佐賀からアフリカへ。経験を経て、感じること No.021 平川ブルーベリー園 平川易子さん
- 2021.01.31
- written by 鵜飼 優子

夏になるとオープンする三瀬にある平川ブルーベリー園。ブルーベリー狩りを楽しめるのはもちろん、ブルーベリーを使った手作りお菓子を堪能することができます。20品種の個性豊かなブルーベリーの木が約800本あります。
今回は、平川ブルーベリー園で働く平川易子さんにお話を伺いました。易子さんはお父さま、お母さまと一緒にブルーベリー農園を経営されています。易子さん自身は、青年海外協力隊でアフリカへ行かれ、佐賀へ戻って来られました。佐賀を出て、青年海外協力隊へ行くきっかけ、現地での生活、戻って来られて思う地元のこと、等身大の易子さんで語っていただきました。
青春のすべては佐賀で

本日はよろしくお願いします。易子さんは三瀬生まれ三瀬育ちですよね?
そうです。小学校、中学校はもちろん三瀬で。高校は、佐賀市外だったけど、家から通ってたね! 高校卒業して、ガソリンスタンドの会社に勤めたんだけど、実家から通ったね。29歳まで実家にいたよ。
会社を辞めたあとはどう過ごされてたんですか?
会社を辞めたあとは、1年くらいゆっくりしてたね。ハローワークで失業保険が出るでしょ。その間に家の手伝いしてたね。お米を作ってたからその手伝いで、人生で初めてトラクターにも乗ったね。
ゆっくりされたあとは青年海外協力隊へ?
そう! 失業保険が尽きてどうしようかなって思ったときに海外に住んでみたかった夢を思い出して。青年海外協力隊の秋募集の説明会を聞きに行ったよ。
海外に住んでみたかったのですね。海外に住む方法は、ワーキングホリデーなどもありますが、その中でJICA(ジャイカ)青年海外協力隊を選んだ理由ってあるのですか?
先進国へ行ってもなって思っていて。青年海外協力隊で行くんやったら、アフリカか南米かなと。
そこから実際行かれたのは、アフリカのマラウイ共和国ですよね。希望が出せるんですか?
書類審査のときに希望を書く欄があって、職種は1個で国は3つまで選んでいい。
職種は、「村落開発普及員」が一番募集人数も多くて、業種も多い。
その中でも農業、農産物加工、エイズ関係や青少年活動など、村のために何か活動してくださいっていうのが村落開発普及員の役目。その中で農産物加工中心としたのに丸を付けていって。そしたら100以上あって。国よりもまず職種でみて、それから10個くらいに絞っていったら、アフリカのマラウイが第一希望になった。
職種から絞ったのですね。合格まではどんな流れでしたか?
事前説明会に参加して、書類をもらって、書類審査⇒1次が書類と作文⇒2次が東京で面接と英語の試験。それを経て、合格だね。
実は、両親には事後報告やったんよね。受かって、行くまでの間に研修があるからそのときに言った。母親は大号泣。父親は腰ぬかしとったね。

ご両親はかなりびっくりされたんじゃないですか?
そうだね。父親にはアメリカじゃないのか? と聞かれ、母親は毎日泣いていて、驚きと心配だっただろうね。
アフリカへ行った方や行こうって方なかなか身近にロールモデルがいないと思うのですが、不安はなかったですか?
高校の友人たちで留学していた子はいたから、そういう意味では海外で暮らしたことのある子は周りにいたね。ただアフリカへ行った人はいなかったな。不安よりも期待とか楽しみの気持ちが強かったね。
日本とは違うマラウイでの生活

青年海外協力隊に行ってからの生活はどんな感じですか?
前の隊員の人の引継ぎで、まず農業省のあるムジンバ地方へ行った。日本でいう農業改良普及所に所属して、女性グループの担当とか栄養指導を行ったりしたね。
農業改良普及所に所属して現地の方に加工などを伝えられていたんですか?
現地の方からの要請内容は、トマトとかマンゴーが余って捨てている状態なので、どうにか加工して食べれるようにして販売につなげてほしいってことで。
主にその活動をしていたね。活動を始めて3か月したら、JICAからバイクが支給されて行動が広がったね。
現地の女性グループとか障害の子をもつ親のグループとかに加工技術を教えに行って。どこに行っても、日本人が来るってなったら、何かもらえるって思って、最初は30人とか集まるとよ。でも何かあげるためじゃなくて、伝えるために行ってるからね。通っているうちに、だんだん人は減ってきて、ほんとに何かを教えてもらいたい人だけが集まるようになったね。
加工で使う材料代も自分たちで用意してねって言って。どこのグループも5,6人だったね。

