『恋する酪農家。もうぎゅっと一緒です!』 No.015 横尾文三さん
- 2020.09.27
- written by 山本 卓

一口含んだ時衝撃だった。「この牛乳、砂糖が入っているのか?」
「牛乳」というか「ミルク」という表現が自分にはピッタリくる。濃厚な甘みのある牛乳は、ほんの少し飲んだだけでも満足感が得られる。一本200mlのミルン牧場の牛乳を一気に飲み干すと、体全身に「元気」が行き渡り、脳は「しあわせだ」と叫ぶ。
自然豊かな神埼市脊振町でのびのび育てられた牛だからこそ、このおいしさに繋がるのだろう。そんなしあわせな牛乳を生み出しているのは、牛乳の本当のおいしさを追求し続ける、有限会社ミルン牧場代表取締役であり、酪農家でもある横尾文三さん(72)今回は、ミルン牧場のこだわりなどのお話を伺いました。
少量でも質のいいものを届けたい。ミルン牧場のこだわる牛乳とは?

本日はよろしくお願いします。ミルン牧場の牛乳は、なんでこんなにおいしいんですか!?
ありがとうございます。会社のコンセプトの一つに「自然のままに」を掲げています。
牛たちには、脊振の美味しい水をお腹いっぱいに飲み、のびのびと自然のままに暮らしてもらいたいと心がけています。現在牧場のある脊振町の環境も牛を育てるのに向いていました。牛は、もともと涼しいところに適した動物なので、標高が600mほどにある牧場は、とても過ごしやすい環境だったのです。だからおいしい牛乳ができるんだと思いますよ。
あと、もう一つ「少量でも本物を」をコンセプトに掲げていまして。ミルンの一番のこだわりは、「低温殺菌」と「ノンホモ(脂肪を均一化しない牛乳)」です。より自然に近い状態で牛乳を届けることで、お客さんは少量でも満足感を得ることができる。この製法は30年以上、変えていません。うちのような低温殺菌でノンホモ(脂肪を均一化しない牛乳)の牛乳は全国的にも珍しいですよ。

初めてミルンの牛乳をいただいた時、衝撃でした。少し飲んだだけなのに、すごい満足感を感じて。
うちの牛乳は体内へのカルシウムの吸収率がすごいです。でも、こだわりすぎる牛乳だから、昔は苦情も多かったんですよ。(笑)
どんな苦情があったんですか?
昔、ノンホモ(脂肪を均一化しない)牛乳を買ってくださったお客さんからこんな苦情の電話がありました。「この牛乳3~4日しか経ってないのに、腐っちゃって白い塊ができているのよ!」って。こういった電話がかかってくる度に私が「この白い塊は、純粋な生クリームです。一度舐めてみてください」と30分以上かけて説明していました。一生懸命説明するとお客さんが「え? 捨てちゃった。すごくもったいないことをしちゃっていたのね。あはは」って笑ってくれて。「自然のままに」をこだわりすぎた結果、昔はそんな苦情がたくさんありましたね。 (笑)
それもすごいですね! そこまで「自然のままに」をこだわり続ける理由とは、なんですか?
ごく一般的に売られている牛乳のように高温殺菌をし、搾乳してから数秒でパック詰めをすれば生産性はあがりますし、楽だと思います。けれど、その分、生乳は本来の自然な状態では無くなってしまいます。「自然のままに」をこだわっていくと、衛生面などにものすごく気を遣い大変なのですが、それでも質の良いおいしい牛乳をお客さん一人一人に届けたいという思いで「自然のままに」をこだわり続けています。
ミルン牧場の道のりは苦難の連続だった

酪農をしようと決めたキッカケは何だったんですか?
酪農をする前は、露地野菜を作る農家だったんです。しかし、市場に野菜を売りに行った時「トラックいっぱいで70円です」って言われた事があって。「一束70円の間違いじゃないですか?」って耳を疑いました。ほんと悔しくて「なんでこんなに百姓がバカにされなきゃいけないんだ」って。その日のうちに「とうちゃん、これからは酪農だ! 牛買うて!」って言ったのが始まりです。
悔しさから始まったのが酪農という仕事だったんですね。そもそも酪農は身近な存在だったんですか?
私の周りには酪農家がたくさんいました。周りの酪農家の方々は、いつもニコニコ笑っていて楽しそうに見えたんです。「私もこんな生き方したいな」って思っていましたし、それに昔は、酪農って羽振りもよかったんですよ。今と違って。(笑) だからこのまま豊作貧乏な農家を続けていくよりも、酪農をやった方がいいのではないかと考えたんです。

