荒々しく美しい「蛮美」という生き方 No.020 小池卓さん
- 2021.01.22
- written by 山本 卓

神埼市脊振町。幕末に建てられたという古民家に陶房 石(いし)はある。朝8時。窯の前で火を見つめ、成形した食器を焼く作業(窯焚き)をしている小池卓さん(64)。一度話せばその人柄に引き寄せられ虜になってしまう愛らしいキャラクターの持ち主である。自分の力で生きようと、焼き物屋として修行し始めたのは28歳の時。小池さんが作る焼き物は、脊振の土を使い、土本来のゴツゴツとした荒々しくも美しい器表面の手触りと斬新な形が特徴である。時代と共に焼き物の色が変化していたのには驚いた。初期は「黒」、そして「赤」へ。現在は「水色」。焼き物とともに変化している小池さんの生き方や考え方などについて伺った。
焼き物屋になったきっかけは「自分の力で生きるため」
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本日はよろしくお願いします。本日は窯焚きをされているんですね。焼き物を作る最終段階ということですね。
そうですね。朝の7時ごろから窯に火を焚き始めて、焼き終わるのは深夜になります。3分に1回のペースで窯へ薪を放り込むので、ずっと張り付いていなければいけません。7~8時間かけて窯の温度を1200度ぐらいまで上げていきます。窯焚きは低い体勢を18~20時間維持しながら、立ったり座ったりを3分おきに繰り返していく。夜には足首がいたくなっちゃって、歩けなくなっちゃうんです。(笑)
窯焚きは、1日で終わるんですか?
ガスや送風機を併用して1日で焼き上げています。それでも18~20時間は窯にべったり張り付いているので、ひとりでいると自分の人生を振り返ってみたりしちゃいますね。(笑)
焼き物屋って体力勝負ですね!! 小池さんが焼き物屋になったきっかけは何だったんですか?
会社へ通勤する行為が嫌だっていうのが一つの側面です。(笑) もし仮に、私が割と優秀な成績をおさめて、官公庁で働いたとしても、自分の性格上、辞めていたと思います。生きるためにはお金はもちろん大事だけども、それ以上にもっと大事なことがあると思いました。生きていて楽しくないのにお金を稼いでいるのなら、あまりお金が入らなくても楽しい方を選ぶ。それに私が組織の中で自分の力を発揮できるかというと、まず発揮できないタチだと思うんですよね。うちの父もそうでしたので。
お父さんも同じですか??
父は大学を卒業後、エンジニアとして有名企業で定年まで働いていました。その父が40歳を過ぎた頃でしたか、帰宅しては毎日会社の不平不満を言っていました。家族のために嫌な仕事を必死で頑張ってくれていたんだと思います。その結果、ストレスで病気になってしまいました。父は頑張りすぎたんです。合わない仕事をして自分の力を発揮できなかった。そんな父と自分は同じ性格をしているなと感じるんです。
僕も大学を途中で辞めて「これからどうしよう。何もできていないじゃないか」と悶々とした日々を過ごしていた時に、ストレスで胃袋に穴をあけちゃいました。(笑) それは焼き物屋の弟子に出る前でした。その頃は自分の力でなんとか生活をしようと必死だったんです。
自分自身と葛藤する日々を過ごされていたんですね。
自分自身を追い込んで分かったことがありました。人として満足できる仕事とは、体と頭の両方をバランスよく使うことなんじゃないだろうか。それが28歳の頃です。自分の力で生きるために、学歴と関係ない職業に就こうと考えて、焼き物屋の弟子になりました。
荒々しく美しい「蛮美(ばんび)」という生き方