本当に何か教えてほしい人たちが残り、そのグループの方へ週に何度か教えてらっしゃったのですか?
そうだね。6か所か7か所くらいを2週間に1回とかかな。近いところは1週間に1回くらい行ってたね。
ほかにも種まきとか一緒にするとよ。種をまいて、それを育てて、町に持って行って、売ろうみたいな。種はこちらで買って、栽培の指導する感じかな。
気候も雨季と乾季があって、雨季に植えんと、水やりが大変やし、乾季に植えたほうが虫は来ないけど、ちゃんと水やりしないといけないし。一度乾季に植えてみようってなって、やったら、畝の作り方がいつもと違うのよね。くぼみを作って、水をためるの。水が流れんように。
井戸が近くにあって、毎日誰か水汲みに来てねってしとって。ある日、井戸が壊れてね、枯れたと。
水路づくりからせんといかんくなって困ったね。
青年海外協力隊は、2年間のうち実際活動できるの1年ぐらいやけん。早く始めたら、1年半あるけど。青年海外協力隊に憧れてきた子とかは、実際現場とのギャップで何をしていいかわからんくてって言う子もいたね。私は現地の調整員の人もいい人だったし、人に恵まれていたね。
易子さんは恵まれていたんですね。アフリカへ行って変わったことってありますか?
変化というか、生活していて電気がありがたいってかなり思うようになったね。向こうだと急に切れるけんね。
ご飯とか作ってるときに急に切れたりする。
料理はガスじゃなくて、電気コイルクッカーなんよ。ガス持ってるとこはお金持ちくらい。みんな使うタイミング一緒だから、さぁもう少しでできるってときに切れるんよね。
あとは中心となる事務所が休みの日曜日に電気が止まっていたね。大体毎週だったね。
わあ! 毎週日曜日に電気切れたら大変ですよね。
そう。しかも電気だけじゃなくて、水も止められたときがあって。
水を汲みにいったりしたね。水のろ過器をJICAから借りてたから、ろ過した水を沸かして飲む。
沸かすのにも炭で火を起こして。毎日キャンプみたいだったね。だからほんと電気ってすごいって思う。
電気がない生活をしてみて、電気のありがたさを感じたね。

電気ってありがたいですね。日本と違う環境でホームシックになったりはしなかったですか?
それは全くなかったね。人に恵まれていてありがたかったね。
海外協力隊としての活動以外の時間はどんな過ごし方をされていたのですか?
向こうにお菓子の本を持っていっていてお菓子作ったりしよったね。だけど向こうはオーブンがないけん。炭で。
炭で下から火を起こして蓋をして、蓋の上にも炭を置いてね。
最初、炭の起こし方がわからんでね。マッチひと箱無くなったよ(笑)新聞を燃やすといいね。
ケーキとか焼いたりしよったね。
マラウイの皆さんともお菓子作りされたんですか?
スコーンをおばちゃんグループと作ったね。まず1回自分で試作してみて、協力隊の仲間に食べてもらったらいいねって言ってくれて、現地のおばちゃんたちとも作ったね。
おばちゃんたちに買い物から材料費や売り上げ計算も自分たちでしてもらって。初めて作ったときはかなり量が多かったね。少しずつおばちゃんたちが自分たちで考えていくようになったね。

失敗もしながら、みんなで作られたんですね。どこかへ売りにいかれたんですか?
みんなで道端に売りに行ったね。マラウイは、車が少なくて。バスと官庁の車くらいなんよ。個人で車持ってる人少ないから、なかなか買ってくれる人がいなくて苦労したね。
だけど協力隊の仲間が、町に住んでいて、その子が宣伝してくれて、知り合いが買いに来てくれて売れるようになった。価格はスコーン1個20円で売っていたね。
宣伝効果もあって、スコーンは売れたんですね。もともと向こうにスコーンってあるんですか?
あるんだけど、日本であるようなイングリッシュスコーンではなくって。
向こうの人たちが作ってるのは、パンのことをスコーンって言うんよね。つながっててちぎるようなパン。重曹使ってね。
文化が違うと料理のレシピも違って面白いですね。
帰国後、好きな加工の仕事を本格的に

青年海外協力隊の活動を経て、改めて農産物を加工する仕事の楽しさや発見はありましたか?
楽しさっていうよりも、「もったいない」をどうにか伝えられたらって思ったね。
わたしが行った数年前に飢饉があったらしくて、晴れ続きでね。その飢餓のあとだったから、食べ物が余計に余っていた気がするね。日本でも食べ物が余ってどうしようもないこともあるよね。もったいないって世界どこに行っても問題としてあるんだなって。
もったいないは世界中で起こっている問題なんですよね。加工を通して、その問題を減らせたらいいですよね。活動を終えて、佐賀に帰って来られてからのお仕事はどんな流れですか?
たしか9月23日に帰って来てて、ブルーベリー園はもう8月末で閉まっていて、まず親戚と友達に挨拶しに行ったりしたかな。マラウイへ行くとき、盛大に壮行会してくれたからお礼まわりしたね。
お土産にマラウイでポーチをテーラーに頼んで作ってもらって、それをみんなに配ったね。たぶん100個くらい頼んで、テーラーが疲れたって言うくらい頑張って作ってくれたね。向こうは、アイロンも炭入れてするアイロンで。電気無いからね。
そのあと仕事は、12月くらいから三瀬村内にある農業試験場の仕事に行って、実家のブルーベリー園でがっつり働けんかったから。農業試験場は、こないだまで勤めてたね。9年行きよったかな。