酪農家としてスタートした当初はどうでしたか?
私の酪農家人生は「牛1頭」から始まったんです。それから徐々に牛を増やし、現在の加工場がある佐賀市鍋島町に牛舎を建てました。今では住宅地になっていますが、昔は、この一帯が農村地帯だったんです。大学が建ち、次第に農村地帯が住宅地に変わっていきました。そうなると、近隣の方々から「汚い。臭い。ハエがでる」とか苦情が来るようになってきました。
そもそも酪農は汚くないし、臭くもない。皆さんの酪農に対する悪いイメージを払拭するために、私は「住宅地にあってもおかしくない酪農を目指そう」と思いました。酪農は必ず近隣の方々に喜んでもらえるはずだと。そこで、飼っていた牛の数を減らし、レストランやアイスクリームの販売所などを作りました。ほんと試行錯誤をしていましたね。
試行錯誤の結果、苦情の数というのは減っていったのでしょうか?
それでもまだ住宅地で酪農を続けることへの苦情はありました。そんな時、脊振の村長から「横尾さん。こがいな所で、いろいろ文句言われるぐらいだったら脊振に来んね?」と声をかけてもらったんです。
すごいタイミングだったんですね。
ただ、すぐに牛舎を移転できるかなと思っていたんですが、実際に脊振に移転できたのは、声をかけてもらってから3年が経った頃でした。時間かかりましたね。(笑)
酪農家という仕事は牛を飼うというよりは、「牛に飼われている」生活

酪農家というお仕事は、横尾さんにとってどのようなものなのでしょうか?
牛を飼うというよりは「牛に飼われている」感じです。私は牛に合わせて生活をするだけです。(笑) この仕事は、やはり動物を相手にしているので、大変なことも多いです。昔の話なんですが、ある方に牧場のお手伝いをお願いしたことがあったんです。その時、牛たちが近寄ってこなくて仕事にならなかったことがありました。牛も人を見る。警戒していたんでしょうね。牛は言葉が話せない分、感受性が人間以上だということですね。
横尾さんにとって牛はどんな存在ですか?
家族みたいな存在ですね。私自身、1日でも牛に会わないと、ちょっとストレスに感じちゃいます。「あいつ。どうしているかな?」って気になっちゃって。仕事をしているという感覚ではないのかもしれない。毎日牧場に来て、牛の顔を見ると、なんだか落ち着くんですよ。(笑)
でもたまに、牛が私を蹴ってくることがあって、その時はイラっとします。それが伝わるのか牛が「首元が痒いからかいて。かいて」って甘えてきます。仕方なくブラシをかけてあげるんですが、気持ちよさそうな牛の顔を見ていると「かわいいじゃないか」って思ったりします。(笑)
酪農の未来は、家庭的な「日本版の酪農」になってほしい。

酪農の仕事を辞めたいと思ったことはなかったんですか?
あったね。でもね、辞められなかった。生き物と仕事をしている以上、途中で辞めるということはできない。20歳の頃から酪農を始めて、今年で52年が経ちました。これからも私は、死ぬまで酪農家として、この仕事を続けていきたいと思っています。周りに「もう危ないから牧場に来るな」って言われるまでは、牛たちに会いに牧場に行きたいと思っています。
今後の酪農はどうなっていってほしいですか?
日本の酪農の歴史ってまだ100年ほどなんです。フランスの牧場は、牧場ごとに自家製のチーズがあります。だから日本の牧場でも、農家が味噌やお漬物、梅干しなんかを作るのと同じように、それぞれの牧場で自家製のチーズを作り、お客さんに喜んでもらえるような「日本版の酪農」ができていけばいいなと思います。
移住を考えている方へ「山はチャンスがいっぱいあります」

移住を考えている方へアドバイスを頂けますか?
これから日本は大きく変わってくると思います。新型コロナウイルス感染症の影響もあって、都会も田舎も働き方や考え方が変ってくると思います。だから環境も良い、自然に触れられる、健康に生きていける、そんな「山」にはチャンスがいっぱいと思います。
お金以外で、経験や人との繋がりなど、そのような価値を深めていき、生き甲斐や、やり甲斐を見つけていってほしい。私もそういう若者を育てていかなくてはと思っています。
もしミルン牧場さんで働きたいと思う方がいたら?
いつでもお待ちしていますよ!
貴重なお時間をいただきましてありがとうございました。
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ー 編集後記 ー
「キラキラしてるでしょ! あれは牛が健康な証拠だね」と笑顔で話す横尾さん。本当に牛のことが好きなんだろうなと思います。私も昔、乗馬クラブで働いていたことがあります。動物は人間以上に繊細で、臆病な動物です。牧場を見学させていただいた時、横尾さんから「牛たちは君がいても安心だと思っているんだね。でもほんと牛が普通過ぎて驚いた」と言ってくれました。それは、横尾さんが愛情を込めて育ててくれている優しい牛だからですよ。横尾さんの心は牛乳のように真っ白で、きれいな方だなぁと思う。


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<お世話になった取材先>
酪農家
横尾文三さん(72)
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<お世話になった取材先>
酪農家横尾文三さん(72)
「自然のまま」の本物の牛乳にこだわり続け、牛を育て続けて半世紀。農家を辞め、20歳で牛を1頭、飼い始めたところから酪農の道が始まった。ミルン牧場は牛乳のほかにもソフトクリームやチーズなども販売している。




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