最初の作品ですか?!
これは脊振の土だけを使った、独立した初期の作品です。土は焼けば焼き物にはなるんですよ。火山が噴火しマグマが流れてくる、それが溶岩となって石になります。それと同じことを焼き物屋もしているんです。土を1300度に熱し、再び石に戻す。自然界の摂理を仕事としてやっているわけです。
「自然界の摂理」と「焼き物の仕事」は同じなんですね!
実は陶房石(いし)という工房の名前も自然の摂理から付けたんです。
五行という言葉を知っていますか? 空・風・火・水・土。万物はこの5つの元素からなるという古代中国に端を発する自然哲学の思想です。この五行が循環していることが自然の形。僕も自然の流れの中で逆らうことなく、自分の力を発揮したい。
自然界の中の一つの視点として石が自分の中でポンっと来て、名前に付けたんです。
自然の中で生きることを、小池さんは生きるテーマにされているのですか?
いや、テーマというよりも、私が今ここで暮らしているスタイルですね。生き方って囲まれている自然と環境に影響されます。
薪を使って窯焚く行為は、木を使い、火を起こして、風を通して焼きあげる。そういう自然の流れに逆らわないようにしないと、うまく窯焚きできないんですよ。「自然の環境にいる」から「自然に逆らわず生きよう」と考えるようになりました。

蛮美(ばんび)とは、どういった意味なんですか?
蛮美(ばんび)というのは、荒々しいという意味の「蛮」と、自然の「美しさ」を合わせた言葉です。これが焼き物を作るテーマです。
初期の作品は、黒くてゴツゴツした作品が多かったんですが、たまたま窯焚きをした後に表面が赤くなる作品ができました。それが「赤焼き(あかやき)」です。僕はこの「赤」が本当に好きでした。

この赤になったのは、たまたまだったんですか?
窯焚きをしていた時に、偶然赤色の器ができました。でも、もうこの色は出せないんです。この赤色を出すには薪だけで焼き上げなければならない。薪だけで焼き上げるには時間的にも体力的にも厳しくて、ここ5~6年は作っていません。だから、展示してあるものしか残っていません。今では新しく水色の焼き物に挑戦しています。

水色には何かこだわりがあるんですか?
それは今模索している最中です。今回から水色の焼き物を作ろうと思ったんです。特に理由はありませんが、自分の心の中での変化があったからだと思います。これから作り続けていく中で答えを出そうと思います。
人生とともに食器の色が変わってきたんですね! 小池さんの焼き物を見ながらこの時の小池さんの思いはどうだったのだろうか? と想像してみるのも楽しみ方の一つですね。
焼き物という仕事は人生の背骨になった。ロマンを求めてこれからも。

