勉強会だったり、料理会だったりと転々としていたんです。でも、ある時、母が病気になって、すべて止まったんです。その時新しい自分に出会って。今まではずっと動き続けてきたけど、自分が拠点をもってそこに来てもらえたらいいなと漠然と強く思ったんです。その時が50歳で、まだ体力もあるし、本当にやりたいことをやるなら今だと思ったんです。
そこから、それまでのお客様とは一切連絡をとらず、それまでの携帯電話は家において、新しい携帯電話を持って活動を始めました。
その時、私は新しくどんな人とつながるんだろうってワクワクしたんです。透明の中に自分がいて、そこがどんなインクの色になるだろうって。だからあえて昔のお客様とはつながらなかったんです。
やろうと決めたあと、この物件はどんな風に見つけたんですか?
なかなかぴったりくるところがなくて。最初は、熊本、大分に行って探したりしていて。でも急がなくていいと思っていました。ゆっくりしたかったんですね。ずっと本当に急いできた人生だったので。車もやめて、自転車で動ける範囲でどこまでも行きました。それまでとぜんぜん違うことをやるのがすごく楽しくて、JRとかバスとかを乗り継いでいました。

素敵ですね。でも車で探さずにここの物件にたどり着いたのはすごいです。
ここの物件は朝方に急にネットに掲載されたんですよ。開いたらポンっと。もうその時に「ここだ!」って細胞に響きました。9時に不動産屋が開店するのが待ち遠しくて、すぐに電話して。福岡市内まで来られますかって言うから、じゃあ行きますって私は北九州市から乗り継いで向かったんです。それでここに連れて来てもらって、一目でここだって思いました。
予算オーバー、旦那さんの壁

本当に素敵なところです。買うまではスムーズだったのですか?
1つだけリスクがあって、ここは私の予算より高かったんです。でも、もし亡くなった私の母がいて、今相談したら何て言うかな、と考えたら「自分の家を売って頭金にして買いなさい、私も手伝ってあげるから始めなさい」って絶対言うなって。100%の自信があったんです(笑)。それでここを自分の実家、つまり私の家と思って買おうって。
でもその次の難関は私の主人です。
旦那様はどんな意見だったんですか?
もともと私の主人は銀行員なので、現金で支払うのでなくて、「政策金融公庫、国金か銀行を通して融資を受けて。借金も審査がおりないと自分は認めない」って言ったんです。そうくるかと思って(笑)。でもこれも物件のようにきっと誰かが教えてくれるはず、と思って福岡の行政の相談窓口に行ってみたんです。そうしたらやっぱりいるんですよね。その方に色々教えていただいて。それを元にして事業計画書を作りました。そしたら政策金融公庫の融資の審査に通ったんですよ。みんながびっくりしていました。
政策金融公庫の融資の審査に通るなんてすごいです。旦那さんはOKを?
それで主人も認めざるを得なくなって。それまではずっと1人で通っていたけども、そこからは主人も私を送りながら一緒に来てくれて、2人で掃除が始まったんです。
構造にも歪みが出ていたので、直せる70代の大工さんをネットでやっと見つけて、遠くから来ていただきました。
私はここを11月に買ったので、12月から主人とのお掃除、大工さんの作業を始めたんですが、それから2月まで、寒い中、雪が降っても大工さんは来てくださって。全部かんなをして、1つ1つドアを開くように、雨戸も全部。そこからこの家が息を吹き返すようになったんですね。
大工さんはすごいですね。その後はどんな流れなんでしょう?
カビが大変だったので、冬が明けて春が来て、そして夏までずっと掃除でした。そして、7月に信頼する方に紹介してもらって、最初のスタッフの野崎さんが来てくれました。そこから営業に向けて、プレ宿泊も始めて、本格的になったのは2016年3月です。買った時から1年半近くかかりました。最初は全然お客様とはつながれなくて。でも段々と、働きたいと言ってくれるスタッフの友達とか親兄弟の方とかを呼んで、本当に少しずつ営業を始めました。
それから、お山の上のお決まりじゃないけど、外部の者が来たら3年はもたないというのがあるみたいで、集落の人も心配して、飲食は特に3年はもたないって。でも腹をくくって、まず最初の2年はがんばろうと。そうこうしているうちに、色々あったけれど魔の3年目も過ぎ、今は宿泊を初めて丸5年経ちましたね。
山に来ると才能が伸びる!

