「5人で1人前」女性の自立と自由を求めて・・・おかあちゃんたちのお饅頭 No.017 井手野加工グループさん
- 2020.11.18
- written by 鵜飼 優子

後列左から、奥永千代美さん、福島信子さん、福島千代子さん
朝の5時前まだ外は薄暗い中、井手野加工グループの作業は始まります。
佐賀県三瀬村井手野(いでの)地区では、地域のお母さんたちが地元の素材を活かして団子や饅頭を作り、長年手作りの味を守ってきました。
井手野加工グループは結成から30年以上が経ち、メンバーの皆さんは、69~82歳になられました。
わたしから見る皆さんの第一印象は、若い! 元気! 朝早くから加工場には明るい声が響き、まるで学校のよう。お母さんたちの元気な秘密は、この場所にあるのでは! と感じました。
「5人で1人前」「5人だったから続けてこられたね」と話すお母さんたち。
地域の女性が有志で、加工場を立ち上げ、地域の仕事と食文化を守ってきた軌跡を佐賀弁満載、笑い満載で語っていただきました。
座談会形式のインタビューをご覧ください。
まずは、皆さんの自己紹介をお願いします。お名前と出身地と佐賀のお山で好きなところを教えていただけますか?
内村則子です(以下、則子さん)井手野加工グループの代表をしています。
出身は三瀬の中鶴(なかんつる)地区です。
ここは気候がいいですね。冬は少し寒いけど、夏は気持ちがいい。
福島千代子です(以下、千代子さん)則子の妹で、出身は同じく中鶴地区です。
最近、各地で災害があるけど、ここは大きな災害もなく、恵まれたところに住んでるな、生かされてるな~と思うようになりました。
朝「ピーチクパーチク」という鳥の声を聞きつつ、畑仕事をしてると気持ちもスカっとして、「こぎゃん田舎に住んでてよかったな」って思うね。
庄島廣子です(以下、廣子さん)出身は福岡県の八女です。
山の好きなところは、緑が違うところね。光があたってキラキラしてる。
わたしの父ちゃんは、明治生まれで「三瀬というところは、今から拓けていく所やからお前は三瀬にいけ」と命令されたの。「えー」って言っとったばってん、来てみたら大好きになりました。今は「三瀬にいらっしゃい」ってどんどん移住を勧めてます。
奥永千代美です(以下、千代美さん)
則子の娘なので出身は井手野地区です。1年ほど前から手伝いに来ています。
山は四季がはっきりしていて、新緑の時期も匂いから季節を感じるし、それが一番力になる。寒いのは嫌いだから雪は嫌いなんだけどね。(笑)
芹田スエノです(以下、スエノさん)
もともと井手野出身で地区内のお家に嫁ぎました。夏前は、小鳥のさえずりが気持ちいいですね。
近くからお嫁に来たから嫌なこともあるけど、井手野はいいところだと思います!
福島信子です(以下、信子さん)出身はお隣の富士町ですが、中学校から三瀬中学校に通ってたので、半分三瀬のもんです。
山のいいところは、自然が豊かなところ。孫を学校に送る途中、双眼鏡を持っていって、川を見るんですよ。鴨とかルリカケスとか、いろんな鳥を見つけては帰ってきて図鑑で探すのが楽しみです。
―みなさんの自己紹介を伺い、三瀬が緑のきれいな自然豊かな場所だと伝わってきました。
30年間井手野加工グループとして続けてこられた5人のお母さんと現在お手伝いにきてくれているその娘さん。
朝早くから元気いっぱいお饅頭を作られている姿にパワーをもらいました。
根強いファンがついている手作り商品の数々は、勤勉さと機動力のたまもの!

今、作られている商品の種類はどのくらいありますか?
則子さん:何種類くらいあるかな? 色々試して作ったもんね。大きく分けると4種類かな。
千代子さん:餅、饅頭、団子、おこわだね。1番収益があがるのは、餅かな。
信子さん:餅米は自分たちで作った米を使ってるから経費も安くできる。今で言う6次産業化を先取りしとったとよね。(笑)
千代子さん:それらを直売所や道の駅に卸してるけど、今では地元の学校行事や冠婚葬祭で使う餅や饅頭の注文もあるね。
饅頭や団子のレシピ発案は皆さんでされたんですか?
則子さん:そうね、自分たちでしていく中で考えたのもあるけど、視察行ったりして情報を仕入れたりもした。
廣子さん:あちこち行ったね。
千代子さん:普及所や県から研修や勉強会の案内があれば、真面目に参加しとったね。
信子さん:そこで先生から習ったね。
研修に行った先でレシピを教わる形ですか?

