温泉やお茶が有名な嬉野ですが、それらと並ぶ特産品が「肥前吉田焼」。有田焼と同じく400年以上の歴史を持つやきものです。その技術を受け継ぎながら、自由なものづくりと新しい風を吹き込む活動を行っているのが、新鋭ブランド「224porcelain」(ニーニーヨンポーセリン)の代表・辻諭さん。
後継者が不足しているやきものの産地で、次世代のために何をしていくか。次々と実現していくオリジナリティあふれるアイデアや今考えていることを詳しく伺いました。
辻 諭(つじ さとし)さん
224porcelain代表
肥前吉田焼の170年続く窯元に生まれる。父の窯元で10年ほど修行した後、224 porcelainを創業。長い歴史の中で培われてきた技術に基づきながら、デジタル技術を用いた型作り、環境にやさしい陶土の開発、国内外のプロダクトデザイナーやアーティスト、企業とのコラボレーションなど、肥前吉田焼を次世代につなぐためのさまざまな取り組みを行なっている。毎年10月に吉田皿屋地区で行われるイベント「吉田皿屋ひかりぼし」の運営の中心も担う。
https://www.224porcelain.com
5分でわかる肥前吉田焼の歩みと現在地
肥前吉田焼のはじまりと歴史
江戸時代、嬉野の吉田の地でも有田と同じように陶石が採れたことから、肥前吉田焼は始まりました。以降、400年以上にわたり技術が受け継がれてきました。 売り上げのピークはバブル期の1980年代後半。現在は、その約1/8ほどに落ち込み、窯元の数は10軒ほどとなっています。

“水玉模様“で全国区になった過去
「肥前吉田焼」という名前を知らなくても、多くの人が知っているのが水玉模様のお茶碗や急須。昭和40年代以降、技術や設備の関係でほぼ吉田でしか作られていない、水玉模様は全国に普及していきました。現在でも、昭和が舞台のドラマやアニメに出てくるぐらい有名なものです。

しかし、吉田には流通を担う問屋がほとんどなかったため、有田・波佐見の問屋へ出荷する形が一般的でした。当時、佐賀で作られたやきものは総称して「有田焼」と呼んでいいという慣習があったので、吉田焼も有田焼として世に出ていたんですね。だから、水玉模様の食器を見たことがある人はたくさんいるんですが、イコール吉田焼にはならなかった。
価格コントロールが難しく、なかなか利益につながらなかったこともあり、吉田は水玉模様から脱却しようという風潮がありました。でも、2003年ぐらいにD&DEPARTMENTのナガオカケンメイさんが、“ロングライフデザイン”としてピックアップしてくれました。そうしたら、若い子たちが「かわいい」と言ってくれたんですね。かつてのものが新しい魅力として、再び巡ってきたような感覚でした。僕たちからすると日常使いの庶民的な器として扱われていた記憶があるけど、若い子たちの感覚は違うんだなと。それで、現在は副千製陶所が昔ながらの水玉も作りながら、今っぽい新しいテイストのものも作っています。

地球に優しいやきものを作るために新しい陶土を開発
—辻さんは窯元・224porcelainとしてだけでなく、肥前吉田焼の産地全体にかかわる活動も活発にされていますね。その一つが、検品基準を満たさない規格外品の販売と窯元の工場見学をセットにした「えくぼとほくろ」。どのような経緯で始められたのでしょうか。
通常の磁器製造では、原料に含まれる鉄が黒い点になったり、釉薬の気泡による小さな穴(ピンホール)が開いたりしたものは検品基準を満たさない二級品とされ、高い技術を持つ窯元であっても約10%が不良品にみなされます。
ここ20年くらいで検品基準が厳しくなり、小売店でもクレーム対策でちょっとした黒い点や穴があるものは全部返品されてしまう。製造業で10%も不良品が出るって異常です。

今、224porcelainでは月に1万個ぐらいの作品を窯に入れていますが、そのうち1,000個くらいは二級品として扱われてしまう。手に持ってみたらわかると思うんですけど、どこが悪いのか気づく方が難しい。そんな問題なく使用できるレベルでも二級品になるんです。
しかも、やきものは工程が多い分、不良品が出るかどうかは焼くまでわからないし、原因も突き止められない。
肥前吉田焼にかかわらずどの産地でも同じような状況が起きていますが、産地内外がみんな同じ状況だから感覚が麻痺してしまうんですよね。