小池さん。窯の温度が1065度ですよ!
そうですね! もう23時過ぎましたね。(笑) 早いもので。今日は一人じゃないので全く退屈しなかったです。もう少しで焼き終わりますね。では、お風呂を沸かしに行きましょうかね。
お風呂を沸かしに行く?
はい。家の裏に五右衛門風呂があって、毎日風呂に入るために薪をくべてお湯を沸かしているんですよ。今の時期(9月)はいいんですけど、冬になるともう寒くて寒くてお風呂に入るだけでも命がけですよ。(笑) 家の中も「床が氷でできているんじゃなか?」って思うぐらい冷たくて、靴下を2枚重ねて履いたり、必死です。
この家も、相当古いもの見えますね。屋根も茅葺(かやぶき)ですよね。
確か幕末に建てられたと聞いています。なんか愛着があって、この生活が落ち着きますね。……。ただ今日は窯焚きをしながら五右衛門風呂を沸かさないといけないから、ひとり借り物競争している状態になります (笑) はい。窯に戻りますよ!
この取材の中で一番バタバタしてますね。(笑)
この窯焚きの終わる頃が一番忙しいんですよ。僕はねいつも一人で作業しているじゃないですか。その時に自分の人生について振り返るんです。
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どんな人生だったんですか?
僕は、あと20年ぐらいで死にます。それまでに人間としてしっかりしたいなと思います。
そして……。もう一度ロマンを求めて生きてもいいかなと思うんですね。
ロマンですか?
侍が最期の死に際を求めるように、葛飾北斎が死ぬ最後の最後まで絵を書き続けたように、荒々しくも美しい生き方をしていきたい。焼き物屋として30年以上仕事をしている中で、この焼き物屋と生き方が自分の中の多くの部分で重なってきています。だからこの生きる思いと焼き物をうまいこと重ね合わせながら、もう一度、赤焼きを作ってみたい。それが焼き物屋としての僕のロマンです。
小池さんの作る「赤焼き」をもう一度見てみたいです!
死ぬまで全力を出し切って死んでいけたらなと思っています。手間も時間も体力も使う赤焼きのような焼き物って、ロマンが無いと作れないじゃないですか。桜の咲くころに窯焚きを終わらせ、火を止めた翌朝、最期は椅子にもたれながら死んでいたい。最期まで体を動かして死ねれば最高だなと思いますね。
小池さんにとって焼き物屋という仕事はなんですか?
これまで約36年焼き物を作り続けてきました。こんなに長く続けてこられた仕事はない。仕事が自分の生活の一部になっていることは確かです。もし焼き物屋がなくなれば、骨を抜かれるようなもの。焼き物屋は私にとって、背骨のようなものですね。
変わり続けることが焼き物屋として面白い。
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深夜1時を過ぎましたね。
そうですね! ようやく焼きあがりですね。これで火を止めてから冷ますと、焼き物としてほとんど完成ということになりますね。
ほんと窯焚きって大変なんですね。年間何回ぐらいやるんですか?
3回ほどですかね。窯焚き前には、土を作り、皿を作り、薪を割るんです。その準備だけでも大変ですし、窯焚き自体も大変ですから。この仕事はほんと体力勝負なんですよ。
そこまで小池さんを突き動かす原動力はどこにあるんですか?
江戸時代の焼き物絵師 尾形乾山が述べた、「日本全国で焼き物にならない土は無い」という言葉を弟子の頃に知ってから、自分も「どこかの土地へ行き、土を探し焼き物を作りたい」という思いがありました。焼き物にできる土には向き不向きはあるけども全国どこでも焼き物にならない土はない。それが長年焼き物屋として生きてこられた原動力です。
最後に、焼き物屋を目指そうと思う人へアドバイスをいただけますか?
いやそれは特にないですよー。アドバイス出来るような歳でもないですし、言葉にするなんてとんでもない。まだ自分が若いときの記憶もまだありますし、60過ぎでも、焼き物作りは僕の中で変化していっている。初めは土のようなゴツゴツしていた黒の食器から、赤焼きになり、今は水色の食器へと変化し続けています。人には人の、その時思うことがあります。なので、私がアドバイスすることはないですね。(笑)
本日は本当にありがとうございました。長丁場お疲れさまでした。お風呂にゆっくり入ってくださいね。
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ー 編集後記 ー
取材をした日、小池さんにお魚をさばいてあげようと台所をお借りしました。魚の頭を落とそうと力を入れた瞬間。台所が崩れた。叫ぶ僕を小池さんは「こうなると思っていた」と笑ってくださった。それから小池さんとはマブダチのような関係です。窯焚きの時間は小池さんにとって人生を振り返る時間だという。振り返りながら自問自答を繰り返し、常に変化し続ける姿。黒色から赤へ。そして水色に。僕は今小池さんが透き通った清らかな水のように穏やかに生きられていることが水色の食器に現れているのではないかと思いました。そしてもう一度「赤焼き」のように情熱的な小池さんに会える日を楽しみにしています。


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<お世話になった取材先>
陶房 石
小池卓(たかし)さん (64)
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<お世話になった取材先>
陶房 石小池卓(たかし)さん (64)
佐賀県神崎市脊振町在住。28歳の頃から焼き物の世界に入る。幕末に建てられたという古民家で陶房 石(いし)を営む。脊振の土を使った食器は独特な手触りと斬新な形が特徴。動画配信にも力をいれSNSにて日常の様子なども発信中。小池さんのかわいらしいキャラクターにファンが急増中。
陶房 石(いし)
〒842-0203 佐賀県神埼市脊振町服巻4708
電話: 0952-59-2971
Facebook:https://www.facebook.com/takashi.koike.1029/




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