メインは農業試験場の仕事だったんですか?
農業試験場で働きつつ、1年経ったあとにブルーベリー園が開園のときにタルトを焼いて。
姉ちゃんからアドバイスもらって、色んなお菓子を作ろうってなって。
パイにも挑戦して、近所のマルヤスりんご園さんにアップルパイを作ろうかなって言ったら「うちで売ってくれんね」って言われて。それから毎年ずっと作ってるね。
1番はじめに出したお菓子はパイだったんですか?
そう、パイやね。何回か作ってみて、自分の友達とか姉妹の友達に食べてもらって、大きさとかパイのカスタードの量とか色々アドバイスもらって、改良して。
姉ちゃんが材料の取引先とか話つけてくれたね。材料は今もそこから頼んでるね。
卸すところはじぶんで探したね。幸い近くに直売所があってよかった。
で、そのときから三瀬村内で平飼い養鶏をされている小野寺さんの卵を使っていて。パイのカスタードは黄味しか使わんけん、白身をどうにかしたいって思っていて。協力隊のときマラウイで読んでたお菓子の本から白身を使うチュイールを見つけて。作って、食べてみたら美味しかったから商品化することになった。
易子さんのお菓子はアップルパイから始まったのですね! パイはもちろん、易子さんのタルトやチュイールほんと美味しいです。今後の展開を教えてください。
今後は、お菓子作りをもっと展開していきたいね。正直、世の中がこんな風になる前は、(コロナ渦になる前)イベント出店とかを軸にしてやっていけるって思ってたんだけど……。それができないので違う形でお菓子を提案していきたいと思っている。
あとは一緒にしているお父さんが引退した後どうするかだね。ブルーベリーと冬の時期はいちごをしていて、あと田んぼでお米を作っているけど、いちごか田んぼの数を減らさんとなって思ってる。だけど、お父さんとまだそこまで詰めて話できてないから。なんとも言えんね。お菓子は引き続き作っていきたいな!
感覚の違いは日本の地域でもある。それを解消するのは……

最後に地域のことについてお伺いしたいです。地域の好きなところ教えてください。
空気が綺麗って言いたかったけど、意外と「PM2.5」って山に最初に降りてくるんよね。
福岡とか佐賀に来る前に佐賀の山に最初降りてきてから下へ行くみたいやけんね。
なんだろう。地域の好きなところ……やっぱり気を遣ってくださるところかな。
車の中からでも挨拶してくれたり、物々交換したりね。この前は、直売所でお菓子を卸しているときにワゴンの後ろ開けたままにしていたら、同じく商品を卸しにきていたお花屋さんがゆりの花をワゴンに置いてくれてね。わたしもお返しで、作ったお菓子を渡したりして、物々交換したね。
最後に移住した方へメッセージをお願いします。
町からやもんね。感覚違うことあるよね。日本人同士でも違うよね。
佐賀の食べ物は美味しいし、みんなよくしてくれるね。地域の寄合とかは参加したほうがいいかな。
寄合とかでコミュニケーションをとって関係を築いていく感じですかね。
家が隣近所の人に気遣うとかね。うち自身、よう気遣ってもらってるよ。周りはりんご園とか同じ職業の人が多いし、「お互いどう?」って話したりね。
そうですよね。日本でもこんなに地域によって違いますもんね。コミュニケーションとりながら、わたしも地域へ少しずつ入っていきます。本日はありがとうございました。
ー 編集後記 ー
いつもパワフルで元気いっぱいの易子さん。やりたいことをされてるなという印象だったのですが、意外にもガソリンスタンドの会社をやめるまではずっと我慢するタイプだったそう。「人を嫌いになったらあかん」と思って生きてきたとおっしゃっていました。仏様みたいって言われたこともあるくらいだったとか。だけど色んな経験を経て、ときには壁や試練にも向かいその中で少しずつ変わっていかれたお話を聞いて、勇気をもらいました。
青年海外協力隊の活動のお話も興味深く、易子さん自身が殻をさらに破ったきっかけでもあったのだなと思います。書ききれなかった易子さんのお話はブルーベリー園やイベントでお会いして聞いてみてください。まだまだ面白いお話満載です。
佐賀でずっと地域を守る方、佐賀を出て色んな経験をして戻ってこられる方、きっかけがあり佐賀に引っ越してくる方。金子みすずさんではないけれど、色んな形で佐賀と関わるそれが「みんな違ってみんないい」なと思います。
取材を通して、皆さんのお話を聞けることに感謝です。


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<お世話になった取材先>
平川ブルーベリー農園
平川易子さん
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<お世話になった取材先>
平川ブルーベリー農園平川易子さん
佐賀県三瀬出身。高校を卒業後、ガソリンスタンド会社へ入社。29歳で退職とともに元々興味があった海外への気持ちが強くなり、青年海外協力隊の応募を決意。2008年9月よりマラウイ共和国へ村落開発普及員として活動。2年間の活動を経て、佐賀へ戻る。ずっと好きだったお菓子作りを本格的に初める。ブルーベリーを使ったパイやタルト、クッキーやチュイールの焼き菓子を作る。「直売所マッちゃん」「ダムの駅しゃくなげの里」などで販売中。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