福岡から山に拠点を移して、どんなことが一番変わりましたか?
山に来るとどんな人も才能が伸びるなと思ったんです。自然の中で自分を開放してあげられるから。何が大事かって、自分の持っているものを活かすことでしょう。誰かの才能を活かすサポート側も、それはそれで楽しいかなとも思うけれど、やっぱり自分の中にあるものが日の目を見て、それが人の役に立ったりするっていうことは、すごい楽しいじゃないですか。
それに、山で出会う人にはすごく私の細胞に響いてくる人が多いです。
細胞に響いてくるとはどんな感じですか?
誰かに会ったときや、何かに強く惹かれるときに細胞に響く感じがするんです。顔を見た一瞬や出会った一瞬にわかるんですよね。
昔、ある方から「人を見抜く力を持つと仕事が面白くなる」って言われて。その力をつけるためにまずは100人と出会おうって手帳に書いていました。それから、数え切れない人に会ったのだけど、お金持ちとか芸能人であるとか関係なく、自分の細胞に響く人やことがあると気づいて。
たとえば、私の場合、精神科の先生のお話とか箱庭療法とかに、すごく響くんです。そして、細胞の赴くままに、その人の気持ちとか考えに寄り添ってリンクしていくのがすごく面白い。そういうのが、好きなんです。だから、細胞が響く人たちと山で一緒に何かをやるっていうのは、すごく楽しいです。
三調家とリンクした人にはできることをしたい

今後は三調家でどんなことをやろうと考えられていますか?
佐賀のこのお山で何かをやりたいっていう人に、自分のできることはさせてもらえたらいいなと思っています。私自身、前の仕事で駆け出しの時に東京でいろんな人に良くしていただいたんです。たとえば食育の指導をするための場所を貸していただいたり。若いときってやる気はあっても、そのための器(場所)がなかったりするから。今の私にはこの三調家という場所があります。この場所を使ってもらったり、食べるところや住むところとか、小さい力ですけど、少しはお役に立てたらと思っています。そうやって、この場所で少しずつ成長して夢を叶えていく人たちが、ゆくゆくは三調家を引っ張っていってくれるようになったら、この家を建ててくれた人も喜ぶかな。修繕費も毎年かかるし、大変だけど、どうせなら楽しみを共有できる人と一緒に、その楽しみをたくさん増やしていきたい。そうすると、生活ってどんどん豊かになるんじゃないかって思っています。

移住者へのメッセージ

これから移住を考えている方にアドバイスをお願いします。
もし、何か、これはすごく自信があるとか、できるもの、大好きなものを持っているのにうまくいかない人がいたら、山の暮らしをすることでそれが花開くと思うんです。なぜかというと、自分の力だけでは花は開かないということが、山で暮らすと自然とわかるようになるからです。
山で自然と共に暮らしていると、たとえば畑が一瞬で嵐にあってだめになったり、イノシシにやられたり。どんなに頑張ってもうまくいかないことがあるとわかるんです。でも、そのことで自分の傲慢さが打ち砕かれるんです。
まずは呼吸を整えて、本当の自分に出会って、自信をつける。そして、今度は自然からその自信と一緒につけた傲慢さを打ち砕かれる。それでもまたやってみる。その中で、周りの人たちに助けられたり、支えられたりしながら、自分の花が開くんだと思います。そういうことが山での暮らしにはあると思っています。
何もないで周りにぶらさがろうとする人には厳しいかもしれないです。でももちろん、私も周りの力で今があるので、縁やつながりができた方がいたら、私の持つつながりをいい方向になるよう、活かすことができたらいいなと思っています。
ー 編集後記 ー
今回こちらの原稿を担当しながら自分自身も仕事が大変で様々なことに心が忙殺されていました。でも、この時の取材したときの花田さんの言葉、声、雰囲気を思い出すたびに不思議な元気がもらえる感覚があり、取材させていただけて本当にありがたかったです。花田さんはとても優しくかわいらしい雰囲気の方なのですが、その奥にある強さや仕事への毅然とした姿勢などがとても素敵です。将来自分も花田さんのような立ち居振る舞いで仕事を続けていけたらいいなと思いました。


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<お世話になった取材先>
三調家オーナー
花田 孝子さん
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<お世話になった取材先>
三調家オーナー花田 孝子さん
三調家代表。食育指導士として日本を飛び回った後、佐賀市富士町の古民家の物件に出会い、田舎暮らしの宿『三調家』を立ち上げる。




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<取材記者>
佐賀100編集部
「佐賀のお山の100のしごと」編集部
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<取材記者>
佐賀100編集部「佐賀のお山の100のしごと」編集部
「暮らすようにはたらこう」 山には暮らしの中に仕事があり、人と人とがつながり、お互いに助け合い、人間臭く生きている社会があります 佐賀のお山にある100のしごとでは、100人の暮らすようにはたらく人たちの地域ならではの暮らし方、働き方、古くて新しい価値観を、丁寧に取材していきます このローカルメディアを通して、佐賀のお山の暮らしのことをもっと知ってもらい、佐賀のお山の暮らしを一緒につないでいく新しい仲間に出会いたい そんな想いで「佐賀のお山の100のしごと」を綴っています