本当は日本の検品基準を変えたいんですけど、変えられないなりにできることをやろうと思って2017年に始めたのが「えくぼとほくろ」です。 一緒にやろうと賛同してくれた窯元さんたちに話したのは「規格外を二級品と呼ぶのはやめよう。アーティストが自分の作品を“子ども”と言うように、規格から外れたものも吉田焼の“子ども”。釉薬の気泡による小さな穴(ピンホール)は『えくぼ』、原料に含まれる鉄が黒い点になったのは『ほくろ』。そう考えればかわいく思えてくるじゃないですか」と。

—「えくぼとほくろ」は工場見学と販売がセットになっているので、購入を希望するお客さんは吉田を訪れる必要があります。これまで人が来ていないエリアに集客するのはハードルが高くありませんでしたか。
嬉野には温泉、お茶といった歴史の長い地域資源があります、嬉野には年間100万人ほどが訪れています。
そのうちの100人に1人を、温泉街から10分の吉田まで呼ぶことをまず目標にしていました。一人2,000円の買い物をしてくれたら窯元にとっては大きな収入になります。
同時期に始めたのが、1回500円で小さいやきものがもらえるガチャガチャ。
旅館組合に相談して、20ヶ所くらいに置いてもらいました。1台あたり1日1個、年間7,000個を想定していたんですね。でもやってみたら年間1万個ぐらい売れました。

もう一つ、嬉野に昔からある卸商店のヤマダイさんが「吉田皿屋トレジャーハンティング」と称して倉庫に眠っている器をカゴに詰め放題、という取り組みをやっていました。3つの取り組みがどれも順調にコロナ禍前は産地全体で大きな収益を上げることができました。

—順調に結果が出たんですね。
取り組みを始めてから一番良い結果が出た直後に、コロナ禍に見舞われてお客さんが0になったんです。その時に、不良品問題を少しは解決できていた気がしたけど、根本的に不良品を減らすことはできていないじゃないかと思いました。
磁器に使っている天草陶石(※)はいつかはなくなる有限のもの。50年後、100年後の未来を生きる人たちのことを考えた時に無駄遣いしたくないんです。
それでコロナ期間に始めたのが新しい土「晟土」(せいど)の開発です。
※…熊本の天草下島で採れる陶石。焼き上がりの硬さと濁りのない白色を特徴とし、有田焼や波佐見焼でも使われている。肥前吉田焼は最も早く天草陶石を使い始めた産地。
—「晟土」(せいど)はどのような土ですか?
今のところ、晟土で焼いたやきものは通常の磁器に比べて1.5倍の強度、不良品が1%以下、CO2排出量も40%削減できています。

— CO2排出量も大きく削減できるんですね。環境に配慮する理由はなんですか。
僕らも自分の仕事に誇りを持ちたいけど、じゃあ自分の仕事は何なのかと考えた時に、山を削って石を取って、窯を焚く時は二酸化炭素を排出する。要は、地球を壊すことを代償にやきものができている。その代償を真剣に考えている人がどれだけいるかというと、実際はいかに会社を守るか、従業員を守るかに必死で、そこまで考えが至らないというのが大半です。
次の世代に向けて貴重な原料を残しつつ、人にとって喜ばれるものづくりをしなきゃいけないと思ったのがこの土を開発したきっかけです。

守るべき“伝統の型”がないからこそ自由と新しさを楽しめる
—224porcelainではデザイナーや海外アーティストとのコラボレーションも盛んに行っています。さまざまな人と関わりながらやきものを作るのはなぜですか。
20代前半で吉田に戻ってきて20年ほど経ちますが、産地の問題はなかなか解決しません。どの窯元もやきものを作ることに関してはプロだけど、それ以外の部分は外部の力を借りる必要もあると思う。
僕は自分でグループを作ってなんとかしようとしています。今は、どうやったら窯業に携わる若い人が増えるかを外部のアドバイザーさんに相談しています。

224porcelainを除いた肥前吉田焼の職人さんの平均年齢は約64歳。佐賀や長崎以外の産地でもだいたい同じぐらいだと思います。そうなると、
今いる職人さんが現役で活動できるのはあと10年ぐらい。それまでに、肥前吉田焼が400年培ってきた伝統的な技術も継承しないといけない。一年も無駄にできない状況です。

若い人に吉田に来てもらうために、短期的な取り組みと長期的な取り組みをしていて、コラボレーションは長期的な取り組みの一環です。
昨年は、九州大学と共同での商品開発プロジェクトに大学生が14人参加して、そのうち1人がインターンで224porcelainに来て、やきものをやりたいと言ってくれました。そういうのも1つの成果だなと思います。