廣子さん:ううん、教わるんじゃなくて、見てくる。帰って来てから、わたしたち流にアレンジして何か付加価値をつけて商品にしていったね。
千代子さん:切り餅とかは売ってあるのを見て、これはうちでもできるよねとか。
千代美さん:おんなじ商品にはならないよね。高菜饅頭とかおから饅頭とかできたとき、ラジオでインタビュー受けてなかった?
信子さん:受けたね。高菜饅頭は、長野県発祥のおやきのヒントもあったよね。
土地の違いか、ペタッとしたおやきはこっちの人は好みんしゃらんかったから、饅頭にして、ふわっとした形で出したね。
千代子さん:そういえば、ほら、熊本の……
千代美さん:いきなり団子ね。
千代子さん:熊本では、ああいう形で売れてるから、最初わたしたちも同じような形で出してみたけど。
廣子さん:売れんかったね。(笑)
千代子さん:やから、すっぱりやめたと。その土地によって好みが違うんやろうね。
売れ行きやお客さんの反応で商品も色々変化させていったのですね!
則子さん:商品の大きさも変えたね。一時、大きい饅頭を作ると「珍しいね」って売れたばってん、長続きせんやった。
全員:そうだね。
千代子さん:そいけん、小さいサイズの色んな味の饅頭を6個入りで販売してる。
―なるほど! みなさんで工夫しながら今の形にされてきたのですね。
いろんな思い出が見えてきて聞いているだけで楽しいです。
大人気 紅芋饅頭のできるきっかけは、出産!?

信子さん:紅芋は、こちらの沖縄のをね。(千代美さんを見て)
千代美さん:そうそう。わたしの旦那さんが沖縄に転勤になって、沖縄で出産することになって、母(則子さん)が※産看病(さんかんびょう)に来てくれて。(※産看病:出産のときのお世話)
則子さん:そうしたら、加工場のみんなで来てくれてね。研修旅行という名目で。
千代子さん:産看病にかこつけてね。
全員:あはは(笑)
則子さん:みんながおる間は、結局産まれんかったけど。
スエノさん:わたしはまだメンバーに入ってなかったね。沖縄行きたいな。
信子さん:もう誰も産まんもんね。(笑)
千代美さん:その時に、紅芋パウダーを買ってみたのが、紅芋饅頭の始まりだね。
廣子さん:こうやって、みんなでどこでもいっしょに行きます。
農林水産大臣賞を貰いに東京に行くときも、みんなで行ったし。
行ったらその土地のいい物を貰ってくるんよね。
則子さん:紅芋パウダーは、今もその時の沖縄の業者さんからお取り寄せしてるね。
千代子さん:加工場を始めて、本当にいろんな方との出会いがあった。
加工場をしていたおかげで出来た縁がたくさんあるね。
自分の通帳を持つことが当たり前ではなかった時代

信子さん:時代の変化だけど、井手野にお嫁に来たときは、女性の自由とか自立ってなかったね。
スエノさん:嫁いできて、お姑さんがおらしたもんね。
千代子さん:お姑さんに「今朝の味噌汁の具はなんにしますか?」って毎日聞いて作ってたな~。
廣子さん:わたしは、外に働きに出てたから、少しみんなとは違う境遇やったかもしれん。
信子さん:外に働きに出てる人は、自由さ。家におるもんは、やっぱり自由が少なかったね。
則子さん:自分で自由に使えるお金っていうのが昔はなくて、それで加工場を始めたのもあるね。
この井手野加工グループが、暮らしの色んなことから解放される場所に?
信子さん:そうだね、普及所には意識を色々変えてもらったよね。まずは通帳持ちましょうって。
千代美さん:今は当たり前だけど、お母さんたちの時代は、女性が自分個人の通帳を持ってなかったもんね。
信子さん:今は自分で出し入れするけんが、お金があるか無いかも分かる。(笑)
千代子さん:それこそ何十年前は、現金っていうのが家にあんまりなかったもんね。
そいけん、魚屋さんと米で物々交換したりもしたよね。
―加工場をすることによって、家族以外の人と話したり、家事から解放されたりしたんですね。
自分で使えるお金もできて、精神的にも自由になったのは大きいですね!
メンバーの持ち味を生かした連携作業で商品がカタチに!

お饅頭やお団子を作る時はどんな風に役割分担をしているのですか?
千代子さん:担当に分かれて商品を作っていますよ。初めはこがん形じゃなかったね。だんだん自然にそれぞれの持ち味で、よか風に分かれたね。
信子さん:うん、自然に担当分かれしたね。
千代子さん:初めはどの作業もみんなでやってたけど、だんだん作る量も増えたから、分業というかそれぞれの担当でやるほうが効率がよくなったしね。
スエノさん:作っていて、商品の微妙な違いに気づくのがこの人(千代子さんを見ながら)それを手直ししていくのがわたしたちの腕だね。
則子さん:ただ担当でやってるからその人が休んだら、分からんこともあるね。
スエノさん:だから、あんまりみんな長期で休んだことないよね。
信子さん:そうね。どうしても人手が足りないときは、地元の方に手伝いに来てもらったりした。
5人それぞれが重要な役割をもっているんですね。意見の食い違いとかはなかったんですか?
信子さん:大きな食い違いはなかったね。
廣子さん:食い違いがなかったけん、今までできてるんじゃなか。
信子さん:人数的にも、いいくらいの人数かな。
スエノさん:みなさん、我慢強い。(笑)
廣子さん:年齢もいいくらいに違うのもいいんだと思う。
千代子さん:何か意見の違いがあっても、あの時こう言えばよかったかなーとか、反省するし自分の為にもなるね。
グループでするから、いいこともある。出来ることがそれぞれ違うから、お互い敬うし、5人いたからバランスもとりやすかったのかも。
井手野加工の存続、次に繋げる覚悟