—さまざまな人と関わることで肥前吉田焼の強みやアイデンティティを再認識することはありますか?
肥前吉田焼は佐賀や長崎以外の産地と差別化するのが非常に難しいんですよ。どこも同じ土と同じ方法で作っているので。
有田や古伊万里はブランドを形作る模様や色使いがあるんですよね。でも、吉田は良くも悪くもその様式が残っていない。だから、どうせ知名度も様式もないんだったら何をやってもいいじゃないか、と新しいことに積極的に取り組むのが肥前吉田焼だと思っています。

やきものとデジタルの両方の知識と技術を持っており、自在に応用できる辻さんの強みの一つ。
たとえば、224porcelainだったら、3Dデータを使って型を作ったり、多孔質という新しい素材を使ってアロマディフューザーを作ったりと、今までにない取り組みを積極的にやっています。
それから、ゆくゆくは「晟土」(せいど)を使ったやきものを肥前吉田焼みんなで焼けるような仕組みを作りたいと思っています。

あと4年で次の100年に肥前吉田焼を残す道筋を作り上げる
—8年前から「吉田皿屋ひかりぼし」というイベントを中心になって運営、開催されています。ボシと呼ばれる窯道具を光源にしたライトアップ、窯元のナイトマーケット、アートインスタレーション、ミシュランシェフによる限定ディナーと盛りだくさんの内容ですね。
どのような目的で始められたのでしょうか。
肥前吉田焼の認知度を上げるにあたって、どんな状況で、どんなイメージで覚えてもらうかは強く意識しています。モノだけじゃない肥前吉田焼の魅力を伝えたいという思いもありました。 肥前吉田焼や産地の魅力を伝えるにあたって、ボシにLED電球を入れてライトアップすることでやきものの産地でしかできないことをやれていると思います。加えて、福岡のクリエイティブ・ラボ「anno lab」などアートに強い企業や人に参加してもらって、磁器を用いた作品や海外アーティストが吉田滞在中に制作した作品を展示する。近隣の子どもたちの感受性を育むようなイベントをしないといけない、という思いもあるので、モノを売るだけではない内容にしています。
「吉田皿屋ひかりぼし」は、佐賀県嬉野市の吉田地区で開かれる、夜のまちをやさしい灯りで照らすイベントです。人口がだいたい2,000人ほどの地域なんですが、これまで2日間で約3,000人が来てくれるほど人気で、今年はついに初めての3日間開催になりました。会場には、焼き物の道具「ボシ」に灯りをともした幻想的な光の道ができたり、窯元のナイト営業やアート展示があったりと、見どころがたくさん。多くの人に吉田に来てもらって、肥前吉田焼を知るきっかけになればうれしいなと思っています。

「ひかりぼし」のイベントの様子 写真提供:辻 諭さん
—すでにたくさんの取り組みをされていますが、今後やりたいことはありますか。
やらないといけないことだらけです。これまで何もやってきていないからこそ、何をやっても成果が出る。ただ、時間がないので最短ルートで一番成果を出せるのは何かというのはもっと考えないといけないですね。
僕は肥前吉田焼の全体に関わることはあと4年しかやらないと公言しています。
20代、30代の若手が何人かいるんですけど、たぶんこのままだとずっと僕に遠慮してしまうと思うんです。若い子が活躍する産地が一番望ましいので、第一線から退こうと。
自分へのプレッシャーと後輩へのプレッシャーの両方兼ねているんです。あと4年以内に、次の50年、100年のための道筋を作るところまでが僕の仕事で、そこからはもう自分たちが責任持ってやらないといけないんだっていう、そういう危機感やプレッシャーは必要だと思います。もちろん、第一線を退いた後も彼らのバックアップやサポートはやるつもりです。

—「肥前吉田焼に関わるさまざまな活動は、辻さんが先頭に立って旗振り役を務めているイメージがあったので第一線を退く予定なのは意外でした。」今後の肥前吉田焼や産地である吉田のビジョンはどのように思い描いていますか。
吉田は技術世界一の有田、その有田の数倍売上のある巨大マーケット兼産地の波佐見が近くにある中で、何をすべきかは常に考えています。同じやり方をしても勝てないですからね。
他の産地ではできないような自由なもの作りをできる人がいっぱいいれば、それが集合体となって魅力になると思うんですよ。一人、二人じゃダメです。たくさん集まって梁山泊(りょうざんぱく)(※)みたいになったらいいですね。
※…中国の古典『水滸伝』内で主人公たちが立てこもった場所。豪傑や野心家、優れた人物たちが集まる地の代名詞。