則子さん:少し前からわたしはもう体がきつくて、辞めるって言ってたの。
辞表出したけど、みんなからダメって、あと2年は続けてくださいって言われて。(苦笑)
廣子さん:あなたが辞めるなら、みんな辞めるけん。
則子さん:そいけん、どうにか、みんなについていきよるばってんさ、あと1年、もつやろかって思ってる。
廣子さん:そんなこと言わんで~。ちゃんと休みやすいように椅子を用意してるやんか。(笑)
スエノさん:一番若い人が70歳になりよるけんね。
信子さん:そう、みんなおんなじ。みんな病院の通院回数が増えてきてるよね。
みなさん年齢を重ねられた今、今後は井手野加工グループがどうなっていったらいいなと思いますか?
則子さん:お客さんにさ、この味を長く残してもらいたいって言われるんよね。
出来るだけ続けていけたらいいなとは思ってるけど、みんながみんなずっとは続かんと思うけんさ。
もし、わたしが倒れた場合、あと一人くらい人を増やして、このまま続けていけるなら、よかばってん……とわたしは思ってます。
千代子さん:みなさんから惜しまれるということは、ありがたかねって思うばってん。
この状態、このメンバーでの存続は多分無理です。
去年からその話はしてて、このメンバーの家族やそれ以外の人でも「してもよかよ」って言う人があってくれればね。
今のように朝3時に起きて、8時に商品を直売所に届けるっていうカタチは、同じようには続かんと思う。
いくらかやり方を変えんといかんやろう、とも思う。
自分自身のここでの参加は、もう無理と思ってるけど、してくれる人がおれば今までの経験ば、教えたりアドバイスしたりはできると思ってます。
元気かうちは! むしろあなたたち(取材班)の意見も聞いてみたか~。(笑)
それはもちろんこの味を残して欲しいですよ!
廣子さん:わたしも若くないから、元気かうちにバトンタッチできたらね。
信子さん:私もみんなと大体一緒ですけど、去年話し合ったときに、みんな一旦辞める覚悟はできとったんですよ。
でも色んな理由であと2年続けてみようってなって、勤務日数や生産量を減らす体制にして、今のところ続けられてる。
やっぱり外部の人を頼らんと出来んかなって思います。
井手野以外の人も大歓迎! 視点を変えてここを活かそうって思う人がいてくれたら、せっかくなら活かしてほしいね。
スエノさん: わたしは、やっぱりみんな年齢的にきついと思う。
みんな頑張って、しよんしゃっけど、限界やろうと思う。
信子さん:そのうち、押し車ば押しながら、やらんといけんかも。(笑)
スエノさん:ここの商品は他にはなかけん、無くなったらもったいないね。
誰かしてくれる人がいたら、今なら教えてくれんしゃっけんさ。
信子さん:繋げたい想いはあるばってんね~。
今はまだそういう繋がりや出会いが足りてないのかも。
わたしたちが次に繋げる覚悟をどこまで持っとるかってのも問われてるのかもしれんね~。
千代美さん:わたしは、娘として、この加工場が終わるって聞いたときに、ただ「もったいない」って思った。
子どもたちも大好きだし、他では食べられない懐かしくなる味で。
冬場の切り餅とかお供えの餅とか、地域の人も「もう家では餅をつかないから、加工場でついてほしい」とお願いに来られたりとかする。
そういうのを見てたら、ここが無くなるのって、なんかほんとこの地域の財産が無くなるくらい、寂しい気持ちですね。
だから、みなさんと同じで、繋げられるんだったら、いいなと思う。ほんとにもったいないって気持ちがふつふつと……。
でもみんな体が弱ってきてるのも感じる。
信子さんはわたしの保育園の先生だったし、みんな元気だった。
みなさんの輝いていらっしゃった時代を知ってるから。
則子さん:今は輝きがにぶい光になったね(笑)
全員:(笑)
千代子さん:きちんと商品に仕上げて出すこと、間違いは起こされんから、そのプレッシャーが一番あるよね。
そいけん、頭を働かさないとだし、体も動かさないとだし、老化防止ね。
スエノさん:うーん、失敗した商品を出すのは許されないよね。
千代美さん:そうね~。信子さんが言いよんしゃった伝える覚悟っていうのもあるけど、続ける側も受け継ぐ覚悟っているよなって思うな。
この味を繋げないと受け継ぐ意味がないと思うから。
この土地の水と素材を使った餅や団子だったりすることが大切やし。
則子さん:よその人が「やっぱり餅の味がぜんぜん違う」って言いしゃんもんね。
千代美さん:そうそう。そういえば、以前、沖縄の知り合いがここに興味を持って、三瀬まで話を聞きに来たことがあったんだけど、その人曰く「このグループのすごいところは、普通の主婦なのに、分からないことあれば、どこへでも出かけて行って聞いて、自分たちで決めて実行していくところだね。
その力が真面目で、よそとは違う」っておっしゃってました。
信子さん:だてに続けとらんってことやんね(笑)
千代子さん:30年以上続きはしたもんね~。
商品が変わったりしながら、販売日も週5回だったのが週3回になりながらも。
信子さん:一時は注文が殺到して、作れば作るほど売れるんじゃないかって時があった。
あっちこっちから注文の声がかかったね。
千代子さん:まだこれから考えていかんばですが、自分たちの出来る範囲のところでやってきてよかったね。
自分1人の頭で考えるんじゃ出来んかった。
みんなで色んな事を考えてきたのが良かった。
5人で1人前よ(笑)
皆さんの次につなげる覚悟が次の誰かに繋がり、今後もこの味が続けばいいなと思います。本日はありがとうございました!
ー 編集後記 ー
明け方のまだ空が暗い中、加工場にだけ明かりが灯り、中からお母さんたちの元気な声が聞こえてきたとき、「ここが元気の源」で「大切な場所」と話すみなさんの言葉の意味がわかりました。
今回、取材中に餅や饅頭にあんこをつめる作業等をお手伝いさせてもらったのですが、手に引っ付き、形もなんだかいびつに……。難しいなと思いつつ、ふと横を見ると、お母さんたちは見とれるくらい綺麗な手仕事をされていました。手際の良さにもびっくり! そして佐賀弁が飛び交う楽しい会話とともに、朝ごはんに饅頭をほおばる。たくさんいただいたお土産の中でも、おから饅頭がめちゃくちゃ美味しくてはまりました。今後もぜひ残ってほしい佐賀のお山のお仕事です。


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<お世話になった取材先>
井手野加工グループ
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<お世話になった取材先>
井手野加工グループ
井手野(いでの)の地区に嫁いできたお母さんたちが立ち上げた加工グループ。餅や饅頭、団子、期間限定で切り餅、おこわ等を作る。商品は、週3回土曜、日曜、月曜に「野菜直売所マッちゃん」「道の駅大和そよかぜ館」等で販売中。朝5時からの作業でも、笑いが絶えない元気な佐賀のお母さんたちのグループです。
井手野加工グループさんのお饅頭屋、団子などは三瀬「やさい直売所マッちゃん」や「道の駅大和」などでお買い求めいただけます! 見かけたらぜひ味わってみてくださいね。




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<取材記者>
鵜飼 優子
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
鵜飼 優子「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身、ひつじ年。今まで暮らしたことのある地域は、北軽井沢、阿武、萩、佐伯、そして個人的にもご縁を感じている佐賀のお山にやってきました。幼稚園教諭やドーナツ屋さんなど様々なことにチャレンジしています。将来は、こどもとお母さん、家族が集える場所を作ることが目標。佐賀のお山の暮らしを楽しみながら情報発信しています。

